『男は(人間は、だったかもしれない)、40歳になったら、自分の顔に責任がある』というような主旨の言葉を、中学生のとき、授業で教わった記憶がある。森鴎外の言葉だったか、リンカーンだったか忘れたし、国語の授業だったのか、社会科の授業だったのかさえも覚えていない。学習に対して私が如何にいい加減な姿勢であったのかが、窺えるというものである。
自分の発言や行動に責任を持つことを両親からも教師からも強くしつけられ、指導されて育ってきた。中学生になれば、各教科試験重視で成績が付けられることには、それなりに致し方ないことだと理解できる。それは努力をすれば、テストの成績は改善されるからだ。しかし、自分の顔にまで責任を持たなければいけないことに、強い反発を感じたことを覚えている。
美人もいればブスもいる。男前もいれば醜男もいる。禿の人もいれば白髪の人もいる。背の高い人もいれば低い人もいる。それらはその人個人の責任ではなく、遺伝とか環境など、個人の力では克服できない要因の為である。にもかかわらず、自分の顔まで、個人が責任を持たなければならないのか。人それぞれが担っているハンディーを認める優しさや余裕よりも、責任を問われる厳しさに、顔が晒されなければいけないのか。
人の物を盗(と)ってはいけない、嘘をついてはいけない、弱い者をいじめてはいけないと教わってきた。しかし、森鴎外やリンカーンが生きていた時代は、良識のあると思われる国でさえ、いやそのような国こそが、自国の利益のために、率先して戦争を繰り返していたではないか。圧力に合理的な理屈をつけて、弱い国を騙し、物を奪っ搾取してきたではないか。良識や良心よりも『力』が優先するのが、現実世界ではないか。世界平和を口にしながら、武器を売り戦争を仕掛けている現実とは、矛盾しているのではないか。そのような直感は、若者は凄く敏感に感じ取るものだ。
もちろん、きちんと努力をして生きてゆけば、人として生きる能力が身に付き、それが顔に表れるものだから、日々精進して生きなければいけないと言う教訓だということは、教師の説明を待つまでも無く、中学生にもなれば理解している。しかし、それを『自分の顔に責任を持て』という表現で強要するような指導に、何か言い様の無い反発を持った。それほど私には、『自分の顔に責任がある』という言葉は、強いインパクトがあった。
私が中学生だった昭和40年代前半の頃、今から半世紀近く前の日本は、各駅前の商店街には人が溢れていた。商店街にかかわらず、町には人の往来が多かった。まだ自動車が少なく自転車も多くなかったことも一つの要因だと思うが、大型スーパーやコンビニがなかった。行き交う人々と商店街の店員さんのやり取りや、子どもを叱る大きな声と笑顔で町は活気が溢れていた。『いい顔』している人は、たくさんいたが、美男美女は銀幕のスターぐらいで、『かんばん娘』という言葉はあったけれど、町で暮らす庶民に美男美女はめったに見かけなかった。
同居していた私の祖父は、顔など『表と裏が分かればいい』と豪語していた時代だったから、極端に言えば、『顔』は誰であるか分かればよい程度の認識だった。だから、取り立てて顔のことを意識した経験が私にはなかった。これは、ある意味シアワセなことだと思う。
学生時代に安部公房の作品に夢中になったことがあった。そのとき、小説『他人の顔』を読んだ。化学研究の事故によって顔面に醜い火傷を負い『顔』を失った男が、「仮面」を作成し、「他人の顔」をつけることにより、自我と社会、他人との関係性が考察され、人間という存在の不安定さ、あいまいさ、『人間とは何か』を問い詰める実験小説である。人間にとって『顔』の持つ意味を考えさせられた。
孤独、人間とは何か、如何に生きるべきかなど、思春期や学生時代には、そのようなテーマの作品(随筆、対談集、小説、ノンフィクション、映画)に触れ、強い関心を持った。自分でも詩や小説などを書いたことがある。
学校を卒業して社会人となった直後は、社会の不条理、世の中の矛盾や理不尽な圧力、嘘塗(うそまみ)れの社会秩序に反発や不信感を抱いた。それを上司に訴えると、『いつまで学生気分でいるのだ』と一喝された。何よりも、まず仕事が出来なければ、何も始まらないのが現実だった。青臭い正義感に拘(こだわ)っていると、仕事が溜まる一方だった。生きるためには、最低限の稼ぎが必要であり、ちょっと楽しみや贅沢をするためには、さらに稼がなければいけない。生きるということは、仕事を覚え、汗と知恵を出して働くということだ。
仕事を続けてゆくに従って、少しずつ周りのことが見えてきて、息を抜くことも踏ん張らなければならぬことも覚え、それなりにさまざまな経験をした。結婚して子どもが生まれ、家庭を持つと、日々の仕事と生活に追われるようになり、読む本も変化して実用書や歴史物、随筆などを好むようになり、『人間とは何か』を考えさせるものから、いつのまにか遠ざかった。
今年、子供達が社会人となった。私が就職した頃と、すっかり日本も世も変わってしまった。豊かになり、何事も便利になった。満員電車の通勤地獄も、推薦やAO入試で受験地獄が緩和され、自宅でテレビやネットで買い物が可能になった。テレビ電話も宇宙旅行、人々が世界各地とつながり、情報の共有が可能になり、私が子どもの頃に社会が夢見ていたことのいくつかのことが、世界の多くの人々の努力によって実現した。
しかし、少しも暮らしやすくなったとは感じられない。便利になれば成るほど、逆に忙しくなり、神経の休まる間もなくなり、人間関係が複雑になり、仕事が難しくなった。どうしてなのか。武器や核兵器は減ることはなく、貧困も差別もなくならない。人間も仕事も陰湿になり、保守的になった。私たちの努力は、間違っていたのだろうか。昔、社会が夢見ていたものは、正しくなかったのだろうか。
気が付けば、私はもうすぐ還暦である。時間の過ぎて行く早さに驚くばかりである。それ以上に、世の中の進む速さが、日々加速されてめまぐるしい。車や電車や飛行機によって、人間の移動速度が飛躍的に速くなった以上に、コンピューターの出現によって、人間の思考速度を無限に超える速さで、物事の決断を迫ってくる可能性が出てきた。これは、とても恐ろしいことだと、私には思えてならない。
家族も学校も社会も経済も価値観も、この半世紀の変化に、自分がついてゆけなくなった。映画やテレビの世界だけでなく、街の繁華街にも美男美女が増えた。それはファッションや化粧品の成果だけでなく、食べ物も生き方も変わったから、日本人の顔のつくりが変化してきたのだと思う。身体を酷使しなければ生きてゆけなかった生活でなくなった。
美男美女は確かに増えたけれど、『いい顔』をした大人を見なくなった。政治家、企業家、文化人、どの分野においても、『いい顔』の人はいなくなった。大人だけではない、子どもらしい子どもの顔をした子どもが少なくなった。これは何故だろうか。
最近になって、何かの折節に『自分の顔に責任がある』という、中学時代に教わった、この言葉を思い出す。朝、洗顔し歯を磨くときに鏡に映る自分の顔を、意識して見るようになった。皺(しわ)や染みが出て張りがなくなり老(ふ)けてきただけでなく、だんだん貧しい顔になってきたように感じる。私自身、いつ頃からか、志が低くなり、自分がさもしくなっている自覚がある。
『人間とは何か』『如何に生きるべきか』ということを、最近また考えるようになった。自分の生き様を思うと、どこかで生きる努力を怠たり、人生を誤ったような思いにとらわれる。今日まで育つように基礎をきちんと付けてくれた両親に報いることなく、申し訳なく、恥じる思いで胸が痛む。故郷に錦を飾れず、何か手応えのあるような生き方が出来なかった後悔に苛まれている。『自分の顔に責任を持つ』ということの意味を、今になって、やっと分かり始めたような気がする。情けないことだ。
2013/10/14
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