心想素描(随想U)No.48


私の読書の思い出 ―私の自己形成のひとつの断面としてー
2017/08/28


 中学生一年生になったとき、父から「中学生になったのだから、読書習慣をつけた方が良い」と言われて、岩波文庫版の森鴎外著『阿部一族』を手渡された。ちょうど50年前の昭和43年のことである。


 父は読書家で、当時吾が家にはテレビがあったが、夕食後は必ず本を読んでいた。講談社から吉川英治全集が発行され、毎月購入し読書を楽しんでいる父の姿が、今も思い出される。


 小学生のとき、プロ野球巨人軍の王・長嶋が好きだったので、『ベーブ・ルース』や、NHK大河ドラマ『太閤記』(緒方拳主演で、高橋幸治が織田信長役)に感動して、『豊臣秀吉』など、子供向けの偉人シリーズの本を何冊か読んでいた。挿絵がたくさんあり、漢字には総てルビが振ってあり、私には漫画感覚だった。しかし、読書よりも原っぱで友達と草野球をして遊んでいる方が楽しかった。読書は嫌いではなかったけれど、夢中になることはなかった。


 小学校を卒業した直後の春休みに、父から読書を進められ、岩浪文庫を手にしたとき、ちょっと大人扱いをされた思いがして嬉しかった。100ページに満たない薄っぺらな本だったが、文庫本を読むのは大人だと、当時の私は何となく思い込んでいたからである。岩波文庫の価格は★(星)の数で表示され、『阿部一族』は★一つで、50円だったように思う。


 3編収められ、難しい漢字にはルビが振ってあったが、挿絵はなく、読んでいて楽しくなかった。登場人物が次々に切腹してゆき、男が生きると云うことは命を掛けているように感じたけれど、内容はさっぱり理解できなかった。そのような感想を父に述べると、「まだ難しいかもしれないなぁ」と言って、数日後に新潮文庫版の武者小路実篤著『友情』を手渡された。恋愛と友情の板挟みに陥った青年の心情を描いた小説だが、私は男兄弟の中で過ごし、同世代のいとこも総て男性だったこともあり、女の子に関心がなかった。女性を意識した経験すらなかった当時の私には、女性を好きになることの喜びや苦しみなど、想像すらできなかった。二冊の小説を読まされたことによって、父の思惑とは逆に、読書の習慣どころか、読書することに苦痛を覚え、拒否反応を示すようになった。


 その年に秋に、国語の教科者に『洪ちゃん』と題した小説を授業で学んだ。小学生の主人公が、運動会で長距離走に参加した場面が数ページに渡って描かれていた。その主人公・洪作の心情に、読み進むにつれて知らぬ間に意識投入してゆく自分が、とても不思議に思えた。教科書であることを忘れ、ワクワクしてページをめくっていた。小説って、こんなに面白いものかと、感動を持って知った瞬間だった。


 教科書の巻末に、『洪ちゃん』は、井上靖氏の『しろばんば』からの引用であることを知った。自分のこずかいで、初めて購入した本が、旺文社文庫版『しろばんば』である。旺文社文庫は、挿絵があり、見開きのページの左側に、言葉の注釈を載せてあり、読み手に配慮がなされていた。当時の私にとって、『しろばんば』は500ページを超える長編小説だったが、一気に読んだ。さらに『あすなろ物語』もあっという間に読み、すっかり読書家になった気分だった。


 国語の教科書に芥川龍之介の『羅生門』を学んだことがきっかけで、文藝春秋社から出版されていた小林秀雄編集による『現代日本文学館』と云う文学全集シリーズの『芥川龍之介』を購入し、いくつかの短編小説を読んだ。芥川は凄い作家だと直感した。文学とは、このような小説のことだと解ったような気がした。芥川は天才だと、子供心にも感じた。今もこの思いに変わりはない。


 中学二年生の頃になると、興味を持った作家や話題になった小説などを、その都度読む習慣が身に着いていた。しかし、私は国語の授業は嫌いだった。どうしても好きになれなかった。その理由は、作者の主張を教師から問われたとき、正解が頂ける模範解答は、間違いのない一つの意見ではあるが、それだけではなく、もっといろんな伏線を秘めた主旨が込められている別の意見を、見落としてはいけないと思ってしまう。当時に私は、自分のその意見をきちんと説明する表現力がなく、教師から認めてもらうことが少なく、いつも悶々としていた。


 同級生A君は、中学生で、中央公論社の『日本の歴史』全26巻を順次読み進み、社会科の教諭を小馬鹿にしているところがあった。私も日本史に関しては、NHKの大河ドラマをきっかけに、司馬遼太郎の歴史小説を多数読んでおり、戦国時代と幕末維新に関しては、A君に負けない自負があり、歴史談義のようなことを何度かしたことがあった。興味の感じる時代の中央公論社の『日本の歴史』を、私も購入して読んだ。教科書や授業よりも、楽しく、多くの知識と考え方を学んだように思う。


 中学3年生の受験勉強に大切な夏に、私は井上靖氏の『天平の甍』を読んで、激しいショックを受けた。遣唐使に選ばれた4名(普照、栄叡、戒融、玄朗)の若い僧等が、律宗の高僧・鑑真の来朝を実現させた実話をもとに、若い僧たちの苦悩を描いたものである。当時の唐は、日本より遥かな高度な文明国であり、彼ら遣唐使の基本的な使命は、多くの知識を学び日本の進歩発展に貢献することだった。その一つが、律宗の高僧の招へいである。渡唐して20年以上になり、ひたすら写経に専念している僧・業行から、この若き僧4名が諭される言葉に私は衝撃を受けたのである。


 それは『(写経を)始めたのが遅かったのです。自分で勉強しようと思って何年か潰してしまったのが失敗でした。自分が判らなかったんです。自分が幾ら勉強しても、たいしたことはないと早く判ればよかったんですが、それが遅かった。経典でも経疏(けいしょ)でも、いま日本で一番必要なのは、一字も間違いなく写されたものだと思うんです。いまでも随分いい加減なものが将来されているんでしょう』


 進んだ文明を吸収して将来の日本に貢献するためには、自分は何をすべきなのか、という問いは、受験勉強の最中の私自身にとって、今の中学生活と来年からの高校生活に対して、さまざまな疑問として降り掛って来た。私は学校の成績は悪くはなかったけれど、頭が良いわけではなかった。何かで目立つことも無く、ごく普通の中学生に過ぎなかった。これからの自分の生き方を、どのように考えるべきか、根本的に問い直さなければいけないような衝撃を受け、打ちのめされた気分になった。これが私にとって、自我の目覚めだったかもしれない。


 高校一年生になった夏、武者小路実篤の『愛と死』を読んで、本当に涙が出て、本当に涙が止まらなかった。このような経験は初めてだった。この興奮を友人に話すと、『愛と死』のような作品は中学時代に卒業しておくべき作品だと言われ、私は少なからず傷ついた。高校生なのだから、武者小路実篤などではなく、三島由紀夫を読むべきだと云われ、『金閣寺』を薦められた。


 三島由紀夫作品では、私は『潮騒』を読んでいたが、日本の古典文学を芥川龍之介とは違った形で三島由紀夫は影響を受けている印象を持った。古典をベースにして現代劇を構築したように感じたが、心に響くものはなかった。薦められた『金閣寺』を読んだが、国宝に火を放つ若き僧の心情に、同情する点は認められなくはないが、個人的な理由で文化遺産(日本だけでなく人類全体の宝)を破壊することは、絶対に許されることではなく、三島の解釈は、単に屁理屈の域を出ることなく、私には理解できなかった。何故、名作なのか、私には理解に苦しむだけだった。それよりも、武者小路実篤の詩には、琴線に触れるものが多くあり、詩に興味を持ち始めたのは、この頃だった。


 高校一年生の秋、三島由紀夫の精神的原点と思われる『憂国』を繰り返し読み、美術の授業でポスター制作が課題だったとき、この『憂国』を題材に撰んだ。完成間近かな11月25日、三島事件が起こった。陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地に侵入し、総監室前バルコニーから自衛隊の決起を呼びかけ割腹自殺した事件である。この2ケ月前に、大阪万国博覧会が終わり、日本は高度成長経済中であり、昭和元禄と呼ばれ始めていた時代である。次々に切腹した『阿部一族』は江戸時代の話だったが、昭和の現代に時代錯誤の割腹で命を絶った三島由紀夫は、この事件以降、何故か気になる作家になったが、どうしても私には理解できない作家には違いなかった。


 高校二年生になり、現代国語の授業で、大岡昇平著『野火』の断片を読んだ。主人公・田村一等兵の足取りを、地図にして絵を描く宿題がY教諭から出された。このY教諭はとてもユニークな授業が多く興味深かった。当時の私は、戦争に強い嫌悪感を持っており、またY教諭の思想に反発もあり、『野火』から何を学んだか、まったく覚えていない。しかし、村野四郎の抽象的な現代詩を、Y教諭の授業を受けたとき、私は何故か無性に詩が書けるような感覚が体中に漲(みなぎ)り、書きなぐるように、いくつもの詩を書き始めた。何かが私に乗り移ったような感覚があり、手応えのある作品がいくつか書き上げた。自分なりの工夫や仕掛けを施しているが、大半は、思いをぶつけただけの作品だった。


 島崎藤村や北原白秋や佐藤春夫のような、ことばのリズムを大切した格調高い日本語で、気品溢れる作品でなければ詩と云えないように、当時の私は思い込んでいた。しかし、村野四郎氏には、何ものにもこだわらない自由と、謎を掛けたような表現に、堅苦しい考え方から解放された。私でも詩が書けるような拡がりを感じたのである。それは、Y教諭の授業によるもので、感謝している。


 高田好胤や北山修の著作や日本史(中央公論社)なども読んだが、高校時代の読書は、ほぼ総て小説だった。夏目漱石『吾輩は猫である』、有島武郎『生まれ出ずる悩み』、ヘミングウエイの『老人と海』、『シートン動物記』なども楽しく読んだが、志賀直哉、太宰治、川端康成などは、図書館で数ページ読んだだけで、何故、それらが推薦図書なのか、私にはまったく理解できなかった。


 教育委員会が推薦するような文学作品は、ほとんど興味が持てず、星新一や山本周五郎、池波正太郎、柴田連三郎などを読んだ。特に井上靖氏と司馬遼太郎さんに関しては、当時新潮文庫に収録されているほぼ総ての作品を読んだ。中高時代は、授業よりも友人との触れ合いと読書から、私は多くのことを学んだように感じる。こづかいの大半は、食堂のカレーライスと本代に消えていった。


 また、毎日日記を書くような感覚で、ノートに向かい詩作に励むようになったのも、高校二年生からだった。そして、数名の気に入った詩人の作品は読んだ。小説にしても詩にしても、私は好きな作家や詩人にのめり込む傾向が強く、現在もあまり変わりはない。それ以外の作品は、食わず嫌いの一面は拭いきれない。アマノジャクな一面があり、教師が薦める作品は、よほどのことがない限り、手に取ることはなかった。詩人を夢見たことはないが、漠然と作家(小説家)を夢見たのは、高校時代からしばらく続いた。


 大学進学について、作家よりもエンジニアの夢が私には強かった。科学技術で人々や世界に貢献したい気持ちが強かったことが、一番大きな理由だった。人前で話すことが苦手だったので、人よりも試験管や機械を相手に暮らす方が、気が休まるように思っていた。特定少数の人間(チーム)間なら、話すことはそれほど苦痛ではないように思えたし、なによりも研究開発に勤しむ仕事にあこがれていた。作家へのあこがれもあったが、それは年を重ねて人生経験が豊富になってからの方が、良い作品が書けるように漠然と思っていた。


 理科系進学を決めた、もう一つの理由は、渡邊久夫著『親切な物理(上・下)』正林書院と出合ったことである。この参考書のお陰で、物理への興味が深まり、自然科学の面白さを知った。中学三年生のとき出合った井上靖著『天平の甍』と、高校三年生のときの、この『親切な物理』が、私の人生に与えた影響は、とても大きなものがあった。


 現役では希望大学に入学できず、一年間浪人生活を送った。睡眠8時間とジョギング運動1時間は確保し、本当に擦り切れるまで参考書と向き合い、時間を惜しまず机に向かった。このような環境を確保できたことは、とても幸せなことで、親に感謝している。この一年間は、一冊も本を読まないことを自分に課し、それを守った。読書欲との葛藤や、受験勉強への疑問や苦しみなど、口にできないさまざまな思いは、詩作を駆り立て、ノートに書きなぐった。


 一年後、希望大学(工学部)に合格し、詩の全国コンクールに応募した作品が、社会人の部で入賞した。この入賞がきっかけで、さまざまな詩の同人誌から誘いを頂き、『銀の匙』と『マイ詩集』の二社と契約して、前誌とは約10年間、後誌とは約3年間、自作と感想(解説のようなもの)まで掲載して頂いた。そして、銀の匙社からは、27歳のときに、詩集『ほとり』を出版した。


 学生時代は、読書傾向ががらりと変わった。自然科学や人文科学や社会科学関係などの書籍(岩浪新書、中公新書、ブルーブックス、講談社現代新書)を毎月読むようになり、小説は福永武彦、倉橋由美子、安部公房、山崎豊子、柴田翔などになり、司馬遼太郎さんは対談集や紀行文に親しみを覚えた。


 今思い出す印象深い作品は、上田誠也著『新しい地球観』、栗原康著『有限の生態学』、服部勉著『大地の微生物』、なだいなだ『権威と権力』『教育問答』、中根千枝著『タテ社会の人間関係』、ロバート・H・マーチ著『詩人のための物理学』、猪木正文『物理学的人生論』など、数えればきりがない。現実に起こっている事実を可能限り正確に知ることの面白さ、そしてそれに基づいて、自分の理論を組み立てることに刺激を感じた。


 小説では福永武彦著『忘却の河』『草の花』『海市』、倉橋由美子著『パルタイ』『夢の浮橋』、安部公房著『砂の女』『燃えつきた地図』、山崎豊子『華麗なる一族』『白い巨塔』、柴田翔『されど我らが日々』『鳥の影』、高橋和己著『邪宗門』『わが解体』など、その他多くの作家、作品を読んだ。特に、福永武彦と倉橋由美子は文庫本で読み、後に個人全集を全巻揃えて読み返した。


 井上靖氏や司馬遼太郎氏の作品の根底には、人生を肯定する揺るぎない人間愛がある。井上靖氏の登場人物は孤独をベースとしており、司馬遼太郎氏は人生を切り開くエネルギーを描いている。山崎豊子氏の作品にも、同じにおいを感じる。中学・高校時代に井上靖氏司馬遼太郎氏の作品を数え切れないほど多く読んだことは、私にはとても良かったと思う。学生時代になって、福永武彦氏や倉橋由美子氏や安部公房氏など、人生を深く考える作品を読むようになったのは、ある意味、自然なことだと自分自身思う。


 専門教科に入る前の学生前期(一回生二回生)の頃、芥川賞や各出版社の新人賞の作品を10編以上読み、小説に挑戦した時期があった。プロットやスト―リが次々に湧き、自分に酔って原稿の升目を埋めて、原稿用紙50〜200枚程度の作品を数編書き上げたことがあった。しかし、総て習作として書いたもので、どこかの新人賞を狙う意識はなかった


 既成作家とはまったく異なった発想も斬新さもなく、新しい鉱脈を見つけ掘り起こしたような手応えが自分自身持てなかったからである。これだ!と、納得できる作品は、一編も完成しなかった。当時の私にはアッと言わせるようなアイデアが溢れて来なかった。詩作の方にも行き詰っていた。書くことよりも、読む方が何倍も楽しく刺激があったからだ。出力よりも、まず入力を優先した方が良いと、自分に言い聞かせて、作家挑戦から逃げていたのである。


 学生時代の四年間は、私の人生の中で、最もたくさんの本を読んだ期間だったと思う。翌年就職してから、10年間ほどは、読書らしい読書の記憶はほとんどない。本を読む余裕が、社会人になった当初にはなかったのも事実だが、少し重たいテーマの本は、当時の私には苦しかった。単純に読み物として楽しめる土屋隆夫や松本清張や佐野洋や横溝正史などの推理小説、清水一行や高杉良などの企業小説など何冊か読んだが、何かを読んだという手応えがあまり残っていない。


 昭和天皇が崩御し、月刊誌『文藝春秋』に『昭和天皇独白録』が掲載され、読んだときの驚嘆は今も忘れられない。大東亜戦争について、まったくの無知であったことを突き付けられ、昭和天皇のイメージが180度変わった。これがきっかけで、大東亜戦争に関する書籍を次々に読み始めた。大東亜戦争についてきちんと理解しておくことは、日本人の最低限の使命であり責務だと考え、まるで学校で学ぶテキストのようにして、さまざまな本を読んだ。


 この時期が、学生時代に次ぐ読書に励んだ第二期だと思う。半藤一利がペンを執った『日本のいちばん長い日』をはじめ、さまざまな執筆者の本を読んだ。読めば読むほど次々と疑問や知りたいことが増えた。新しい資料が発見され、新しい視点で捉えなおす書籍が発行され、毎年夏になると戦争関係の本を数冊読むようになった。それは今も続いている。


 仕事にも慣れ、結婚して子供ができ、時間を作るコツを覚えた頃から、再び読書の時間が持てるようになった。小説よりも随筆に目が行き、自然科学や歴史の新書に興味を持つようになった。


 吾が子が中学生になったとき、父が私に読書を勧めたことを思い出し、自分の経験を振り返り、どうすべきか考えた。そして30数年ぶりに、武者小路実篤の『友情』と『愛と死』を読み返した。当時涙が止まらなかった『愛と死』が、舞台や時代背景が現代とはかけ離れており、社会の雰囲気も生活様式も異なり、とても退屈な小説に感じた。そのように感じたことが、自分自身想像も予想していなかったことだけに、強いショックを受けた。吾が子に何を薦めるべきか分からなくなった。


 例えば、井上靖氏の『氷壁』は、数え切れないほど読み返しているが、毎回新しい発見をして、違った感動を覚える経験をして来た。このときも『氷壁』を読み返し、新たな感動を得た。文学とはそのようなものだと思っていただけに、ちょっと茫然とした。


 植物は水を必要とするときに、適量の水を与えると成長するが、与えるタイミングを間違えたり必要以上の量を与えると、根腐れを起こす。特に肥料は時期と量を間違えると、植物の生命に関わる。人間と植物を同列には考えられないが、吾が子から読書の話を出さない限り、こちらからは何も言わないことにした。私の本音としては、吾が子に読書の楽しさを経験させたかったが、は何も言わず静観しておくことにした。


 漫画ばかり読んでいた(という印象を抱いていた)吾が子が、高校二年生になった頃、唐突に、私に「なにか良い本ない?」と尋ねてきた。とても嬉しかった。何が良いか、いろいろ考え迷った末に、自分が高校二年生のとき、初めて手にして感動した『氷壁』を薦めた。数週間後、吾が子から「もうひと捻りかふた捻り欲しかったと思う」と生意気な感想を述べ、さらに、「でも、昔の人は腹が据わっているなぁー」と付け加えて、本を返してくれた。そのとき、吾が子の部屋に入って、大量の漫画と並んで、伊坂幸太郎や村上春樹や『罪と罰』などがあったことを知った。


 それから、数か月後に再び吾が子から推薦図書の打診があった。いろいろと考えて迷った結果、何が良いかではなく、何を読んで欲しいかでもなく、当時、私が夢中になって読んでいた著作を薦めることにした。福岡伸一著『生物と無生物の間』(ブルーブックス)、池谷裕二著『進化し過ぎた脳』(朝日出版社)、柳澤桂子著『愛をこめいのちみつめて』『意識の進化とDNA』(共に集英社文庫)、帚木蓬生著『白い夏の墓標』(新潮文庫)などである。


 数週間後、『進化し過ぎた脳』について、吾が子にしては珍しく、興奮気味に感想を聞かせてくれた。そして、同じ著者の池谷裕二氏の作品を購入して、現在読んでいるとのことである。このことがきっかけとなって、自然科学についての話題が加わり、吾が子との会話が増えた。吾が子から薦められた本を読み、互いに読書談義ができるようになった。とても幸せなことである。


 積極的に子育てに関わった記憶が私にはない。しかし、自分が知っていることや考えていること、物事の考え方については、子どもとの遊びの中で、さまざまな話をして来た。そして、自分の好きなことに、子どもたちを巻き込んで、一緒に遊んだ。だから家族サービスとか、子育て参加などの意識は、私にはまったくなかった。読書においても、自分の好きな作者や書籍を話すだけで、強要することは一切なかった。それが良いのか悪いのかは解らないが、吾が子との会話は少なくないように思っている。


 50代になった頃から、テーマを決めて本を読むようになった。例えば少年犯罪に関心を持ったとき、神戸連続児童殺人事件をきちんと整理したいと思って、少年Aの父母著『少年A、この子を生んで』1999/4。土師守著『淳』1998/9、『淳、それから』2005/1。山下京子著『彩花へ-「生きる力」をありがとう』1998/1、『あなたがいてくれるから 彩花へ、ふたたび』1998/12、『彩花が教えてくれた幸福』1999/12。草薙厚子著『少年A矯正2500日全記録』2004/4、『元少年Aの殺意は消えたのか』2015/8。藤井誠二著『殺された側の論理』2007/3などを随時読んだ。その中で山下京子さんの『彩花へ-「生きる力」をありがとう』は、凄い手記で、涙が止まらず、人間って、こんなに強く優しく素晴らしい生き物であることを教えられた。


 歴史については、歳を重ねるごとに関心が深まり、特に本能寺の変、北政所と淀君、新撰組、幕末維新、そして大東亜戦争については、相反する登場人物や学者の本を複数読むことで、全体像を中立的に把握するよう心掛けている。例えば幕末維新では、官軍の目から見た明治維新と幕府側から見た明治維新では、まったく違う景色になってしまう。相反する当事者からだけでなく、庶民の目からみた維新、経済の面からみた維新、海外から観た維新など、立場や視点を変えると、幕末維新が今までと違った印象に変わってしまう。そのことに、強い興味を私は覚える。


 エンターテイメントの小説は、確かにワクワクドキドキして飛ぶようにページをめくり、時間を忘れさせる幸せに浸れる。一方、真実や史実に着眼したノンフィクションは、また違った興奮を私にもたらせる。軽い随筆なら別だが、このような堅いノンフィクションは、根を詰めて読むと息苦しくなってくる。そのようなときには、生物学者・田中修氏の『植物はすごい』や、日高敏隆氏の『春の数えかた』、竹内久美子氏の『浮気人類進化論』などの自然科学をベースにしたもの。または、佐伯啓思氏の『反・幸福論』のシリーズや、養老猛氏、玄侑宗久氏、そして司馬遼太郎さんの『風塵抄』や『この国のかたち』などで、頭の振り子を戻したり、違った脳の回路を刺激するようにしている。最近は佐伯啓思氏の新しい著作が発表されるごとに購入し読んでいる。


 大塚ひかり氏の『愛とまぐあひの古事記』や、由良弥生氏の『大人もぞっとする日本昔話』などを読んだことが引き金となって、還暦前後から、急に日本の古典に興味を感じるようになった。福永武彦現代訳の『古事記』『日本書紀』を手始めに、現代語訳で『竹取物語』『枕草子』『徒然草』『方丈記』『今昔物語』『雨月物語』『奥の細道』など読み進んだ。学校で学んだ古典を現代語訳ではあるが、読み返してゆくと、教えられることの多さに驚いた。古典文学は知的財産の宝庫に思える。


 古典文学がきっかけで、古い日本文学を読み直してみたくなり、森鴎外、夏目漱石、谷崎潤一郎、川端康成、太宰治、有島武雄、そして武者小路実篤の『愛と死』を手に取った。高校生のようにではないが、『愛と死』を読んだとき、目頭が熱くなった。40代後半のときに退屈と感じたのは、何だったのだろうか。同じ作品でも、読んだときの年齢や環境によって、これほど受け止めが変わることに驚いた。


 感性豊かな若いときに読んでおく方が良い作品があるのは事実だろう。逆に、若いときには読まない方がいい作品もある。日本人ならば読んでおくべき作品もあると思うが、無理に読む必要はないと思う。宣伝文句やベストセラーに惑わされても、惑わされなくてもいい。何かのきっかけで読みたくなったときに、読みたい本を手にすれば良い。気が変わって『積ん読(ツンドク)』になっても、いつかまた読みたくなるかもしれない。それで良いと思う。

インターネットで容易に本の購入が可能になったが、町から書店が減ってきたことは、凄く残念である。やっぱり書店に足を運んで、背表紙が並ぶ中から、何かに導かれるように手に取った瞬間の本の手触り、装丁の好み、厚みと文字の大きさ、紙とインクのにおい、パラパラとページをめくった感触、拾い読みしたときの印象、さまざまな要素が一度に、あるいはジワジワと心に響いてくる、このような体験は、インターネットでは味わえない。むろん、インターネット独自の感触にも、捨てがたいものがあるのも事実だが、町から書店が消えてゆくことに、何か大切なものが奪われてゆく思いがぬぐいきれない。町から書店が消えて図書館に足を運ぶ頻度が増したが、やっぱり、書店に並ぶ真新しい書籍に囲まれ、触れる喜びには適わないものがある。


 名作と評価されている作品を、これから、随時読んでゆきたいと思う。芥川龍之介や福永武彦の作品は、文学と云うより芸術だと思う。文学に触れることは、残りの私の人生にとって、大きな楽しみの一つである。若い頃のようにはいかないが、いつか詩作を再開したいと思う。職業作家になる気は全くないが、いつの日にか、納得できるような詩か何かが書けたらと思う。


 数ヶ月前、私に初孫が誕生した。この孫がどのような本を読むのか楽しみである。吾が子と本の話に花が咲いたように、孫から「じぃちゃん、この本面白いで」と言われる日が来たら、どれほど幸せなことだろうか。その日のためにも、身体も頭も健康を維持できるように、日々昇進して生きてゆきたいと思う。

 

2017/8/20〜27