本と映画の森(映像編) No.4

更新日:2015/2/15 

映画『サウンドオブミュージック』 ロバート・ワイズ監督作品
2008/01/27




 先日、映画『サウンドオブミュージック』のDVDを偶然見つけ購入した。休日の午後、30数年ぶりに自宅のPCで観た。
 最近はDVDやビデオなどで映画を観ることが多く、もう何年も映画館に足を運んでいないことを、改めて自戒の念をこめて思う。
自宅で映画を観るというのは、テレビで放映されるまでは無かったことだし、映画館の大きなスクリーンと音響の迫力を堪能すれ
ば、自宅のテレビ画面では映画作品が可哀想に思えた。そして何よりも、映画は、何処の映画館で、誰と、どのようにして観て、そ
の日はどのように過ごしたを含めて、いくつもの想い出がいっぱい付随するもので、ささやかだけどちょっと贅沢な出来事ですらあ
った。映画にはそれだけのチカラがあったように思う。


 しかし昨今は様々なメデア媒体が発達したことに加えて、わざわざ映画館まで足を運ばなくても、一年も経たずして、何らかの方
法で鑑賞することが可能なために、何としても観たいという気持ちが私自身薄れてきたように思う。電車に揺られて映画館に行くの
が少し億劫になった年齢も多少影響しているかもしれない。最近の映画は、映像も音響もストーリーも刺激的で圧倒されるものが増
えて、確かに面白くなったのは事実だが、鑑賞後余韻を愉しみながら心を揺さぶるような感動が少なくなったように感じる。これは
確実に年齢が影響していると思うが、皆さんは如何だろうか。


 今から30数年前の学生時代、若さゆえの悩みを抱えていたときに、京都四条の祇園会館で、『風と共に去りぬ』『ローマの休日』
とこの『サウンドオブミュージック』の三本立てを低価格で観た。映画館を出たときは、青空が星空になって、冷たい冬の風が吹い
ていたことを覚えている。祇園から京阪四条駅まで歩いた20歳の自分を、昨日のように目に浮かぶ。


 祇園会館だけでなく、SABホールや毎日ホールなどで、監督シリーズや俳優や女優シリーズなどと銘打って、名画を数日間続け
て上映することがあると、出来る限り足を運んだ。また封切りまじかのロードショーの試写会に応募して、洋画邦画を問わず、さまざ
まな作品も頻繁に観た。当時学生だった私にとって、映画はちょっと贅沢な娯楽だった。ただ楽しいだけの娯楽ではなく、読書と同
様に、さまざまな刺激や示唆も受けた。それは作品の根底に、感動させるチカラがあったからだ。


 今回、『サウンドオブミュージック』のDVDを見つけて、思わず購入したのは、個人的な感傷も手伝ったが、殺伐としてきた現在
に、私自身が感動に飢えていたことも、大きく作用したように感じる。


 物語は1938年(昭和13年)ドイツの影響化に置かれたオーストリア・ザルツブルグが舞台で、歌好きでおてんば娘の修道女マ
リアが、トラップ大佐の7人の子ども達の家庭教師に向うところから始まる。退役軍人で数年前に妻を亡くしているトラップ大佐は、
桁外れの資産家で、とても厳格な生活を実践しており、今まで家庭教師は誰も長続きしなかった。修道院の院長はマリアに言う。そ
のトラップ家での家庭教師として行くのは『神が与えたあなたの試練』だとして、マリアに命じる。カバンとギターを抱えてマリアは、
自分自身を奮い立たせてトラップ家の門をたたく。


 目を見張るような広い敷地に、お城のような邸宅のトラップ家に圧倒される。マリアの前へ大佐が7名の吾が子を笛で呼び出す。
まるで軍隊命令に従うように子ども達は一糸乱れずキビキビ動き集合する。7名の子ども達は一人ひとり違った笛の音色で分けら
れ、大佐から簡潔な自己紹介を強いられる。その異様さにマリアも負けず『大佐の音色は?』と言い返してのける。異様で行き過ぎ
ではあるが、現在では考えられないような厳格さを貫く大佐の姿勢に、私はちょっと感動を覚えた。良識ある軍人には、信念を貫く
姿勢があり、このような大人が最近は見なくなったと寂しく思う。また、そのような大佐に圧倒されまいとする若いマリアの小気味良
い切り返しが良い。大人と若者の対立とふれあいの良い形のひとつだと思う。


 子ども達からポケットに蛙を入れられたり、夕食時椅子に松かさを置かれるいたずらの洗礼をマリアは受ける。それを歓迎として
快く笑顔で対処するマリアの人間性と愛情が、子ども達と打ち解け信頼を得てゆくきっかけとなる。マリアは明るさと音楽によって、
子ども達が本来持っていた快活さを引き出してゆく。そして、子ども達はマリアから音楽を学び、音楽の魅力を身につけてゆく。


 ある日、トラップ大佐が婚約者のエルザ男爵未亡人と友人マックスを連れて自宅に戻ったとき、子ども達が奇妙な遊び着を着て
自由豁達な子どもに変貌していることに、大佐は激怒する。しかしマリアは大佐の迫力に微塵も怯まず、子供達に目を向けて、寂し
さに応えて欲しいと訴える。取りつくしまもなく大佐はマリアに解雇を言い渡す。その夜、マリアと子供たちの歌と人形劇でエルザ男
爵未亡人とマックスの歓迎する。大佐は大喜び、子ども達の声に吸い寄せられるように、自らも長い間忘れていた歌を歌う。自分
の教育方針は独りよがりだったと大佐は詫び、マリアは引き続き家庭教師を依頼する。マリアと子ども達の歓迎の素晴らしさに感
心したマックスは、子供たちを合唱団として売り込むことを提案するが、大佐は一笑に付す。相手から理由を訊かずに、表面の行
動だけで即断して結論を言い渡す大佐の態度は、時代設定の1938年頃では上級軍人でも一般的だったのかもしれない。そのよ
うな態度は褒められるべきではないが、自分の非に気付いたとき、直ちに非を認める大佐の勇気と、正しいと判断したことを実行
する姿勢に、私は感銘を覚えた。なかなか出来きることではない。


 大佐邸で婚約披露のパーティーが開かれ、フォークダンスをマリアと大佐が踊る。二人の目が合うと、顔を赤くして立ち尽くすマリ
アは、それ以上踊れなくなった。その場を目撃した婚約者の男爵未亡人は、トラップとマリアの仲が進むのを危惧して、大佐がマリ
アに気があるのではないかと伝える。マリアはトラップを愛する自分に気付き、気持ちの整理が付かず混乱し、神に仕える身で男
を愛するのは罪と考えて、これ以上大佐邸にいられないと、置き手紙を認めて黙ってひとり身を退き修道院に戻る。自分が恋をし
ていることを知ったマリアの戸惑いと身を退く決断の速さに、私は昔の女性の姿を見たように思った。


 マリアとの別れを寂しがる子供たちは、修道院にマリアを訪ねるが会えずに戻らされる。一方、マリアは修道院の院長から、『男
女の愛も神への愛と同じように神聖なもの。愛情深いあなたの豊かな愛をあの人に向けることを神が望まれているとしたら、どうだ
ろうか。トラップ邸に戻って、あなたの気持ちを確かめること。修道院に逃げても問題は何も解決しない、立ち向かい、自分に相応
しい道を見つけるべきだ』と諭される。


 大佐の邸宅に戻ると、マリアはトラップ大佐、子供たちに歓迎され、受け入れられる。しかし、大佐から未亡人と結婚を決めたこ
とを知らされ、傷心のマリアはひとり夜の庭をそぞろ歩いていた。バルコニーで未亡人と結婚を語り合う大佐の目は、そんなマリア
の後姿を追っていた。大佐はすでに自分の心がマリアに向いていることに気づき、未亡人もそれを感じていた。大佐は婚約解消を
告げ、未亡人は受け入れる。邸宅の庭で、大佐はマリアに、マリアは大佐に、互いに愛を告白する。この三名の態度に、私は成熟
した大人を感じた。婚約パーティーのときに、マリアが去るように仕向ける発言をした未亡人が、今回はじたばたせずに身を退いた
態度は、大人の女性として立派である。また大佐も婚約者の未亡人に自分の気持ちをキチンと話し、自分の気持ちに正直に生き
る姿勢も立派だ。相手を思いやる女性と自分の気持ちを貫く男性、そんな大人の男女に私は胸が打たれた。


 マリアと大佐は子供たち等と修道院の修道女たちに祝福されて結婚式を挙げ、新婚旅行に出かける。二人が新婚旅行をする間
に、ナチス率いるドイツ軍がザルツブルクにも進駐している。新婚旅行から戻った大佐の家にはナチス旗が掲げられており、激昂
した大佐はその旗を引きずりおろす。大佐に対してドイツ帝国海軍から出頭要請の電報が届く。愛国者でありドイツによるオースト
リア併合に反対する大佐は、ドイツ軍の言うとおりに出頭する気はなく電報を無視する。ロルフ(7人の子ども達の中の長女の恋人)
がナチスの隊員になっており、彼に失望するとともに、時代の大きな波を感じとり一家の亡命を決意する。


 街で歌のコンクールが行われる日に乗じて、家族はスイスへの亡命を計画する。その晩、トラップ一家が亡命する為に邸宅を出
たところに、ナチスの官吏が待ち構えていた。ナチスの官吏は一家の外出を禁じ屋敷に連れ戻そうとするが、マリアの機転に大佐
とマックスが合わせて、歌のコンクール出場を口実に外出を認めさせる。ナチス軍の厳重な監視の下、一家9名はコンクールで「ド
レミの歌」、オーストリアの愛国歌「エーデルワイス」などを歌う。審査の結果、トラップ一家が優勝する。マックスのはからいで、その
表彰式の隙に家族は逃げ出す。家族は修道院に逃げ込むが、ナチス突撃隊も修道院を捜索する。一家が墓場に潜んでいること
に気付いたロルフは銃を構えるが、大佐に声をかけられ一瞬躊躇する。しかしロルフはトラップ大佐発見を大声で通報する。大佐
一家は裏口から車で家族は逃走するが、追跡しようとするナチスの車から、修道女たちが部品をはずしていたので、エンジンがか
からず、トラップ家族はスイス逃亡に道が開く。山を越える大佐とマリアそして7人の子ども達の姿をバックにFINの文字が浮かんで
くる。


 トラップ大佐一家が家を後にするシーンからラストシーンまでは、身動きできない緊張感と感動の連続である。特にトラップ大佐
が一人でギターを爪弾きながら「エーデルワイス」を唄い始め、最後は会場の人々全員の合唱となる場面は、30数年前も今回も目
頭が熱くなった。


 30数年ぶりに鑑賞して、3時間近い長編映画に引き込まれ、昔と変わらね感動を覚えた。このような感動は久しぶりのような気
がする。いつの世も夫婦愛、家族愛、人と人の心が通い合う愛情は素晴らしく、心が揺さぶられる。映画は人それぞれ様々な見方
が出来る。年齢によって、見方が変わってくることもある。しかし私は、この『サウンドオブミュージック』を、昔も今回も変わらず、人
間教育の原点を示唆した映画のように感じる。マリアに対する修道院の院長の様々な接し方をはじめ、おてんばな修道女マリアの
成長にも、7人の子ども達、そして大佐と、如何にして互いの心を通わせてゆくか。そして成長してゆくかを、とても丁寧に描いてい
る。この映画の中の多くの登場人物たちの間で起こる対立と和解、心のふれあいの変化に、人が育ってゆくたくさんのヒントが込め
られているように私は思う。


 出演者の演技が、熱演熱唱ではなく、自然体でリラックスした仕種と歌唱に好感が持てた。全力投球よりも肩の力を抜いて投げ
た方が、スピードもコントロールも安定するような、そんな演技だからこそ、観るものにいやみなく感動が伝わってくるように感じた。


 この映画『サウンドオブミュージック』は実話を基にしたミュージカル映画で、史実とは違ったところが何箇所かあるらしい。例え
ば、家族合唱団にはトラップ大佐の7人の連れ子の他に、マリアが産んだ3人の子供も加わっていたことや、ザルツブルクからスイ
スへは山越えルートは地理的にもありえなく、史実では列車で平和裏にオーストリアを脱出したようである。史実にこだわる厳密な
考え方もあるが、伝記ではなく創作ミュージカルとして窮屈に考えず、ひとつの作品として理解する立場を私はとりたい。登場人物
を如何に描くか、作品として如何にまとめるかを評すべきだと思う。


 マリア・フォン・トラップによる自叙伝「トラップ・ファミリー合唱団物語」が出版され、1959年にブロードウェイでミュージカルで上
演され、1965年にこの映画が公開された。映画製作が第二次世界大戦後約20年、時代設定の1938年(昭和13年)からは約
30年の歳月が経っており、様々な脚色がなされ、製作者や監督がある種の理想として描いていることを考慮しても、昭和13年の
日本を舞台にしたら、このようなドラマは成立しなかったように感じる。


 今回30数年ぶりに鑑賞して、考えさせられたことのひとつに、大資産家の日本の軍人の中には、このトラップ大佐のような人物
は存在した可能性はあると思うが、マリアのような女性は、当時の日本には存在した可能性は、極めて低いように思うのだが、どう
だろうか? あるいは豪商の娘には、アリア的な女性が存在したかも知れないが、凄く稀なことではないだろうか。現在(2008年)
の日本では、おてんばで陽気な女性は増えたけれど、マリアのような芯のしっかりした女性は増えただろうか。同じように、トラップ
大佐のような筋の通った男性はどうだろうか。ひょっとすれば、マリア的な女性も、とラップ大佐のような男性も減っているのではな
いだろうか。

 
 昭和13年から平成20年までの70年間という時間が、人間の生きる姿勢や根性に、このような変化をもたらした原因は何だろう
か? 帝国主義から民主主義の国家になったからか、教育制度が変化したからか、国民が豊かになったからか、平和が長く続い
ているからか。ラストシーンのトラップ家の人々の笑顔は、現代人と同じ表情だけど、時代が変わり、社会が変わり、人間が変わっ
てゆく力は、いったいなんだろうか。今回はそんなことを考えさせられた。


お薦め度 ★★★★★ 

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