三島由紀夫の名作『金閣寺』を、映画化した作品。原作では、堂々と金閣寺と名を謳っているが、映画では寺のその堂を「シュウ
カクジ」と呼んでいる。
私の両親は共に京都生まれの京都育ちで、私の先祖のお墓は、金閣寺(正確には鹿苑寺金閣)から北に徒歩で15〜20分程度
の位置にあることから、子供の頃(1960代)、墓参りの機会に金閣寺には何度も足を運んだことがあった。
また、学生時代(1970年代後半)を京都で過ごし、金閣寺は、年に数日無料拝観の日があり、その期間に何度か訪れたことがあ
る。そんな関係から、金閣寺には親しみがあった。
映画(ビデオ)は、今回始めて観たが、三島の小説は高校時代に読んだ。当時、小説としての良し悪しは分からなかったが、心と
きめく感動を得たような記憶は無い。
しかし、国宝の金閣に火を着けたのが、その寺の若い修行僧であり、何故そのようなことをしたのか?を、心理的に追求するフィ
クションとしてではなく、事実を積み重ね追求するノンフィクション的な部分に興味がそそられたことは覚えている。
小説の中で描かれている金閣は、私が子供の頃から見ている実際の金閣より、もっと美しく近寄り難い神格化されたイメージを
抱いていた。しかし、私がこの目で見ていた金閣は、この小説に描かれている金閣ではなく、焼失した後に金箔で施された再建後
の金閣であった。
焼失前の金閣は、このモノクロ映画に登場する地味な金閣(現存の銀閣寺のような)であったことが、情けないことに、今回この
映画を観ての一番の驚きだった。(この映画が初演された頃は、すでに再建後の金閣が建っていた)
数年前、再度金閣の金箔を張り替え工事をされたとき、金閣に火をつけた僧侶のことをもう一度考えてみたくなった。
貴重な日本の文化財を焼失させてしまう精神に、若い頃僧侶の修行をされた水上勉がどのように迫り、どのような結論に達した
のか興味を覚え、水上勉の『金閣炎上』(ルポ的な作品)を購入し読んだ。四十歳を越えた私が、日本の文化をもう一度考え直した
いという気持ちが根底にあったのかもしれない。
三島由紀夫の『金閣寺』以上に、『金閣炎上』の方が、人間の精神的風土を強く感じた。人間とは何かを、高校時代、学生時代
以上に考えさせられた。
この夏、ビデオで映画『金閣寺』を始めてみたときは、一つの映画として鑑賞している自分に気付いた。それは、主人公役の市
川雷蔵と老師役の中村鴈次郎の演技力に魅せられたことが強く影響している為かと思う。
原作:三島由紀夫『金閣寺』、脚本:和田夏十、長谷部慶治、監督:市川崑、主演:市川雷蔵、中村鴈次郎、仲代達矢、浦路洋子、新
玉美千代
お薦め度 ★★ |