記録フイルムで構成されている277分の、見応えのある映画である。私にとっては、10本の指に入る名作だ。
老若男女、日本人だけでなく、アジア・太平洋戦争関わった国の人々だけでなく、国籍を問わずぜひ見て欲しい映画だ。繰り返し
見て欲しい映画だ。
20代、30代、40代、50代歳を重ねてそれぞれの世代で見て欲しい映画だ。戦争とは何か。戦争を裁くとはどういうことか。い
ろんな視点からの鑑賞が可能な映画だと思う。
この映画は1983年に製作された。昭和天皇の『独白録』が発見される前の作品だ。月日が経過するにしたがい、生きた証言
者は年々減ってゆくが、新たな資料が公開されたり、発見されたりして、21世紀の現代に製作されたら、また違った作品になるに
違いない。
使用するフイルムは、事実を記録した同じフイルムだが、解釈の変化、価値観の変化、イデオロギーの変化などさまざまな事情
により、アジア・太平洋戦争の捉え方に変化をもたらすからだ。
勝者が敗者を裁判と云うフィルターを通して、お墨付きを得て屈服させることへの、単なる疑問ではなく、戦争に関わった人々
が、終戦後の変化する社会情勢の中で、裁判と云う新たな『戦争』を如何に戦ったのか。
そして、あの戦争の本当の(と云う言い方はおかしいかもしれないが)責任者は誰なのかに、今回私は興味を持って、この映画を
観た。
開戦時の首相であり、陸軍大臣と参謀総長を兼任していたのだから、あの戦争を引き起こした(少なくとも戦争を回避できなかっ
た)東條英機を最初から首謀者(犯人)として認識していたが、この映画を観て、すべての責任を彼に押し付けていただけだと、強く
考えるようになった。
では、何故、東條英機一人を悪者と思っていたのか。少なくとも、彼一人に多くの責任を押し付けるような思いを持っていたの
か。東京裁判が行われていた当時も、そして今なお多くの日本人が、そのように思っているのか、これは大きな問題だと思う。
真実を見ようとする能力、現在を歴史の視点で見る能力、現時点を全体像の中で把握する能力、そう云った能力が個人に必要
だと感じた。流言蜚語に流されない力、特に報道関係者に要求されることだと思う。
この原稿を書いている数日前(2001.9.11)、アメリカで同時多発テロが起こった。民間機をハイジャックし、ニューヨークの貿易セ
ンタービル、ワシントンのペンタゴンに相次いで突っ込んだ。
この事件を、米大統領は、『戦争だ』と発言した。その事件を戦争と認識させる政治的必要(都合)が、米大統領にはあるのだろ
う。今後どのような経過をたどるのか、目が離せない。
アジア・太平洋戦争から60年、殺戮を伴う争うは、確実に変わって来た。そして、その納め方は、戦争の世紀でもあったといわ
れる20世紀の知恵を、どれだけ活かされてきたのか、大いなる疑問を感じる。
東京裁判とは、いったいなんだったのか、そして現代に、それをどのように評価し、継承し、活用してきたのか、あらためて考える
宿題を、この映画は提示しているように思う。
★『東京裁判』(1983年度作品:講談社、キングレコード)原案:稲垣俊、脚本:小林正樹、小笠原清、監督:小林正樹、ナレータ:佐
藤慶、音楽:武満徹、企画製作:講談社 277分
お薦め度 ★★★★★ |