本と映画の森(映像編) No.11

更新日:2015/2/15 

テレビドラマ『女信長』を観て
2013/04/14





子どもの頃、戦国武将の中で一番好きだったのは、文句なしに織田信長だった。戦国の世を終焉に導く行動力と新しい世を切り開
く先覚性、天下統一の直前に亡くなった悲劇性、ドラマチックな生涯に男の魅力を感じた。


 草履とりから天下人になった豊臣秀吉も好きだった。風林火山の武田信玄は男らしく、トラ退治の加藤清正も伊達長政も強く勇
ましく憧れた。私は大阪で生まれ育ったので、狸親父と揶揄された徳川家康には親しみが持てなかった。振り替えれば、子どもの
頃夢中になった見たNHKの大河ドラマ『太閤記』(緒方拳主演)の影響が多大である。


 歳を重ねてゆくに従って、さまざまな本に出会い読み耽(ふけ)り、仕事にもまれ、それなりに人生経験を重ねると、視野も興味も
考え方も広がり、惹かれる歴史上の人物も変わってきた。それでもやっぱり織田信長は、私にとって捨てがたい人物の一人であ
る。時代を切り開く信長の力は、私にとって憧れをかすませない魅力を今も放っている。


 新聞のテレビ欄に『女信長』というタイトルを目にしたとき、信長が女であったという設定に、反射的に、歴史を冒涜(ぼうとく)する
許し難い嫌悪感をもった。さまざまな切り口があっても良いが、私にとって男の中の男である信長が、よりによって、なぜ女なのか。
私には想像を絶する発想に、驚きを超えて呆れ果てた。


 しかし、主演が天海祐希と知ったとき、『ちょっと待てよ』と何か電気が頭の中を走ったような気がした。山田風太郎風の奇想天
外なドラマに、天海祐希がシリアスに信長を演じたなら、『面白いかもしれない』と、私の遊び心が踊り始めた。二夜連続であること
も、5時間近い長さも良いかもしれないと思った。そんな予感がした。


 宝塚を見たことのない私でも、天海祐希が宝塚歌劇で男役だったことは知っている。引退後は、多くのトレンディードラマに出演
し、今では人気女優として、押しも押されもしない存在であることも承知している。しかし、私は彼女のドラマをほとんど見たことがな
い。トレンディードラマにまったく関心が無いからだ。けれど、天海祐希は、気になる女優として、私の中で信号を発している。それ
は何なのか、自分でもわからない。女優としての演技力、女としての円熟度、そして信長をどのように描くのかという脚本にも興味
が膨らんできた。


 そして期待に胸膨らませてテレビの前に座った。遊び心によるハチャメチャな喜劇ドラマではなく、逆に、新しい解釈の可能性に
よるシリアスな信長像を展開した。期待を裏切るどころか、期待以上に面白かった。時代劇のテレビドラマで興奮したのは、もう何
年ぶりだろうか。グイグイと画面に引き込まれ、二夜とも飽きることなく、面白かった。


 登場人物と役者にミスキャストがなく、総ての役者が、このドラマに打ち込む情熱が演技から感じられた。全員が熱演だった。光
秀役の内野聖陽、秀吉役の伊勢谷友介、柴田勝家役の中村獅童、御濃役の小雪、御市役の長澤まさみ、名を上げればきりがな
く、全員が役になりきっていた。


 そして、何よりも、この信長役をするために生まれてきたのではないと思わせるほど、天海祐希は嵌った演技だった。天海祐希
の魅力を引き出す脚本であり、演出なのかもしれないが、私は天海祐希に魅せられた。きびきびした動きと、しなやかな動き、切り
返す動きが良い。声が凄く良い。言葉がはっきりして、強弱のメリハリがきちんとしている。さすが、宝塚で男役をしていただけのこ
とはある。


 男として育てられ、男になりきってしる信長を演じる天海祐希に、私は惚れ惚れした。今まで演じられたどの俳優よりも、信長らし
い信長だったように感じた。御長として女に戻った信長は、形振(なりふ)りは女だが、心まで一直線に女という単純なものでない難
しい演技に、もしかすれば天海祐希が演じるにあたって、一番迷い続けた役柄だったのかもしれない。信長が女として長政や光秀
に恋をしているとき、切なさを演じる天海祐希はとても魅力的な女性だった。


 時代劇として、歴史考証をしっかり押さえて、歴史ドラマを好く心掛けたストーリだった。定番の解釈に沿った人物像の武将もい
れば、新しい解釈の新しい人物像で描く武将もあり、そのバランスも悪くない。ストーリの展開もメリハリがあり飽きさせない。子供だ
ましのようなセットは一つもなく、合戦シーンは迫力があり、スケールも申し分なかった。本格的な映画を思わせる画面であり、テレ
ビドラマとは思えない丁寧さである。


 しかし不満がないわけではない。信長が女であるならば、浅井長政に恋をしたかもしれないと私も思う。しかし、その恋が、長政
の裏切りで終わったのだから、信長の性格上、二度と恋に陥ることはないと思う。信長として男として生きて行く苦しさ寂しさから逃
れられなくて、明智光秀に恋をするという展開は、判らないでもないが、私は残念に思う。信長に二度目の恋などして欲しくなかっ
た。しかし、この恋心が、ドラマとしては、重要なポイントになるのだが・・・。


 次に、山崎の合戦後、天下と引き換えに秀吉が光秀を逃がすのも、ちょっと不自然に思える。光秀を助けるのならば、それまで
の過程で、秀吉は光秀に借りがある伏線を描いておくべきだ。たとえば、姉川の合戦で殿(しんがり)を努める秀吉が長政軍に攻
められ、光秀によって秀吉が命拾いをする場面を挿入するなどの工夫をすべきではないかと思う。


 逆に、歴史として面白い解釈だと思ったのは、毛利攻めの秀吉が毛利と和睦して連合軍となって、信長を攻めるという仮説。ま
た、その毛利・秀吉軍を、信長が光秀と合流して対抗するという仮説も興味深い。もしかしたら、そのようなことが水面下で模索して
いたのかもしれないと、ふと思った。


 『本能寺の変』は、私にとって日本史上、最大の謎だと思う。なぜ、光秀は信長を討ったのか。信長、信忠親子を討った後、光秀
はどのような政策を考えていたのか。歴史に「もしも」はないけれど、もし『本能寺の変』が起こらなくても、信長の寿命の長さにもよ
るが、江戸時代のような長期にわたる織田時代は誕生しなかったように私は思う。内にも外にも敵が多い信長には、その政権は短
命に終わったような気がする。


 「もしも」を続けると、もし『本能寺の変』のとき、家康が伊賀越えに失敗したり、『関が原の戦い』で負けたり、『大阪夏か冬の陣』
で家康が殺害されていたならば、日本史はまったく違ったものになったに違いない。毛利元就、上杉景勝、伊達政宗、福島正則、
加藤清正、石田三成などさまざまな武将が健在だが、残念ながら家康以外に安定政権を築く人物だとは、私には思えない。家康
が長生きしていなければ、再び世が乱れ、不安定な時代がしばらく続いたのではないだろうか。日本はまったく違った歴史を歩み、
現在の日本は、違った国のかたちになっているに違いない。そうなれば、私は今ここに存在していない。こうして生きてゆけるの
は、家康さんのお陰である。


 信長が女であったらという設定は、遊び心に溢れ、最初から、架空の話として気楽に楽しめる。上記したように、もし『本能寺の
変』で家康も亡くなっていたならば、という仮定をもとにして、歴史家の考察のもとに、ドラマを交えながらドキメンタリーとして実験的
な番組が作れないだろうか。このような『もしも』は、歴史を検証するに当たって、問題を含むけれど、面白い切り口になりはしない
だろうか。歴史ファンを掘り起こし、歴史的事件を多角的に見つめ直すきっかけにもなるかもしれない。そう思うのは、私だけだろう
か。



2013/4/14  脱稿

お薦め度 ★★★

テレビドラマ『女信長』
放映日:平成25年4月5日、6日
原作:佐藤賢一
脚本:橋本裕志
音楽:久石譲
製作:フジテレビ

信長・御長:天海祐希
明智光秀:内野聖陽
御濃   :小雪
羽柴秀吉:伊勢谷友介
御市   :長澤まさみ
浅井長政:玉山鉄二
土田御前:高畑淳子
柴田勝家:中村獅童
徳川家康:藤木直人
服部半蔵:佐藤浩市
織田信秀:西田敏行


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