今年も夏が来た。
あの『日本のいちばん長い日』から、57回目の夏だ。
今年の8月15日正午、私は家族旅行で金沢・兼六園を散策していた。家族揃って笑顔の写真を何枚も撮り、冷えたビールを飲
み、上げ膳据え膳の贅沢な旅の真っ最中だった。冷暖房完備の宿で休暇を満喫できる時代が来るとは、半世紀以上前の日本人
には、考えられな かったことだろうと思う。
暑くなればなるほど、あの戦争に巻き込まれ亡くなっていった多くの人々魂が、あの戦争のことを考えてくれと叫んでいるように、
私には思えてならない。一日だけでもいいから、暑い夏の日を、エアコンのスイッチを切って過ごすべきだと思い、私はそのように
過ごしている。それが私の中で、あの戦争を風化させない自分自身の義務だと思っている。
私は今年の夏、映画『プライド 運命の瞬間(とき)』 (平成10年作品:東映映画、監督:伊藤俊也、脚本:松田寛夫、伊藤俊也、主
演:津川雅彦、161分)をビデオで観た。東京裁判を中心に、東条英機を主人公にして、敗戦(1945年)から刑が執行された日(1
948年12月23日)までを描いている。
私は戦後生まれで、先のアジア太平洋戦争のことは、書物や映像での知識だけで、当時の生臭い生活感覚がこびりついた受け
止め方は出来ないでいる。どちらかと言えば、東条英機も西郷隆盛も感覚的には、同列の歴史上の人物として理解しているところ
がある。しかし、私の父も母も東条英機と同時代に生きて、父も母も戦争に巻き込まれ、私には計り知れないことを経験している
が、口を閉ざして多くは語ろうとしない。
特に母は昭和19年春に家族で満州に渡り、20年暮れに帰国したのですが、その満州で自分の母も弟妹も亡くしています。当時10
代の母は何を見て、どのような経験をしたのか、ほとんど口にしません。
父は20年3月13日の大阪空襲時、大阪の大国町近辺に住んでおり、町内の消防団員だったので、焼夷弾で町が燃える中、何人も
避難誘導したようです。『あの時、地下鉄の入り口が開いていたならば、多くの人が助かっていたかもしれない』と、口惜しそうに言
います。
広島長崎で原爆で亡くなった人々は悲劇ですが、東京、名古屋、大阪など大都市の焼夷弾空襲や、シベリア抑留で亡くなった
人々のことは、それほど大きく取り上げられないことに、やりきれない思いがあるようです。
日本は出先機関の暴走によって、非戦闘員の一般市民を虐殺したことはあるでしょうが、米国やナチス独国のように、国の命令
で一般市民を大量虐殺(原爆や空襲やガス室など)していないことを、マスコミは何故指摘しないのかと思います。
先の戦争は何だったのか?をテーマにして製作されたこの映画は、東条英機が処刑されてから50年目に発表された。津川雅
彦さんを始め役者さんは、みなさん熱演だったし、いろんなことを学ばせてもらったが、先の戦争を冷静に考え直すには、私には多
少不満の残る出来栄えに思えた。
先の戦争の捉え方が浅く多面的でなく、戦争責任について平衡的視点が揺らいでいたこと、東京裁判が行われた3年間の世界
情勢の変化や、戦勝国同士(米、ソ、中、英等)の思惑と駆け引きが安易で一面的だったことなど、私には残念でならなかった。
例えば、東京裁判については、小林正樹監督が当時のニュースなどの実写映像で編集した映画『激動の昭和史・東京裁判』(2
77分)の方が見応えがあった。
東条英機の人間性についても、もっと血の通った描き方があったように思う。日本の政治と経済と軍部を世界世情の中で捉え
て、東條の対極として一般市民の平均的な感覚を押さえながら、東條の苦悩をもっと掘り下げて描いて欲しかった。
昭和19年7月18日東條内閣は辞職し、小磯国昭内閣になり、さらに鈴木貫太郎内閣によって終戦を向かえたが、内閣辞職後の
東條英機は、何を考え何をしてい たのかを描いて欲しかった。
昭和天皇は日本政府とこの戦争について、どのような関わり方をしていたのかについても、触れて欲しかった。日本政府は、何
故戦争に踏切ったのか、どのように終わらせるシナリオを持っていたのか。
この映画の中で、東條と重光葵外相が『大東亜共栄圏』について語る場面があるが、その中味も歴史的評価も描かれなかった
のは、残念でならない。何よりも、この戦争は日本政府にとって、何だったのかを考えさせるヒントを与えて欲しかった。
昭和天皇が崩御され、昭和という時代が終り、そして時代は二十一世紀へと時を刻んできた。時間の経過と共に、忘れ去さられ
ることが増えてゆく反面、閉ざされた資料が公開されてゆき、新たな資料が発見されたり、口を閉ざしていた人々がポツリポツリ語
り始めたりと、民主主義の言論表現の自由も手伝って、全体像が徐々に明らかになってきたのも事実だと思う。しかし、葬られた真
実が数え切れないほどあることも、忘れてはいけない。
この映画『プライド 運命の瞬間(とき)』は、東条英機の孫娘である東條由布子の著作『祖父東条英機「一切語るなかれ」』(文春
文庫)が、参考文献とされているようだ。執筆に踏切られ、出版された東條由布子さんの決断と勇気に感服する。このような実録物
が、いろんな方によって執筆され出版されてゆくことを、私は期待したい。例えば、B級C級の戦犯裁判、シベリア抑留、沖縄戦線、
大都市への焼夷弾空襲など、そして戦争責任について、誰が誰に対してどのような責任があるのか検証する作品の登場を望む。
二十一世紀に入って、きな臭い匂いを、私は強く感じる。映像として、あの戦争の真実と意味を冷静にき っちり問う作品が製作
されることを切望したやまない。もうすぐ、終戦から60年になる。人間でいえば還暦である。ひとつの時代の節目であったあの戦争
を、きちんと整理して克明に描く映像を、愚かな戦争を繰り返さないために、未来社会を築く人々への警告として、まとめ上げること
は二十世紀の人間にとって義務だと思う。
参考書籍
東條由布子:『祖父東条英機「一切語るなかれ」』(文春文庫)
文芸春秋社:『昭和天皇 独白録』(文春文庫)
佐藤早苗 :『東条英機 封印された真実』(講談社)
佐藤早苗 :『東条英機 わが無念』(河出文庫)
小林弘忠 :『巣鴨プリズン 教誨師花山信勝と死刑戦犯の記録』(中公新書)
鳥巣建之助:『太平洋戦争 終戦の研究』(文春文庫)
吉田 裕 :『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)など
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