今年(2009年:平成二十一年)第81回米アカデミー賞(映画芸術科学アカデミー主催)の発表・授賞式が2月22日(日本時間23
日)に行われ、滝田洋二郎監督(53)の「おくりびと」が外国語映画賞に選ばれた。56年度(29回)に同賞が独立した賞になって以
来、日本作品が受賞したのは初めてのことらしい。また、加藤久仁生(くにお)監督(31)の「つみきのいえ」が短編アニメーション賞
に選ばれた。日本人監督作品の同賞受賞は初めてのことで、このニュースは、急激な世界的不況に飲み込まれている日本にとっ
て、人々の心に明るい話題として好意的に受け容れられた。
昨年、ラジオで『つみきのいえ』をラジオで紹介されたとき、興味を持ち機会があれば是非観たいと思ったが、『おくりびと』を新聞
広告で知ったとき、興味深いところにスポットを当てた点に驚ろかされたが、それほど観たいとは思わなかった。ところが、今回アカ
デミー賞を受賞して、さまざまなメデアで紹介され、映画の内容などに触れるにつれて、『つみきのいえ』同様に機会があれば観た
い気持ちに変わってきた。報道の力は凄いものだと、そんな点にも感心させられたオマケが、個人的にはあった。
映画を観るきっかけは、その様な話題性、宣伝、批評などに影響されるだけでなく、個人的に注目していたり好きな監督、脚本
家、出演者などが関わっていることも、大きな要因だと思う。
『阿弥陀堂だより』を見るきっかけは、樋口可南子さんが出演していることを知ったからである。樋口可南子という女優に興味を
持ったのは、私が学生時代、福永武彦氏の小説に凝っていたときがあり、その当時まだ新人だった樋口さんのインダビュー記事
で、彼女が『好きな作家』に福永武彦の名前を挙げていた。それ以降、樋口さんに興味を持つようになった。
『阿弥陀堂だろり』のストーリーは、信州の山里を舞台に、心に病を抱えている女医の妻・美智子(樋口可南子)が、売れない作
家の夫・孝夫(寺尾聡)に支えられながら、村の人々とのふれあいを通して、病気を克服してゆく物語である。波乱万丈なストーリも
なく、派手なアクションも無く、大きな事件も無く、淡々と時間が流れてゆく地味な映画であるが、樋口さんの抑えた演技も貢献して
いるだろうが、心がじわーっと温まってきた。出演者と監督をはじめスタッフ一同が心をこめてじっくり作り上げた気持ちが伝わり、
信州の美しい自然の映像と音楽が、映画の余韻をいつまでも包んでくれた。久しぶりに、静かな感動を覚えた映画だ。
主人公・孝夫と妻の美智子夫婦が、この村で暮らしている四名の人々とのふれあいを丁寧に描かれる。その四名とは、阿弥陀
堂という村の死者が祭られたお堂に、ひとりで暮らしている96歳のおうめ(北林谷栄)さん。その阿弥陀堂を訪ね、おうめが日々思
うことを書きとめて、村の広報誌に『阿弥陀堂だより』というコラムを掲載している小百合(小西真奈美)という少女。この小百合さん
はしゃべることが出来ない難病を患っている。癌に侵されながら死期を潔く迎えようとしている中学時代の恩師・幸田老人(田村高
廣)。そんな夫に寄り添い、静かに彼の生き様を受け容れている妻のヨネ(香川京子)さん。
この映画に登場する人々は、決して豊ではなく、恵まれた環境でもないにもかかわらず、誰一人焦らずのんびりと生きていること
が、優雅でもあるような錯覚を陥るほど、静かな驚きを感じた。どうして、このように暮らしていけるのだろうか。おそらく、ドラマの舞
台が山里であり、そこに流れている時間の早さがゆっくり描いてあることに気付いた。世界中どこでも一日は24時間には違いない
けれど、時間の流れの速さを生み出しているのは、なんだろうかと、この映画を観ながら考えさせられた。
主人公の孝夫は、ほとんど収入の無い売れない作家であるが、実に堂々として日々を暮らしている。私は、そのような態度は絶
対とれない。彼が落ち着いていることが、妻の養生に貢献しているのは確かであるが、この落ち着きは、一体何処から来るものな
のか。今の私には理解を超える領域である。しかし、このようなのんびりした暮らしぶりに、私は凄くあこがれる。風景の美しさ、
人々の人情の厚さなど、それは子どもの頃の郷愁であり、一つのユートピアに思えた。懐かしさが憧れと感じるようになったとき、老
いの域に足を踏み込んだ証拠かもしれない。この映画にある種の理想を感じた私は、自分自身の気持ちの中に心の老いを見たよ
うで、ちょっとショックを受けた。
小百合さんがコラムで紹介する数々のおうめさんの言葉に、ハッとさせられるものが、いくつもあり、その一つを紹介する。『目先
のことにとらわれるなと世間では言われていますが、春になればナス、インゲン、キュウリななど、次から次えと苗を植え、水をや
り、そういうふうに目先のことばかり考えていたら知らぬ間に九十六歳になっていました。目先しか見えなかったので、よそ見をして
心配事を増やさなかったのがよかったのでしょうか。それが長寿のひけつかも知れません。』 そのほか、自分の生活を見直すべ
き言葉が、教訓としてではなく、優しく寄り添うようなぬくもりをもって紹介される。老婆と少女の暖かなまなざしが、私の胸にささやく
ような余韻として残った。
この映画を観た感動が、私に原作の『阿弥陀堂だより』を読ませた。映画とは、違った視点で描かれており、映画とはまた違った
感動を得た。そして、著者である南木佳士氏という作家を知ったことは、大きな収穫だった。南木氏の『山中静夫氏の尊厳死』『医
学生』『ダイアモンドダスト』などの作品を立て続けに読んだ。南木氏は作家であると同時に医師でり、その医師としての視点による
作品から、個人的に得るものも多くあった。
なお、この映画の監督である小泉尭史は、『雨あがる』『博士が愛した数式』を監督されたことを」、最後に付け加えておきます。
映画『阿弥陀堂だより』小泉尭史監督
2002年度作品 原作:南木佳士 脚本:小泉尭史
脱稿 2009/3/1
2009/2/7脱稿
お薦め度 ちょっと甘いですが★★★★
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