本と映画の森(映像編) No.9

更新日:2015/2/15 

映画『山本五十六・70年目の真実』
2013/02/11





私の父は、大正15年1月京都で生まれた。15歳で大阪の立売堀の商店に丁稚奉公に出された。昭和20年1月下旬、京都で徴
兵検査を受け、甲種合格。このとき、5年ぶりに同窓生(クラスメート)と再会し、志願兵の同窓が二名戦死したことを知る。大阪・大
国町で、3月14日の大阪空襲を経験した。それ以降、何度となく空襲等を経験し、徴兵されることなく、大阪・堺で終戦を迎えた。


 父の兄は徴兵されたが、内地で終戦を向かえた。父の両親と弟妹は、奈良に疎開しており家族は一人も欠けず、とても幸運だっ
たといえる。奈良に疎開した両親は京都に戻ることなく、その後も奈良に住み続けた。大阪で住み込みだった父は、奈良で結婚し、
所帯を大阪で構えたこともあり、子どもの頃の友人や同窓生と交流は、徴兵検査以後なく現在に至る。


 私の母は、昭和5年3月、京都で生まれた。志願兵で航空隊に入った母の兄を除いて、昭和19年家族一家で満州に渡る。昭和
21年、一家は命からがら京都に戻ったが、母の母(私から言えば祖母)と、母の弟と妹が満州で亡くなった。母や妹弟は、一つ間
違えれば中国孤児になっていた。航空兵だった母の兄は、20年秋、大きな負傷も無く日本に戻った。母の父(私から言えば祖父)
は、オシャレで好奇心の強い行動家で、一攫千金を目指して満州に渡った悔いを、その後の人生を通して背負うことになった。


 父は自分の空襲体験を機会があるごとに話した。また知人の戦争体験を何度も私に話した。空襲で多くの戦死者を目の当たり
にしてきた父は、戦争の悲惨さを私に伝えたかったのだろう。そして、毎年夏になると封切られる戦争映画を、私と弟を連れて観る
ことが習慣のようになっていた。印象に残っている作品は、五味川純平の『人間の条件』や『戦争と人間』、『日本のいちばん長い
日』『連合艦隊』『トラ・トラ・トラ』『東京裁判』などである。特に『人間の条件』と『日本のいちばん長い日』を観たのは、私が小学生か
中学生だったので、きちんと内容を理解したとは思えないが、人間が虐げられ虫けらのように殺される映像にショックを受けた。当
時、私はTVアニメ『0戦はやと』や漫画雑誌・週刊マガジンに連載していた『紫電改のタカ』(ちばてつや作)のファンで、戦闘機や戦
艦大和などのプラモデルを作り、戦争に勇敢で男らしくかっこいい一面を抱いていたことを、映画『人間の条件』で全面否定され衝
撃を受けた。


 母は、戦争のことは一切話さない。一言もしゃべろうとはしない。私は山崎豊子さんの『大地の子』を読んだとき、なんとなく母の
思いに触れたような気がした。NHKでドラマ化されたとき、母は熱心に視聴していた。そして、私に山崎さんの原作を貸して欲しい
と言い、母は何度も読み返した。しかしドラマについても小説についても、今でもほとんど話そうとしない。


 私が大東亜戦争に関心を持ったのは、父の影響が強いように思う。昭和天皇が崩御し、雑誌『文芸春秋』に『昭和天皇独白録』
が掲載され読んだとき、驚きを覚えた。それまでの昭和天皇の印象は、TVニュースなどで紹介されるお姿から、私には好々爺であ
った。何かの催しに於ける『お言葉』は、自分の意見を一切述べず、口をもぐもぐさせながら穏やかでユーモアを含んだ話しぶり
は、ちょっと気難しそうだが善いおじいさんである。226事件と終戦の聖断以外は、即位されてから崩御されるまで、政治にも軍に
も口を挿まず、いや、国内国外の正確な状況を知らされず、意思をあらわにすることなく過ごされたものだと思い込んでいた。しか
し、『昭和天皇独白録』の読後、豊富な情報を得て状況を正確に把握し、きちんと意思表示されていたことを知り、私の昭和天皇像
がすっかり変わった。


 『昭和天皇独白録』以降、私は積極的に大東亜戦争に関する書籍や報道に触れるようになった。それまでは、政治家が軍部の
暴走を抑えきれず、軍部内は海軍と陸軍は対立し、陸軍は内部抗争が絶えず、資源力生産力情報力軍事力政治力のいかなる点
においても欧米各国に劣っており、何よりも陸軍、海軍、外務省の意思の疎通が希薄で、無謀極まりない戦争に国民を引きずり込
んだというイメージを、私は事実と思い込んでいた。ベールを剥がすように少しずつ事実を知り、その事実を一つひとつ積み重ねて
ゆくと、次々に新たな疑問が湧くようになった。


 勝者が敗者を裁いた東京裁判は、事後法である『平和に対する罪』による処罰など、さまざまな問題を含んでいる。例えば、被
告の人選にさえ疑問を感じる。被告28名の内訳は、陸軍15名(全員・陸軍大学校卒業)、海軍3名(全員・海軍大学校卒業)、文
官9名(7名・東京帝国大学法学部卒業、1名・京都帝国大学法学部卒業、オレゴン大学・法学部卒業)民間人1名(東京帝国大学
文学部卒業)である。アメリカ主導(キーナン主席検事は米国人、裁判官のウエッブはオーストラリア人)で行われた裁判で、真珠
湾攻撃をしたのは海軍であるにもかかわらず、被告の比率は、陸軍5、海軍1、文官3である。判決は全員有罪となり、絞首刑され
たのは7名で、その内訳は、陸軍6名、文官1名である。海軍は絞首刑を免れている。終身禁固は16名で、その内訳は陸軍9名、
海軍2名、文官5名。告訴された比率も、判決の重さの比率も、極端に陸軍に偏っている。戦争責任は、海軍は陸軍よりも、文官よ
りも本当に罪が少ないのだろうか。日本人自らが戦争の責任を裁けなかったが、いや、今尚大東亜戦争を総括していないことが大
きな問題だ。戦争責任を含めて、大東亜戦争そのものをきちんと検証し、それが今後の防衛を含めた日本のあり方の指針となる
総括をすべきである。


 現在、私の知人で戦争体験者は一人もいなくなった。父の兄も母の兄も故人となり、戦争の話をほとんど聴くことなく亡くなった。
生の声を聴けなくなったことを、私は強く悔やんでいる。銃を持たない母が息子の私に戦争のことを一言も話さないように、戦争経
験者の口は重いに違いない。しかし、戦後何十年という長い時間の経過が、体験の自縛から少しずつ解かれ、戦争をどのように総
括しているのか、私は経験者の口から聴きたい。次々に公開される国内外の多くの資料から、戦争全体像が一枚一枚ベールをは
がされてゆく。真実が明らかにされてゆく。それは素晴らしい一面を持っているが、それ以上に、戦争体験者の声、戦争についての
搾り出した思いの一言が、今になって、私は凄く貴重に思えてならない。


 2011年12月半藤一利氏監修による映画『聯合艦隊司令長官・山本五十六・70年目の真実』(成島出監督、役所広司主演)の
封切を待ちわびるように、父はいそいそと出かけた。母は行かなかった。帰宅した父に感想を訊くと、期待はずれであったことを大
阪弁で短く応え、多くを語ろうとしなかった。映画『山本五十六』に、87歳の父は何を期待していたのだろうか。ここ数年前から、父
は大東亜戦争のことを『愚かなことをした』というだけで、自分が経験した空襲のことも知人の戦争体験も、ほとんど話さなくなった。
今になれは、父にとって戦争は虚しさだけが胸に広がるだけなのだろうか。


 今年(2013年・平成25年)正月、地デジで映画『聯合艦隊司令長官・山本五十六』が放映され、私は茶の間で家内と娘と一緒に
視聴した。20代前半の娘は、『一つひとつの事実を羅列しているだけで、何故そのような事態になっていったのか、何故そのような
経過を連ねてしまったのか、その原因が単純化されて、太平洋戦争の知識が無いので、よく分からない』という感想だった。そし
て、『日本がやってきた太平洋戦争のことを、あまりにも知らなかった』と反省を忘れなかった。


 アクション映画好きの家内(50代前半)は、『昔観た「トラ・トラ・トラ」や「パールハーバー」の方が迫力あった。今はCGを駆使で
きるのに、戦闘シーンが物足りなく、戦争の悲惨さが伝わってこなかった。ドキメンタリーでもなく、ストーリの面白さもなく、総てが中
途半端だ』と、辛口の批評だった。


 「誰よりも戦争に反対した男がいた」が、この映画のキャッチコピーだが、本当に山本五十六は戦争回避に真剣に取り組んだの
か、私は疑問を持っている。大東亜戦争突入の大きな一つの原因は日独伊の三国同盟締結であり、山本がそれに反対の立場で
あったことは事実だ。しかし、当時中国と戦争をしていた日本が、アメリカとの戦争拡大の回避に、山本は最後まで努力を惜しまな
かったといえるのだろうか。


 1939年(昭和14年)9月1日、ドイツがポーランド侵入し、欧州で第二次世界大戦が勃発する。ドイツの猛進撃に、フランスは
一ヶ月で降伏。オランダは亡命政権がイギリス本土に落ち延びる。V1号V2号でロンドンは連日連夜爆撃を受けたイギリスは、アメ
リカに助けを求める。しかし、他国での戦争にアメリカ国民を巻き込まない公約でルーズベルトは大統領選挙を勝ち取り、事実アメ
リカ国民は戦争参加に消極的だった。イギリスを助ける為にルーズベルト大統領は、ドイツに先制攻撃をさせるような挑発を繰り返
すが、ヒトラーは乗ってこなかった。


 そこでルーズベルト大統領は、日本を挑発し追い詰めて、日本にアメリカを先制攻撃させ、三国同盟の関係からドイツがアメリカ
に参戦を仕向けた。この罠に嵌ったのが日本であり、山本五十六だったと、私は理解している。アメリカは、欧州の戦争に参加す
るために日本を利用し、戦勝国になって世界制覇の確かな足がかりを築くことになった。

 世界史的にはアメリカを第二次世界戦争に引きずり込み、日本史的には大東亜戦争にアメリカを引き込んだのは、山本五十六
自身であったと言えなくもない。アメリカとの戦争回避を願っていた山本が、いつ、アメリカとの戦争を決意したのか、その点を映画
は丁寧に描くべきだったと思う。


 当時、ハワイ攻撃に関して、もっとも熱心だったのは山本だった。陸軍や海軍はアメリカ攻撃作戦に、どれほど積極的であったの
か疑問である。ミッドウェー作戦も山本一人が熱心だった。ハワイ攻撃もミッドウェー作戦も結果論で話すことには、ためらいがある
が、各作戦実行に於ける山本五十六の行動には、納得いかない点が多々ある。何故、現場で直接指揮を執らなかったのか。ハワ
イ攻撃のときは瀬戸内海で戦艦長門に乗船していた。ミッドウェー作戦では空母四隻よりはるか後方540q地点の戦艦大和に乗
り、部下と将棋をしていた。しかも、自ら計画した作戦を、第一艦隊の南雲忠一中将等と緻密な打ち合わせもしていない。1905年
5月の日本海海戦で、東郷平八郎が旗艦「三笠」の艦上で、命を張って作戦遂行の指揮を執った姿勢とは雲泥の差である。何故、
山本は自ら指揮を執らなかったのか、その点を映画はまったく描かなかった。


 二人の新聞記者(香川照之と玉木宏)が、今までの戦争映画と違う視点を提供したのは良かった。しかし、政治家や陸軍の軍人
などの出演はほとんどなく、当時の政治状況がきちんと描けていない。何よりも、海軍内部組織(軍政を掌握する海軍大臣と軍令
を掌握する軍令部総長)の力関係がよく分からなかった。また海軍の世界認識がヒトラーの「わが闘争」論議?だけでは不十分
で、海軍三羽烏と呼ばれた井上成美、米内光政と山本が、海軍の中でどのような立場でどのように見られていたのか、もう少し丁
寧に描くべきだった。


 居酒屋での一コマが当時の世の中の雰囲気を、主に二人の新聞記者との会話が山本の心情を、食堂での給仕の少女との短い
シーンや、家族との食事の場面が山本の人柄を、そして元海軍中将堀悌吉との会話で山本の本音を紹介している。しかし、どこか
わざとらしい印象を持った。山本の帰宅シーンは、まるでサラリーマンのような印象を持った。その山本の後姿に、日本を背負って
いる重圧が感じられなかった。山本が死ぬまで10年近く愛人であった河合千代子に触れなくてもよいが、山本の息遣いが感じられ
るような生身の人間臭さを描いくべきだった。時代の先頭に立って日本を動かしている人間の苦しみと緊張感、精神的な強さと弱さ
を映像化して欲しかった。


 戦争に関する著作を多数もっている半藤一利氏が監修され、『太平洋戦争70年目の真実』と謳われた映画だから、父同様に私
も期待していた。昭和16年12月8日から昭和20年9月2日までの大東亜戦争において、戦争突入の責任の一端が山本五十六
にはある。そして、昭和18年4月18日ブーゲンビルで亡くなるまで、大東亜戦争の全体の半分について、山本には戦争遂行にも
責任がある。そのような山本五十六の仕事(功罪)と意味を、日本史からの視点ではなく、世界史の視点から、どのように評価すべ
きかに関心と期待を持っていた。大東亜戦争にとって、山本五十六とは何だったのかを描いて欲しかった。しかし、娯楽映画として
も歴史映画としても、戦後66年経過して製作した作品として、映画史上に残る作品とは思えなかった。そして、70年目の真実と
は、何なのか、勉強不足の私には結局分からなかった。


 公開時、初日2日間で興収1億5078万7300円、動員12万4972人になり映画観客動員ランキング(興行通信社調べ)で初登場第2
位だったようだが、私を含めて吾が家での評判は、世間と掛け離れているようだ。吾が家の感覚がおかしいのだろうか。


 昨年(2012年・平成24年)8月15日、NHKで放映されたNHKスペシャル『終戦はなぜ早く決められなかったのか』は、とても見
応えのある1時間15分の番組だった。ヤルタ会議でソ連が日本に参戦するという密約を、スイス駐在武官が大本営に打電してい
る史料がイギリス・ロンドンの公文書館で発見されたという新事実から、この番組は始まる。日本はソ連の対日参戦を早い時期か
ら察知しながらソ連に接近した。強硬に戦争継続を訴えていた軍が、内心では米軍との本土決戦能力を不十分と認識していた戦
争の早期終結の道を探ろうとしていた。早く戦いを終える素地は揃っていながら、なぜ、そのチャンスは活かされていなかった。そ
れを探る番組だった。


 ストーリドラマの映画は、ドキメンタリー映画を超えられないのだろうか。『聯合艦隊司令長官・山本五十六』は、そんなことを考え
させられた。


2013/2/11 建国記念日に 脱稿
福井正敏


お薦め度 ★★

参考文献の一部
今年(2013年・平成25年)になって、読んだ大東亜戦争に関する書籍のみ列挙します。
古川隆久著『敗者の日本史21巻・ポツダム宣言と軍国日本』吉川弘文館2012/12/1
戸部良一(他5名)著『失敗の本質』中公文庫1991/8/10
百田尚樹著『永遠の0』講談社文庫2009/7/15



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