久しぶりに小説を読み、小説って良いもんだなぁーということを、あらためて思い起こされ、人間の生き方を教えられた思いがします。帚木蓬生著『国銅』(新潮2003年)は、一言でまとめれば、そんな小説です。
人足の視点から、奈良・東大寺の本尊、毘盧遮那仏如来像(いわゆる大仏)の建立をモチーフに、長門・奈良登の銅鉱山で採掘等の仕事に従事している貧しい若者・国人を主人公に、14人の仲間と共に都へ登り、工事の始まりから開眼供養会までの5年という長きにわたり工事に携わり、帰国するまでの物語です。
大きなドラマがある訳でもなく、感動を呼び起す展開もありませんが、長門での生活、大仏建立に携わった日々における周辺の人々の様々な生き様と、主人との係わり合いと成長の過程を、暖かい眼差しの描写が静かな感動となって、気持ちの良い小説に仕上がっている様に思いました。
山崎豊子さんが描く小説は、野心的に自ら人生を切り開いてゆく逞しく人間を多く取り上げられ、社会的な問題を正義感と野心の葛藤と挫折が、物語の構図になっているように私は思います。しっかりした作者の哲学に貫かれた中で、登場人物たちのアクティブな行動と苦悩を通して、生きる勇気と活力を私は頂いているように思います。
帚木蓬生さんが描く主人公には、山崎豊子さんが好んで登場させるような人物は少ないように感じます。それは、帚木蓬生さんが現役の精神科医であり、山崎豊子さんは新聞記者であったことが、大きな要因だと思います。帚木蓬生さんが描かれる人物には、底辺の人間の哀歓が滲み出ており、基本的な人間の生き方を、支えあうことに重きを置かれているが、山崎豊子さんは強い人間が社会を引っ張ってゆく点に美学を感じられているように思います。私はその両方に共感を覚え、どちらの著作にも好感を覚えます。どちらにも偏らず、その両方をバランスよく接することができれば良いのでしょうが、なかなかそのように行きかねるのが、私という人間です。
帚木蓬生さんの書籍との出合いは、『白い夏の墓標』です。それ以降、ほぼ全作品を読んでいます。『逃亡』『提督の防具』『閉鎖病棟』『安楽病棟』『臓腑農場』『三たびの海峡』など、どれも甲乙つけがたい作品であり感動を得ましたが、私個人にとっては、最初に出合った『白い夏の墓標』と『カシスの舞い』が印象深く感じます。長からず短からず過不足無く書かれ、ミステリーとしても十分楽しめて、個人的に興味を持つ医学的な情報量も多く、作品の完成度も高いように思います。
本書『国銅』は、帚木蓬生さんにとっては珍しくミステリー仕立てではなく、時代設定も古代(奈良時代)で、今までにない新しい試みに挑戦されたのかもしれません。しかし、作品に貫かれている作者の姿勢は、今までと変わらず、いや今まで以上に一貫して、人が生きてゆく為に一番大切なことを、読者に考えさせ思い起こさせることです。それは、相手を思い遣る人々への深い愛情であること、そして最後の最後まで人生を諦めてはいけないというメッセージです。著者自身が『空の色紙』(新潮文庫1997年)のあとがきに「人の営みを、良質の日本語で書き尽くした、面白くてためになる作品が、ひそかな目標である」と書かれています。終始実践されていることを、今回改めて知らされた思いがします。
古今東西老いも若きも、企業も個人も生きること、生き残ることが難しい時代になりました。このような時代こそ、帚木蓬生さんのような作品が、多くの人々に読まれることを、私はひそかに願っています。
2003.06.25 新潮社 1500円上下
お薦め度 ★★★
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