『需要と供給、損得勘定、快楽主義、利潤追求で世の中が動いていることは、公平なように見えて、人間にとって不幸なことではないのか』と、80歳に近い知人が声を絞るようにして言ったことがある。そして『戦前は、滅私奉公、お国の為に、親や家族の為に、自分を犠牲にして、貧しくても歯を食い縛って人間は生きていた。戦前の社会には多くの間違があったけれど、カネ、カネ、カネとゼニ勘定に血眼になって社会が動いている現在よりも、人間にとってシアワセな社会だったのではないか。現在はどんな理屈が通ッているのか知らないが、少なくとも人情の欠片もない社会が住みやすい訳が無い。物質的に貧しかった昔より現在の方が、本当は貧しく、遥かに地獄かもしれない』と、その知人は付け加えた。
この年老いた知人が言うほど現在が病んでいるとは思いたくないが、少なくとも人間のモラルは地に落ちてしまったように感じるのは、あながち誤りでは無い様に思う。そんな思いを強くしていたときに、犬養道子著『幸福のリアリズム』と出合った。日々さもしい気持ちに心が犯されて、実利主義に偏っているのではないかと、自分を疑い始めている私にとって、良いワクチンを頂いたような書籍だった。犬養さんの考え方に接して、心が浄化されるようだった。しかし、何処かに大変な落とし穴を感じたのも、正直な感想である。生きることの示唆に溢れているけれど、少し上品過ぎているように感じないわけではない。生き馬の目を抜く現代社会において、どろどろした人間の底力が欠けた論理のように感じた。しかし、何のために生きているのかという根本的な疑問にぶつかったとき、確実に何か示唆を受ける書物には違いない。自分のモノサシの目盛が狂っていないか、点検してくれるような一冊だと感じた。
2004/10/24脱稿
1980年1月15日 中央公論社
お薦め度 ★★★ |