新潟中越地震の災害を受けた方、心よりお見舞い申し上げます。
9月5日午後7時過ぎと11時50分過ぎに震度5の地震を2度起こった。震源地は和歌山の南方の海中でM7前後。大阪の吾が家でも結構長い時間揺れていた。例年になく今年(2004年)は台風が多く上陸し、浅間山が噴火し、地震が起こったので、本箱から埃のかぶった小松左京さんの初版本で読んだ『日本沈没』を取り出し、三十数年ぶりに読み返した。当時(1973年に『日本沈没』は発行された)は地震のメカニズムやプレートテクノニク説など、真新しい科学知識がふんだんに取り入れられたこと、日本が日本海溝に呑みこまれるという奇想展開な発想に目が奪われていたことを、今回読み返して知らされた思いがした。この小説はSF小説というよりも、高度な政治小説だと強く感じた。日本が沈没することで、ユダヤ人のように祖国を失ってさまよう民族にならぬように、総理大臣をはじめ関係閣僚や政治家、科学者などが如何なる対策を打ち出し実行するか示したシュミレーション小説ともいえる。作品が発表された1973年当時は、大阪千里万博が行われた3年後であり、首相を狙う4名を三角大福と呼び、田中角栄が総理大臣であった。日本で「政治が機能していた最後の時代だった」と私には思える。1956年(昭和31年)12月第11回国連総会で、日本の国連加盟申請が全会一致で可決し、12月18日国連総会議場で、重光葵が加盟への謝辞演説で『日本は東西の掛け橋となります』と結んだ17年目にあたる。
もし小松さんが同じテーマで、現在日本を舞台にして作品を書かれたならば、どのような小説に仕上がるか想像することは、現在を直視することにつながるように思う。日本では政治力は衰えてしまったが、企業はグローバル化した。米ソの冷戦は過去のものになったが、テロが世界を蔓延化し、祖国を失う1億2千万の日本人を受入れるだけ、1973年の当時と比べて、日本国および日本人は、世界に受入れられるものになっているのか、否か。そして、果たして世界の許容力は大きくなっているのだろうか、それとも厳しい状況なのだろうか? 小松左京さんの『日本沈没』は、今なお日本と世界を考える視点を投げ掛けているように思った。
2004/10/24 脱稿
1973/3/20 カッパノベルズ・光文社
お薦め度 ★★★ |