本と映画の森 (書籍編) No.11

更新日:2015/2/15 

久坂部羊著『破裂』 幻冬舎
2005/01/10



  『医者は、三人殺して初めて、一人前になる』という新聞広告に載ったセンセーショナルなキャッチコピーに惹かれて、久坂部羊著『破裂』(幻冬社:2004/11/25発売1890円)を購入した。読み始めると止まらず、いっきに読み終えてしまった。医療における今日的な問題を取り上げて、構成がしっかりして、小説の醍醐味をきちんと把握した筆運びと、読み易い文章によって、大変面白く仕上がっている作品だと思う。面白かったけれど、しかし、それ以上のものが無かったのも残念なことだが事実だ。


 その最大の原因は、病院、医療、安楽死を取り上げている小説なのに、医者が患者に真剣に向きあって治療する場面がまったく描かれていないことだと私は感じる。作者は医師でありながら、闘病患者とその家族に対するまなざしが欠落していることが、感動のない読後になってしまうのだと思う。


 また、重要な五名の登場人物(若き麻酔科医師の江崎、ジャーナリストの松野、エリート助教授の香村、厚生労働省のマキャベリの佐久間、医療裁判を起こす人妻の枝利子)の人間的な魅力が、描ききれなかったことだと思う。五名それぞれの主張や生き様に、読者が共感し肩を押すほどの説得力が、著者の筆から出てこなかったのが残念だ。また五名の主張と苦悩と信念を真正面から、もっと深く木目細かく描き、医療に関わる根源的な問題について、この五名のそれぞれの立場の主張をがっぷり四つに絡ませ、より深く議論させ闘わせるべきだったと思う。


 最近の私は小説やテレビドラマにはあまり関心がないのだが、ドラマ『白い巨塔』(山崎豊子著、井上由美子脚本)は毎週楽しみだった。久々に熱心に見入ったドラマだった。学生時代(1970年後半)に原作を読んだ感動が忘れられなかったので、テレビのチャンネルを合わせるようになったのだが、脚本も出演者の熱演も素晴らしく、ぐいぐい画面に引き込まれた。原作も脚本も久坂部羊氏の『破裂』より、魅力的な作品に仕上がっていると感じたのは、登場人物たちの信念と生き様に共感したからだと思う。


 久坂部氏は欲張り過ぎて、今日的なテーマを盛り込み過ぎだ。しかも取り上げている個々のテーマが、総て安易に扱えない問題であるために、どれもこれも中途半端なまま終わって、きちんと料理されていない。高齢者医療と痴呆と安楽死、医療現場の実態、医療裁判、それぞれで1本の長編作品が可能なテーマばかりである。本書は1143枚の長編だが、それぞれのテーマをきちんと書き切りまとめるならば、5000枚でも不可能かも知れない内容だと思う。

 

 その象徴と感じるのが、佐久間の企図する「プロジェクト天寿」そのものである。「プロジェクト天寿」の主旨は解らないでもないが、その内容は犯罪である。犯罪行為はどのように立派な主旨であっても、ミステリー小説としては面白く読めても、読者の共感は得られないものである。少なくとも私は拒絶反応を起こしてしまう。著者は現役の医者であることを考えると、医師としてもう少し現実的なアプローチの方法があったのではないかと、私は疑問を投じたい気持ちだ。


 私が好んで読んでいる現役医師の作家に、帚木蓬生氏がいる。人を描くまなざしに、帚木氏には暖かさを感じるが、久坂部氏には突き放したような冷静さを感じる。どちらが良い悪いではなく、これは読者の好みの問題だけれど、医師作家に共通している点は、人間の可能性は有限であるという冷酷な認識ではなかと、私は感じる。どこかで線を引かなければ、医療という仕事には、精神が参ってしまうことが要因ではないかと思う。それが医師という職業に就いた人間の後天的な性(さが)であり、身に付かざるを得ない職業的なものなのだろうか。


 近藤誠『患者よ、ガンと闘うな』や永野正史『患者よ、がんと闘おう!』を読んで、患者の心を安易に受け止め、自己中心的な医師の傲慢さを、私は感じないではいられない。 

 『医療が成功したかどうかは、病気が治ったかどうかではなく、その患者が幸せになったかどうかで判定されるべきものである。これが医療が基礎科学と大きく異なる点である。いかに手術がうまくいって、傷がきれいに治っても、その患者が幸せでなければ、その医療は完全に成功したとはいえない。亦、その患者の命を救うことがむつかしく、延命しか手段の無くなった場合に、延命が患者を幸せにするのでなければ、その処置はマイナスの意味しか持たないであろう。』と生命科学者の柳澤氏は言いきるが、常に人の生死に向きあっている医療に携わる医師には、現場の主張があるに違いない。


 生命は誰のものか? 死は誰のものか? 昔なら想像もしなかった人間の死が、医学の進歩と社会の価値観の多様化によって倫理観まで揺れている。現代医学の進歩によって植物人間や臓器移植等の新たな問題がクローズアップされ、人の死まで医術の管理下に置かれる現在は、生命も死も自分自身のものだとは言えない時代に入っているのが、疑いもない現実である。


 久坂部羊氏や帚木蓬生氏には、安易な妥協をせず、医療現場から生と死のテーマにがっぷり四つに組んだ、医療に関する人の息遣いのする人間ドラマの作品を、ジャーナリストから作家になった山崎豊子氏ではなく、医師の作家としてぜひ書いて欲しい。医者と患者が真正面から向きあいながら、治療と人生と死について徹底的に深く掘り下げ、『破裂』で取り上げられた問題(高齢者医療と痴呆と安楽死、医療現場の実態、医療裁判など)について描いて欲しい。それは医師のみが描けるものだし、作家になった医師としての責務だと思う。小説は問題提議の域を出ないけれど、大きな影響力を与える可能性があるのだから、作家として真摯な姿勢で描いて欲しい。


 本作品を通して、久坂部羊氏は作家としての実力を備えているように感じるが、人間として左右にぶれない平衡感覚を持った医師であるか、否かを見極めるためにも、久坂部羊氏の次作が、個人的にはとても興味深い。

 

2005/01/10 脱稿  


2004/11 幻冬社  1890円


お薦め度 ★★

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