本と映画の森 (書籍編) No.17

更新日:2015/2/15 

正高信男著『ケータイを持ったサル・人間らしさの崩壊』
2008/05/11




 著者は社会学者や評論家ではなく、現役の霊長類研究(つまりサル研究)の第一人者です。サルの生態や社会性につての記述は、サルからヒトへ、そしてヒトが人間になるために身に付けなければいけないことを端的に教えられました。改めて、人間とは何かをサルの生態から学んだように思います。その上で、現代における人間のサル化現象を指摘されています。

 私は仕事ではケータイを重宝していますが、仕事終了と同時に充電器におさめ、休日にはまずケータイを持ち歩きません。家族から「お父さんのは携帯電話になっていない」と批判されていますが、相手を無視して突然割り込んでくる電話は失礼極まりなく、基本的に大嫌いです。電話は傍若無人な道具であるという認識が、送信側にまったく無くなってしまったことに、私は憤りを感じます。相手への配慮を、なし崩し的に無視してきた土壌が、ケータイを野放図にしてきたと私は考えます。しかし、ケータイの有効性や可能性は大いに評価できるモノで、現在未来の日本社会にとって貴重な存在に違いないことは認めざるを得ません。ケータイに多くの機能を持たせることが、有益性以上に危険を含む可能性のことを忘れてはいけないと思います。

 一家団欒の夕食時にケータイをしている若い人たちは50%を越え、主婦でも3人に1人にのぼる(らしい)現状は、もはや異常事態であり、私は大いに憂うひとりです。時間場所をわきまえずケータイをいじる人々と、そのような人間を育てた人まで滅多切りにし、そこに潜む社会環境と原因まで踏み込んだのが本書です。本書に対する批判は充分承知された上で、著者は執筆されたのだと想像できるように思います。私個人的には、これほど痛快な本は、最近出合っていません。


2003年9月 中公新書 


 お薦め度 ★★

 

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