『日本のいちばん長い日』(1965年・文芸春秋社:大宅壮一編となっているが、執筆は半藤一利氏)を読んで以来、私は半藤一利氏のファンになり、多くの作品を読んだ。半藤氏の作品は、ちょっと硬くてとっつきにくいところがあるが、作品に入り込むと病みつきになる魔法が仕掛けられている。『昭和史(戦前編)』『昭和史(戦後編)』の二冊は、今までの半藤氏の作品とは異なり、読者へのサービス精神が開花したのだろうか、語り下しというスタイルで、囲炉裏で郷土料理を頂き熱燗をちびりちびり飲みながら、話を聞かせてもらっているような錯覚に陥るような楽しい作品だった。
『昭和史』を読み終えたときに、幕末や明治も『昭和史』のような通史のタイプの作品を出されないものかと思った。私のような思いの人が多かったのだろうか、新聞に待望の新作『幕末史』の広告を見つけたとき、直ぐ書店に行き購入した。黒船来航(嘉永六年1853)から、西南戦争の翌年大久保利通が暗殺された明治十一年(1878)までの25年間を、『昭和史』のような語り下した作品である。明治十一年まで扱っているのだから、『幕末・維新史』とすれば良いものを、あえて『幕末史」としているところに、この時代を捉える半藤氏の歴史観が窺(うかが)える。
変革期には、まるで時代が人物を必要とするように、躍動感溢れる人間を多数登場させる。特に戦国時代、幕末維新は、小説や映画やドラマで取り上げられるような人物が、数え切れないほど登場する。彼等の武勇伝に目が行きすぎて、私自身きちんとそれぞれの時代を把握していないのではないかと、いつの頃からか、考えるようになっていたので、期待を持って『幕末史』を読んだ。
半藤氏は、この『幕末史』のまえがきにあたる『はじめの章』の中で、『《幕末のぎりぎりの段階で薩長というのはほとんど暴力であった》と司馬遼太郎さんはいいます。私(半藤氏)もまったく同感なんです。』と記し、薩長がいつ頃から、どのようにして暴力になっていったのか、そして、その暴力の実態と中身が、時間を追って克明に綴ったのが『幕末史』である。時代の現場に居合わせたような臨場感いっぱいの語り口は、ぐいぐいと時代の中へ私を引き込んでゆき、歴史を堪能させてくれた。個人的には、維新直後の薩長の実態と、維新後の勝海舟の仕事ぶりの二点は、新しい知識を頂き、とても興味深かった。
均衡が保たれているとき、緊張感が漲(みなぎ)っていても、大きな変化は起こらない。しかし、何らかの原因で均衡が崩れたとき、社会に大きなうねりが起こる。そのうねりに方向が定まるまで、さまざまな方面からエネルギーが加わり、のらりくらり揺れ始める。それが、何かをきっかけに強い方向性を持ったとき、大きな潮流となって一気に動き出す。そうなれば、もうエネルギーが枯渇するまで止められぬものになってしまう。薩長自身がさまざまなものを巻き込んで、自らの暴走を踏み止まらせる冷静さを失って、時代を大きく変えてしまった。彼等が変えた時代が、彼等が望んだ社会であったのだろうか、私は大いなる疑問を持つ。集団化した人間が生み出す歴史は、その様な凶暴な一面を見せるときがあることを、本書を読んで感じた。
西郷隆盛や大久保利通、桂小五郎、高杉晋作、坂本竜馬などの活躍によって、『薩長土肥の新興勢力に飲み込まれるように、屋台骨が腐っていた江戸幕府は崩壊した』のは、一つの捉え方には違いないかれど、江戸幕府の内情は本当に腐っていたのか。もし腐っていたのならば、何処がどのように問題だったのか。尊王や攘夷や開国の問題は大きいけれど、その問題だけでなく、幕府は国を治めるどのような政策をしていたのか。そしてどのような政策転換を考えていたのか。薩長はその政策にどのような問題点(不満)を持っていたのか。薩長の暴力に対して幕府は、どのように対抗していったのか、そして、どうして瓦解していったのか。そのような点に私は興味を持っていたが、個人的には、幕府内部について満足ゆく記述が少なかったのが残念だった。
半藤氏は勝海舟のファンらしいが、幕府の登場人物が、極端にいえば勝海舟ひとりだけなのが、私にはとても不満である。西郷隆盛や大久保利通、桂小五郎、高杉晋作、坂本竜馬に匹敵する人物が、幕府には存在しなかったはずはない。例えば、小栗上野介忠順は、外国奉行(外務大臣、勘定奉行(大蔵大臣)、南町奉行、軍艦奉行(防衛大臣)を歴任しており、勝海舟以上に幕府にも日本全体にも貢献し、力を発揮したと、私は考えている。『幕末史』には、小栗の名前は数回登場するだけで、彼の仕事ぶりは、ほとんど触れていない。半藤氏の幕末維新を捉える視点に、私はすこし疑問を持つ。
終戦の24時間をドラマチックに描いた半藤氏の出世作『日本のいちばん長い日』においても、陸軍大臣・阿南惟幾の苦悩や軍将校の暴発である宮城事件に関しては、丁寧に描かれているが、それと比較して、海軍大臣・米内光政を中心とした海軍の動きや海軍大佐・小園安名による厚木飛行場の反乱は紹介程度に過ぎない。また外務省の外交交渉の苦悩に関する記述も蛋白である。単純に例えば『八月十四日のクーデター』というようなタイトルならば納得できるが、『日本のいちばん長い日』という題名は、歴史的なバランス感覚が少し歪んでいるのではないかと思う。
時間軸で人々の行動を正確に追って、事実を一つひとつ丁寧に重ねて、目の前に展開させる方法が、半藤氏の得意とする記述である。そのには嘘が入り込む余地が無いけれど、何を採り上げて、何を切り捨てるかによって、読み手の頭の中のスクリーンにまったく違った映像が映し出される。事実を重ねても、ぽっかり真実が抜け落ちる危惧を今回感じた。この『幕末史』が、『勝海舟の見た幕末史』ならば、すっきりしたように私は思う。
半藤氏は歴史を政治から見る傾向が強いが、例えば、経済や庶民や文化から見た歴史記述にも力を入れて欲しい。政治家だけでなく、市井の人々がどのように感じていたか、どのように生きようとしていたか、個人の目を通した歴史を描いて欲しい。半藤氏は作家ではあるが、小説家ではなく歴史家の部分が強い。奈良本辰也氏は歴史家であるが、何本か小説を書いたように、半藤氏にも一度小説に挑戦して欲しい。
『幕末史』 2008年(平成二十年)12月20日 新潮社
2009/2/12 脱稿
お薦め度 ちょっと辛口★★★
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