幕末維新に活躍した人々を、田安徳川家第11代当主である徳川宗英氏の手によって、まとめられたものが本著・『最後の幕閣--徳川家に伝わる47人の真実--』である。幕末維新の時代の大老、老中、将軍、外様大名、旗本、幕臣、藩主等が、徳川当主には、どのように映ったのか、どのように解釈されているのかに、私にはとても興味深いものがあり、読み終えて満足感を得た。
『日本の歴史』と題するような教科書的な書物では、彼等が活躍した中身や人物評を中心に記述しているが、著者は、活躍以降のことにも触れており、徳川当主の立場からの人物評にも興味深いものが多くあった。
当然といえば当然だが、倒幕派の人々にはどうしても辛口評になりがちだが、冷静さを失わない著者の姿勢には好感が持てた。四十七名(47という数字は、赤穂四十七士を意識されたのか)の人物が取り上げられている。その中に、倒幕派である島津斉彬、久光を取り上げているのは、姻戚関係の配慮も感じるが、山内豊信や伊達宗城や鍋島直正を採り上げていることに著者の良心を感じた。幕末の主だった大老や老中の阿部正弘、井伊直弼、堀田正睦、久世広周、安藤信正、水野忠精、板倉勝静、小笠原長行をはじめ、旗本幕臣の大久保忠寛、小栗忠順、栗本鋤雲、さらに福地源一郎、福澤諭吉、横井小南までピックアップされている。西郷隆盛や大久保利通、木戸孝允が採り上げていないのは、立場上理解できるが、坂本竜馬を採り上げているのは、サービス精神だろう。徳川家にとって恩人である渋沢栄一で、本著を締めくくったことに、渋沢氏への感謝の気持ちが反映していると感じた。
本著でいちばん興味深いのは、家康が築いた幕府を終焉させた最後の将軍・徳川慶喜に、徳川家当主として、どのような評価を下しているかである。著者は、当時の政治状況の中で慶喜の立場を擁護しているが、抑制の効いた記述を心掛ける姿勢を強く感じた。薩長の倒幕軍に対する慶喜の決断について、和平派の筆頭である勝海舟を採り上げず、「江戸を火の海から救った」山岡鉄舟の功績を評価する一方で、抗戦派の筆頭である小栗忠順に多くの記述を費やし、小笠原長行や榎本武楊や大鳥圭介だけでなく、近藤勇、土方歳三、そして沖田総司まで採り上げていることで、著者の姿勢を感じる。
幕末期の各藩の殿様や家臣たちが、幕府側につくか、倒幕派に組するかの判断は、譜代外様に関係なく、凄く厳しい選択だったに違いない。彦根藩の井伊家は、大老の直弼は幕府再建派であるが、最後の藩主井伊直憲は倒幕派となった。商人も同じように苦渋の選択を迫られていた。鴻池は幕府側に軸足を置いたが、傾きかけていた三井家は、番頭・三野村利左衛門が倒幕派に賭けた。錦の御旗を掲げて、大坂・京都から江戸へ進軍してゆく費用を、三井が出資した。そのことで明治になって三井は立ち直った。
このような視点は、本書の立場ではない。しかし、当時の譜代や旗本は、時代をどのように理解して、どのように判断していたのかは、とても興味のある問題だ。徳川宗家の当主として、慶喜をはじめ当時の徳川家の人々の苦悩に思いを馳せる記述が欲しかった。それは、無理な注文であるが・・・・・。
古い組織を潰して新しい組織を作り出すには、大きなエネルギーが必要である。しかし、古い組織を立て直す方が、実はもっと多くのエネルギーが要る。新しい時代になれば、古い時代の歴史を否定する傾向に陥ることが、どうしても避けられない。それが人間の悲しいサガである。新しい時代を迎えられずに散っていった人々の中には、誤解された状態で残されている人々が多数存在するだろう。いや、視点を変えて光を与えたならば、今まで違った輝きを見せる人々がいるはずだ。
本著をはじめ様々な書籍に触れるごとに、私は幕末維新の人間群像と時代背景について、益々興味が広がってゆくのを感じる。政治の視点だけではなく、経済から見た幕末維新や、世界史の中から見た幕末維新について、勉強してゆきたいと思う。歴史は私にとって知的好奇心を掻き立てる宝庫である。
『最後の幕閣--徳川家に伝わる47人の真実--』 徳川宗英著
2006年(平成十八年)5月20日出版 講談社α新書876円
2009/3/6 脱稿
お薦め度 ★★★
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