昭和天皇が崩御あそばされたとき、ヒトラー(ドイツ)、ムッソニー(イタリア)、そして昭和天皇の三名の写真を並べて、『第二次世界大戦の枢軸国の最後の元首が亡くなった』と、世界のメデアは報じた。その報道に、私は強い衝撃を受けた。大東亜戦争が終わって40数年経過したが、世界は第二次世界大戦を忘れていなかった。そして、昭和天皇を最後の悪人のような印象を与える扱い方に、強い怒りを覚えた。誰に対する怒りであるのか、考える余裕もなく、やり場のない怒りがしばらく続いた。
そして、世界に対して理路整然と反論できない自分に気が付いた。大東亜戦争のことを、私はきちんと知らないことを、凄く恥かしく思った。自分が情けなかった。日本人として、大東亜戦争をきちんと理解しなければいけないことを、自戒をこめて自分に言い聞かせた。
自分の学生時代を振り返って、9年間の義務教育と3年間の高校教育、4年間の大学で、第二次世界大戦、大東亜戦争を授業や講義で学んだ記憶は、ほんの数時間だったように思い出される。まして戦後史は、帝銀事件、朝鮮動乱、サンフランシスコ講和条約などの事実の列挙と、吉田茂首相のエピソードをいくつか披露した授業だった。歴史教育としては、不十分な内容である。日本史を縄文時代から東京オリンピック、田中角栄首相の中国訪問まで、秩序立てて学んだのは、予備校に通った一年間だったように思い出される。
昭和天皇の崩御後、中央公論社から刊行されていた『日本の歴史』(全26巻)の第25巻『太平洋戦争』を購入し読んだ。その後、少し時間を置いて、雑誌『文芸春秋』に掲載された『昭和天皇独白録』を読み、強い衝撃を受けた。以後、吉田裕著『昭和天皇の終戦史』(岩波新書)、半藤一利著『日本のいちばん長い日』(文芸春秋)、猪木正道著『軍国日本の興亡』(中公新書)、纐纈厚(こうけつあつし)著『日本海軍の終戦工作』(中公新書)、小林弘忠著『巣鴨プリズン』(中公新書)、佐藤早苗著『東条英機・封印された真実』(講談社)、梯久美子著『散るぞ悲しき』、赤羽礼子・石井宏共著『ホタル帰る』、『検証・戦争責任TU』(中央公論新社)、半藤一利著『昭和史』等、数えればきりがないが、さまざまな書籍を読んだ。
そのような中で、外交官の重光葵に興味を抱き、渡邊行男著『重光葵』(中公新書)、牛村圭著『勝者の裁きに向き合って』(ちくま新書)、阿部牧郎著『勇断の外相・重光葵』(新潮社)なども読んだ。
戦後史は、下山事件や帝銀事件などを小説や映画で興味を持った。60年安保にも関心があった。そのような事件を扱った書物をスポット的に読む程度で、系統たてて戦後史を調べることは無かった。戦後史は、昭和30年生まれの私にとって、父や母の青春時代であり、私の生まれ育っている時代であり、まだ「歴史」ではなく「思い出」の範疇(はんちゅう)という意識があり、歴史という意識がなく、関心を持てなかった。
昭和から平成になり、子どもから手が離れるようになって、半藤一利著『昭和史・戦後編』(2006/4/12平凡社)が出版された日に購入し、読んだのが編年体で戦後史に触れた最初である。
ところが、ここ数年、竹島問題、尖閣問題が起こり、北方四島を含めて日本の領土についての報道が盛んに行われるようになった。恥かしいことだが、それまで、竹島や尖閣諸島についての歴史を、私は何も知らなかった。新聞やテレビなどで、初めてそれられの島の歴史を知った。そこで、保阪正康・東郷和彦共著『日本の領土問題』(角川書店)、西尾幹二・青木直人共著『尖閣戦争?米中はさみ撃ちにあった日本』祥伝社新書を読んだ。
戦後史について、自分があまりにも無知であることを強く恥じるようになった。そのとき、新聞広告で、孫崎享著『戦後史の正体』を知り、書店で少し立ち読みをして、迷うことなく購入した。ページをめくるごとに、驚きの連続であった。最後のページまで途切れることなく驚きが続き、読み終わるまで興奮が止まらなかった。読書で、このような経験は、初めてだった。私の驚きは、単純に自分の無知によるもので、悔しいけれど、孫崎氏が述べる内容に、反論できる知識が私にはほとんど無いのだ。
戦後に起こった各事件の詳しい内容について、私はほとんど知らない。実際の現場では、どのような交渉が行われ、どのような駆け引きがあったのかなど、孫崎氏が述べる内容に、私は反論できる知識がなく、無抵抗に受け入れざるを得ない。また、歴史的な事件について、小説や映画やドラマから自分なりに理解して納得している知識を覆す記述に出会うたび、どちらに信憑性があるのかを判断する知識が私には無い。そのため、孫崎氏の視点に、新しい切り口を知らされ、驚き感心させられるのである。
特に、驚きを超えてショックを受けたのは、吉田茂の評価である。戦後日本が復興できた功績は、吉田茂の政治力に負うところが大きいと思っていた。それを揺るがす孫崎氏の記述に、ゆるぎない説得力を感じたとき、自分の中で戦後史を見直す必要性を強く意識させられた。特に、サンフランシスコ講和条約と日米安保条約調印以降の数年間の吉田茂の政治姿勢は、強く批判すべきだと私は考えていた。その数年間の吉田茂から、それ以前の吉田茂の政治判断を見直すべきことを、『戦後史の正体』を読んで、初めて気付いた。
そのように、現在の結果を招いた問題点から、過去を見直せば、今まで見えなかったものが見えてくるかもしれない。歴史とは、そのように学ぶことも可能だ。世界史の中で日本を見直すことで、現在を冷静に見ることができるかもしれない。そんなことを『戦後史の正体』の孫崎氏から教えられた。
戦後の繁栄の中で、私は生きてきた。二人の子どもに恵まれ、その子どもたちは今年巣立っていった。今までは、時代にも恵まれてきたと思う。今現在、日本は世界の中で、厳しい時代に入った。日本だけでなく、世界の多くの国が、上手くいかなくなっている。複雑化し行き詰って、閉塞感に陥っている。難しい時代である。その中で、人間は、日本人は、生きてゆかなければいけない。そのための最も基本的なことの一つは、自分を知ること。自分の国を知ること。相手を知ること。相手が生まれ育ってきた相手の国を知ること。そして、自分の国と相手の国との関係経過を知ること。つまり歴史を学ぶことである。
竹島や、尖閣などの関係各国では、領土に関する歴史を、自国の利益に沿った教育を行っているように耳にする。日本の歴史教育は偏りを避けて、当たり障りの少ない古代史に重点を置いている。現在日本や世界で起こっていることを理解するために、特に日本史は、古代史から順次編年体で学んでゆく従来の方法ではなく、現代史を中心に教えるべきである。特に義務教育で、日本史を幕末明治以降から現代までと、同時期の東洋史(特に大東亜戦争以降の中国や韓国北朝鮮など東南アジアの国々の日本との関わりの歴史)を、詳しく教えるべきである。
エジプトやオリエント、ローマ帝国などの歴史にはロマンを感じるが、世界史も同様に、現代史から教えるべきだと思う。産業革命以降から現代までを教えるべきである。第二次世界大戦から現代までで、一冊の教科書を作ることを検討すべきである。高校教育では、他国と日本の関係を選択授業で教えることを検討しても良いと思いう。例えば、日米関係や日中関係、日ソ関係などである。
還暦近くなって人生の後半を、人生や人間について、その本質は何なのか、考えるようになった。自分なりに、もう一度歴史や経済や哲学を再勉強したいと思うようになった。人間は今までどのようにして生きてきたかを考えることに時間を使っても、生活が具体的に改善されることはないかもしれない。たぶん私の生活が良くなることはないだろう。でも、金銭獲得に血眼になるよりも、一日24時間の中でいくらかの時間を、自分の好奇心を刺激するものに使いたい。そして、『戦後史の正体』をきちんと批判できるようになりたいものだと思う。
2013/4/20 脱稿
お薦め度 ★★★★
孫崎享著『戦後史の正体』は、創元社から2012/8/10に発行された。
今年(2013)3月12日私の購読紙に載った創元社の広告によると、22万部のベストセラーとのことである。
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