2011年3月11日午後2時46分、私は得意先の工場(大阪府東大阪市)で、小さな機械の設置に悪戦苦闘しており、東日本大震災の揺れを全く感じなかった。大阪においても、強い揺れを感じた人が多いにもかかわらず、私は何も感じなかった。午後3時半頃に設置が終わり、その後、少し時間を置いてラジオで震災のことを知った。すぐ、福島の従妹に安否確認のメールを送信した。テレビで地震と津波の映像で知った現状を、そのとき、そこまで大変な状況を想像できなかった。強いショックを受けた。
被災地(地震と津波と原発事故)の人々が苦しみや悲しみに耐えながらも、日本人の冷静さと落ち着いた行動、そして被災民自身が助け合う様子を、特に海外のメデアは、驚きと感動を持って報道した。自分が、そのような災害を受けたなら、どのように振舞うか、現地の人々のような落ち着いた行動ができるか自信がない。しかし、多くの日本人は、火事場泥棒のような悪質な混乱が多発しないことや冷静な行動をとることを、ごく当たり前のように受け止めていたように思う。
現場の人々の行動力には頭が下がるが、政府、原発関係、東京電力など責任機関は、組織としてのシステムは、震災直後から混乱し、その後も有効な手立てを打つことなく、ほとんど機能しなかったことを、国内だけでなく世界中に醜態をさらけ出した。そのような無能ぶりを、国民は不思議がることなく、起こりうることとして、感じている部分があったと思う。
先日(2013年5月)、震災当時の総理大臣・菅直人氏をはじめ、枝野氏、長妻氏が参加した『民主党大反省会』の報道があった。彼らは、反省どころか、言い訳を繰り返す自己弁護に終始した様子である。日本国民や日本のことなど、ほとんど頭に無いということであり、そのことにも気付いていないのである。これが日本の首相の現実の姿だ。
日本の首脳たちは、戦前と何も変わらず、何も決断できず実行せず、総てを先送りして、誰も責任を取らず、プライドは高く、勇気も度胸もなく、言い訳に長(た)けて、威張っているだけである。日本国民は、とても不幸な国民であると思った。
被災地の人々を救う募金の報道を、多くのマスコミが行った。個人や企業や団体の募金報道が相次ぎ、やがて各報道機関は募金の金額を競うような印象を呈してきた。募金額は莫大な金額に膨れ上がった。各機関が集めた募金が、日本赤十字に渡っていることは報道された。しかし、その募金が具体的にどのように使われているのかについての報道を、私は見たことがない。あれほど熱心に募金を募ったのだから、各マスコミは、募金の使われ方についての取材を行い、会計報告をきちんと報道する義務があるのではないだろうか。多くの機関や組織は、やりっぱなしで、その後の経過や結果には、あまりにも関心がなさ過ぎる。
真面目にコツコツ働いている人ですら、ワーキングプアーから抜け出せない日本社会において、被災地(地震と津波と原発事故)で、生き残った人々を助けることは、とても難しいことだと感じる。『夢や希望を持って』や『生きていれば、きっと良いことがある』などと、とても軽々しく言えない。生きるということは、どういうことなのか、という根本的な問題を自分に問いかけて、国や各地方自治体、企業、人々との繋がりなど、今回の災害は、人間社会はどうあるべきか、日本社会を考え直す機会を与えられたように思う。
『毎日新聞夕刊編集部編『《3・11後》忘却に抗して・識者53人の言葉』現代書館2012/12/15発行』という本に出会った。
《1000年に一度という東日本大震災、2011年3月11日午後2時46分マグニチュード9.0という巨大地震が東北地方を中心とする東日本を襲った。凶暴な津波が街をのみ込み、火災がその上をなめ尽くした。死者、行方不明者は合わせて約2万人。おびただしい数の命が奪われた。列島が深い悲しみに包まれ、そして「無力感」が覆った。私たちはどうすればいいのか、そして、この国はどこへ向かおうとしているのか。》という書き出しで、53名の識者の提言が、それぞれ4ページにまとめられている。多くの人々に、ぜひ読んで欲しい一冊である。少しでも、この識者たちの言葉に触れて欲しい一心で、私なりにいくつかの言葉をピックアップしてみました。
高村薫(58歳)作家
自然災害は人間の歴史の中で起こりうる。しかも、高齢化が進む21世紀という新しい時代は、高度経済成長期とは違う暮らしの価値観が必要だと思う。より人間のサイズに合った生活を選択する方が、より自然で無理のない社会が出来る気がしてならない。
11/3/17
柳田邦男(74歳)ノンフィクション作家
災害、巨大事故、加えて薬害、公害。こうした分野においては、『効率主義』は危険だということです。とくに90年代以降、国や自治体の財政が悪化し、企業の生き残り競争が激化する中で、人減らしや組織をスリム化する効率主義が『闊歩(かっぽ)』するようになった。けれど、効率化という目標の前では『前提条件がもし崩れたら』という発想は排除され、次善の策も『ありえないこと』として削られる。それでは災害は絶対防げない。どんな組織・システムも遊びや余剰部分があってこそ安全を保てるのです。防災にかかわる分野での効率主義との決別。これは国の思想の転換、思想革命です。
11/3/29
保阪正康(71歳) 作家
現場で命を張る人々の思いを、国民が想像して共有することも大事です。かつて軍隊は「お前の命は鉄砲より軽い」として、学徒兵らを特攻要員とした。でも、陸軍・海軍大学校出のエリートは特攻をしなかった。今、原子力安全・保安委員や東電を代表して記者会見する幹部たちは被曝の恐れはない。この社会メカニズムが、非人間的な二重構造で成り立っていることも分かるでしょう。
11/4/5
緒方貞子(83歳) JICA理事長
日本人が最近忘れていたものって、あると思うんですね。
日本は世界各国と持ちつ持たれつの関係であるという事実です。日本は食料事情一つをとってみても、非常に国際依存度の高い国です。一方、日本の企業も海外に進出し、各国の雇用や産業の発展に寄与しています。そういう国際的な相互依存のうえに立って、今日の繁栄があるのです。日本人はこの事実への理解が、やや薄れていたのではないでしょうか。
11/4/15
倉本聡(83歳) 脚本家
本来、東京が豊かさを享受するなら、東京都の中に原発を造るべきです。
過度の節約や萎縮に陥らず、消費することによって経済を立ち直らせ、復興を支えようと。ひっかかったなぁー。それじゃ、また元に戻すことになる。景気回復っていうのは、あのバブルに戻せということなのか。いつも思うんです。消費を回復しなくっちゃ経済が動かないというのであれば、そこから考え直さなきゃダメだって。ヨーロッパでは、エコノミー(経済)、エコロジー(環境)、カルチャー(文化)が三脚のようにバランスよく立っている状態を文明社会の定義としているそうです。日本はエコノミーだけが突出している。思想を変えてかからないと、本当の復興なんて出来ないですよ。
11/4/22
有馬朗人(80歳)元東京大学・学長
私が心配しているのは、地球温暖化問題です。日本中の家の屋根に太陽発電の設備をつけても、まかなえる電力量は、日本全体の消費電力の7%。二酸化炭素を出す火力発電が全体の約60%、原発が約30%で合わせて約90%。これを風力や水力の自然エネルギーで代替できますか。自然エネルギーの利用推進はもちろん必要ですが、安全で安心できる原発を造るしかない。理想的には無い方が良かったとしても、現実的に考えて、今ある原子炉は使わざるを得ません。
11/5/6
吉本隆明(86歳)思想家
人類の歴史上、人間が一つの誤りもなく何かをしてきたことはない。先の戦争ではたくさんの人が死んだ。人間がそんなに利口だと思っていないが、歴史を見る限り、愚かしさの限度を持ち、その限度を防止できる方法を編み出している。今回も同じだと思う。
人間個々の固有体験もそれぞれ違っている。原発推進か反対か、最終的には多数決になるかもしれない。僕が今まで体験したこともない部分があるわけで、判断できない部分も残っています。
11/5/27
浅野史郎(63歳)前・宮城県知事
例えば行政組織。不要な部分は廃止して、必要なところだけ残す。機能していないと批判されてきた議会は無くせばいい。その後、議会がなくては困ることがでてきたら、改めてその『困るリスト』を解決してくれる議会のあり方を再考する。住民自ら考える、真の意味での地方自治の確立が災害を機に可能になる。復興とは、元に戻すのではなく、全く新しい、他の地域のモデルになるようなものをつくり出すことです。その地点に立っているのです。
11/6/10
中谷巌(69歳) 経済学者
人類は『文明の転換期』に入った。私達は今、そう悟るべきだと思うのです。少なくとも、『科学に頼れば何事も可能』といった近代西洋社会的な発想とは、決別する時期に来ていますね。東日本大震災は、日本人に、その哲学と思想を覆す覚悟を迫っているのではないでしょうか。
誤りは誤りと、素直に認めただけですよ・・・・・。原発も効率性が良いと宣伝されてはいるが、実は『禁断の果実』ではないか。皆がそうと薄々気付いている。ならば廃炉にしたらいい!
明治維新から150年。進歩史観も科学絶対主義も、すでに飽和点に達しているんじゃないかと思んですよ。こうこうたる電気の光で埋め尽くされ、それが豊かさだといった錯覚。文明の転換点だと私は改めて言いたい。日本人は自然を恐れ、慈しむ古来の穏やかな自然観に立ち返るべきだと思うんです。
11/6/24
小柴昌俊(84歳) 物理学者
自分で何でもやれるんだと思っちゃいけない。もっと謙虚にならなきゃ。恥かしがる必要もない。後から考えてみると、原発も、あんな最悪の状態に陥る前にやれることがいくつかあった。そういうことに経験にある人たちがチームであたってくれたら、やれなかったことがずいぶんやれたんじゃないか
11/7/1
野田正彰(67歳) 精神科医
被災地の人たちが胸が張り裂けそうな悲しみを抑え、押し黙っているのではないでしょうか。しかし、人間の感情は、喜びだけを膨らませるという、そんな馬鹿なことはできないのです。悲しむということは、失った家族と対話することです。その悲哀を通して、人は自分の人生を意味あらしめている。本当に深く悲しめる人は他者と深く喜び合える人でもある。ただそれだけのことが文化として共有できない社会は、野蛮な暴力社会だと思います。
11/7/8
半藤一利(81歳) 作家
近代日本は常にエネルギー問題に直面してきた。江戸時代は炭と薪、菜種油ぐらい。そこへペルーが石炭を動力とする蒸気船でやってきた。太平洋戦争では石油を争った。日本はエネルギーを自給できない。原発のウラン燃料だって自国では賄えないのですから。資源に乏しい国が近代国家として自立するために奮闘してきた・・・それが近代日本の歴史だ。新しい日本をどうするか、それはエネルギー問題をどう考えるかということです。福島第一原発事故はこの問題を私たちに突きつけている。これからエネルギーをどう賄うか。私たちは国民的な合意を新たに作り上げてゆくひつようがあるのです。
11/9/16
橋田壽賀子(86歳) 脚本家
ドラマ『おしん』にこめたのは、『身の丈をわきまえよ』というメッセージなんです。過去の辛苦を忘れた世代が台頭して強欲な精神が芽生えた時、日本は坂を転がり始めたのではないか。というのも、私自身がそうでしたから・・・・。
『足るを知る』を失わせた存在としての原発。現在、国内発電量の約三割は原発に依存しているという。その三割がもたらしたものはなんだったのだろう。
政官財の推進派のひとたちは、経済成長のために原発は必要だといいますが、説得力に欠けます。だって原発に頼った成長の『成果』が格差と失業、年間3万人をも超える自殺者じゃないですか。企業とごく一部の人が儲けているだけ。原発に頼る生活に慣らされて生まれた欲望が人々の絆を奪い、原発が生み出す電力が労働者の仕事をも消し去ってしまった。
私達はもう、あれもこれも欲しいという便利さへの欲望をきっぱりと捨て、『引き算の暮らし方』を学ぶべきです。
11/9/30
吉武輝子(80歳)評論家
高校で学ぶのは明治時代ぐらいまででしょう。でもね、戦争の世紀だった20世紀の現代史を学ぶと、戦争に突き進んだ政治の過ちがいや応なしにクローズアップされる。現代史を学ぶことで過ちを知り、現時点の自分のたち位置がわかる。そこで初めてどういう社会に向かうかの未来を描ける。大人が若い世代に現代史を語ることは大事ですよ。
平和って、命の安全が保障されること。原発事故で、生命の危険にある今の日本は平和ではないですね。
11/11/25
落合恵子(66歳)作家
被害者の立場にある人々が分断され、対立させられてしまっている。そうなることで一番安泰なのは誰か?権力はいつも、被害者を分断し、対立させることで生き延びようとするのです。
歯がゆいのは、動き出した人々の気持ちと、国の政治を動かす人たちの気持ちの間に、あまりにも大きな乖離(かいり)があることだ。市民は優しい。でも、この国は、人々の優しさに甘え、裏切り過ぎてはいませんか。
11/12/16
池澤夏樹(66歳)作家
地理的条件が国の歴史を作るのです。日本の場合、島国であること。それも大海にある遠い島などではなく、大陸と一衣帯水の島。だから文明や人、技術は大陸から伝わったが、軍勢は海を渡って来られなかった。異民族支配を知らずに済んだ。思えばこの国は、実にうまくできた国土なのです。ただし、この地理的条件ゆえに、災害も多い。繰り返される天災が、国民性を形作った。
日本人は自然と対決することを避け、むしろ絡み合うように生きてきた。勝てる相手ではないから。災害のたびに多くを失い、泣き、脱力し、そしてしばらくすると立ち上がり、再び作り上げた。江戸時代、大火を何度も経験しながら、燃えない石の家を作ろうとせず、紙と木の家を建て続けた。火事も天災と受け止めていたのでしょう。問題は、人が意志を持って行った結果である人災すら、天災と同じように受け止め、災害の責任追及をうやむやにしがちなことです。
原発事故を天災と受け止めた人は少なくなかった。東電は『想定外』という言葉で、人災でなく天災、と問題をすり替えようとした。今回ばかりは日本人も随分と抗議し、責任追及している。しかし頭で、『想定外』を否定しながらも、心のどこかで、「大変な津波だったんだから仕方ない」と諦めてはいないか。それを乗り越えるには論理の力が必要です。
12/1/5
東浩紀(40歳)作家
深刻な問題は日本政府の言葉を日本人が信じられなくなったことです。政府は福島第一原発の冷温停止状態と事故収束を宣言しましたが、その言葉を信じている日本人がどれぐらいいるのでしょう。政治家の言葉が軽くなると何も決まらなくなります。
これだけ大きな震災に見舞われたのに、東北全体を見据えた復興計画が議論される気配すらない。これは各市町村ごとではなく、広域の問題であり、中核都市や高速道路網、企業誘致など地域全体の大規模なビジョンが出てくるべきでしょう。
長期的な広い視野を下敷きにした議論が今ほど必要とされている時代はない。それなのに対応できる人材がすごく少なくなっている。そこから立て直さないといけなくなっています。
12/1/6
丸山健二(68歳)作家
自立するには、個人に立ち返ることが必要であり、そのためには勇気が必要。勇気が必要ということは、自分しか当てにしないということです。自分の目で見、耳で聞いたことをもとに自分で判断して、自分の力でなるたけ生きてみる。そうでない力が働いたときには、その力をまず疑ってみる。国家の力、宗教の力、集団の力、そういうものに安易に寄りかからない。絆という言葉にも騙されちゃいけない。群れてもなんともならない、自分一人がなんとかしないといけない。
12/1/13
藤本義一(78歳)作家
作家なら、感じないことを書いてもしょうがない。うーん、東北の大震災は阪神とまるで違う。大津波もストロンチウムも阪神のときはなかった。比較すらできません。だから、阪神の体験がそのまま東北の被害者に安らぎを与えられるとは思わなかった。うーん、ただね、災害で親しい人、大切な人を失った人たちに伝えたかった。人間、生きてゆくためには、生きることを教えてくれた人を思い出さなくてはいけませんと。
12/1/20
坂本義和(84歳)国際政治学者
原発に限らず、経済・社会・政治を含め、私達は『地球』という視点で問題に取り組む時代に入っている。そのためには、国家にしばられない市民が国境を超えて連帯する。主権国家という観念や、個人の自由・自立という思想に立脚する近代の発想では足りないのであって、グローバルな連帯、人類的な絆が求められている。だからこそ私たちも、日本の国境にしばられない、たくましい市民社会をつくることを目指す時だと思います。
12/1/27
玄侑宗久(55歳)作家
放射性セシウムばかり注目されていますが、もともと自然界には放射性カリウム40がある。我々にとって必須ミネラルであるカリウムのうち、0.01%は放射性カリウムで、バナナにも40ベクトル、米には1キロ当たり30ベクトルほど含まれる。体重60キロの人は約4000ベクトルの放射線を発しています。これが有害なら母親が赤ちゃんを抱くのも危ない。今福島に必要なのは、信仰やイデオロギーに陥ることなく具体を見ながら対処することです。夢のような放射線ゼロを目指すこの正しき人々が、私は最も怖いのです。
人権の問題が出てきたら、もう当事者間では決まりません。みんなの人権を守るために誰かの人権を踏みにじるのが国家の仕組みですが、その責任を国家が放棄したのですから。
開いて戦うのとは逆に、『閉じる』ことを考えるべきだと思います。今回の震災で、人間関係の濃さなど東北地方独特のあり方が随分強みになりました。それは効率だけに割り切られていない地方の暮らしの強みであり、そういうローカルなものを尊重した『小さな自治』を取り入れる方向に向かうべきです。それは電力も同じです。12/2/3
佐伯啓思(62歳)京都大学教授
日本人が今いる文明は極めて米国的なものだと知ること。欧州とは違う。ましてや、もともとの日本の価値観や考え方とも全く違う。昔の日本人はものが少なくても、生活を楽しめた。質素倹約を大事にし、物質的なものに幸せを感じるよりも、もう少し人間のつながり、もう少し静かなたたずまいに、幸せを感じることがあったと思うのです。
近代主義の誤りの一つは、人間の理性的な能力に過度な信頼を置いたことです。人間は理性的に進歩していけば、自然、社会、システムを合理的にコントロールできると考えた。しかし、人間はそんな完全な存在ではなく、初歩的なミスを犯すし、失敗もする。全く予期できない想定外の何かが起きるのです。
日本経済の厳しい現状の中、原発は短期的にはやめるわけにはいきません。増やす必要はないが、安全性をきちんと確保して再稼動させて経済を元通りにする。今のところそれに代わるエネルギーは確保できませんから。
12/2/10
中島岳志(37歳)北海道大学教授
死者となった人との間で生まれる、生前とは違う関係性。死とは、その人を失ったというだけでなく、出会い直しもしているのではないか。
それは、僕たちがよりよく生きること、自分をごまかさず向き合うことを要求するような出会いです。大切なのは、そうして死者と一緒に生きることじゃないかと思ったのです。未来のことばかり考えるのではなく、死者を思うことで落ち着いて生きられるのではないか。
震災によって何かが始まったというのではなく、日本の弱い部分が露呈したのだと思います。構造自体は何も変わっていない。危惧しているのはシニシズム(冷笑主義)だ。地震によって、政府への信頼が異常な形で地に落ちた。福島第一原発事故では、東電の出すデータも信頼性がない。御用学者、原子力ムラという言葉が流行ったように、情報の真偽を見極めなければならない。究極の自己責任社会。増大する不安の中で一人ひとりが疲弊し欲求不満を募らせる。
12/2/17
俵万智(49歳)歌人
便利は快適だし楽しいし、別にそれを否定するつもりはありません。でも、便利の先に何があるのか、それをどんどん研ぎ澄ませていったところに広がる空気は、それほど幸せでもなかったのかなあって。
12/2/24
大城立裕(86歳)作家
日本人の生活がぜいたくになれてきたでしょ。もっと生活全般のぜい肉、欲望をそぎ落とすような思想、政策が出てこないものかと思います。でも、悲観はしていません。
すぐれた文明論です。大地震後、被害者はパニックに陥らず、互いに思いやって冷静に行動してきている。それは希望だと思います。沖縄にも『ユイマール』という古くからの相互扶助の精神がある。各地でこうした心を育ててゆけば、新たな文明は築けると信じていますよ。
12/3/2
2013/5/25 脱稿
毎日新聞夕刊編集部編『《3・11後》忘却に抗して・識者53人の言葉』現代書館2012/12/15
お薦め度 ★★★★
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