物語を創造し一篇の小説に仕上げることは、心身とも充実している上に、孤独で、とても体力の要る作業だと思う。多作で知られた司馬遼太郎氏でさえ、昭和62年に連載を終えた『韃靼疾風録』(64歳)以降、一篇の小説も完成させず(ノモンハン事件を題材に構想を続けていたが、筆を折った)、紀行文の『街道をゆく』と随筆『この国のかたち』と随想『風塵録』の三本の連載に力を注ぎ73歳の生涯を終えた。小説にまとめるということは、とても凄いことに違いない。その小説を、現役の女優であり作家の岸恵子氏が、80歳で書き下ろしのかたちで『わりなき恋』という小説を完成されたことに、大きな驚きを覚えた。凄い人である。
日本では、国籍の無い小説が増えている中で、『わりなき恋』は日本文化と日本人をきちんと描いていることに、私は好感を持った。普遍性ということなのだろうか、舞台や人物設定に国や文化にとらわれない作品に、私は強い違和感を持つ。人間が生きるということは、家族や故郷や国を無視できないものと私は思っている。映画『男はつらいよ』や黒澤明・小津安二郎の監督作品が、日本の風土をきちんと描いているから、人間が輝いているのである。そういう意味で、『わりなき恋』は、小説として、きちんとした作品である。
「わりなき」とは、「理なき」と書き、理屈では説明できない、道理がない分別がない、とても親密という意味である。国際的ドキメンタリー作家として活躍する伊奈笙子(70歳)と、一年の多くの時間を世界中を飛び回っている大会社の重役ビジネスマン九鬼兼太(59歳)が、2005年春、成田発パリ行きの機内で隣り合わせになった出逢いから、次第に惹かれあって、「理なき」恋に展開して、2011年初秋(東日本大震災後)までの、日本とパリなどヨーロッパを舞台にした6年間の物語である。
伊奈笙子は30年前に事故で夫に先立たれ一人暮らし。パリに一人娘が結婚して家庭を持って暮らしている他には家族がない。九鬼兼太は東京に妻と5人の子どもが居る大家族の家長である。この二人が「理なき恋」に陥(おちい)る。笙子は九鬼に家族があることを承知しているのだから、不倫の物語である。
分別ある70歳の女性と59歳の男性だから、男は何もかも捨てて女に走ってゆくストーリではない。九鬼は家族を壊す気持ちはまったくなく、家族との暮らしは守り、笙子との不倫も果たしそうとする。性交も克明に描かれるが、高齢の笙子が婦人科の治療を受ける場面を挿入し、官能小説のような描写ではない。仕事や家族のことを含めたそれぞれの生活をきちんと描き込み、笙子も九鬼も些細なことで嫉妬をしたり喜んだりして、揺れ動く恋心は、まるで少年や少女のような瑞々(みずみず)しさである。責任と仕事を抱えても、恋の力は年齢を超えるパワーを人によみがえらせることを教えられた思いがする。
東日本大震災で家族と親戚を四名亡くした九鬼が、福島で避難生活をしている妻子の元へ行く東京駅の雑踏の中で、笙子が見送る場面がラストシーンである。パリ行きの飛行機内の出会いで始まり、東北新幹線で見送る場面で幕を閉じる6年間の物語である。
突飛もない事件や不自然な設定や無理な飛躍もなく、どちらかといえば淡々とストーリが展開する小説である。どんでん返しやワクワク感がなく、若々しさに欠けるが、登場人物を必要不可欠な人数に絞り、笙子と九鬼の生活と生き様をちんとん描き込んだ作品である。4年の歳月をかけて仕上げた作者にとって、これが最後の小説になるかもしれないという、いわば遺言のような小説だろう。文明批判や作者の世界観が、辛口の表現となって、ちりばめている。それは日本を愛する思いであり、人間を信じる作者のせつない思いであろう。まさしく大人の小説である。
この主人公・伊奈笙子は、強い女性だと思う。若々しい人物だと思う。それは現役で立派に仕事をまっとうしているからであり、現役であるから、「理なき」まで恋に陥るのであろう。主人公に作者を投影する気持ちは私にはまったく無いが、主人公伊奈笙子の若々しさは、今も尚、現役で仕事を続けている岸恵子自身の若々しさでもあるように感じる。現役であることは、肯定的に人生を考えざるを得ないものである。人々に要らぬ迷惑を掛けないで、現役を続けることは難しい。だから、引き際が難しく、人生をまっとうすることは、大変なことである。
妻子ある男性との恋という、不倫の設定であることが、私は凄く残念である。互いに伴侶を亡くした老齢の男女が、それぞれにさまざまなしがらみや責任を抱えながら、どのように人生の最終章をまっとうすべきかを、国際女優であり作家の岸恵子氏によって、全人類の遺産として小説にまとめて欲しかった。そのような老齢の男女の恋のひとつの形にも興味が持たれる。
このように思うのは、自分がもう若くないと無意識に感じているからだろう。若い頃は恋愛映画や恋愛小説に関心があったが、結婚して家庭を持つと急に色恋沙汰の物語に関心がなくなった。わが子が巣立ってゆくと、今までの人生を振り返り、これからの人生に思いを馳せるようになった。日々老化が進み、家族や友人知人が減って行き、体も心も弱ってゆき、人生をまっとうするまでの残りの時間の中で、もし伴侶を先に亡くした場合、そのときの年齢や体力にもよるが、果たして私は人を恋することがあるのだろうか。もし恋をしたならば、九鬼のようにはならないように思う。九鬼と笙子だから、小説になるのであり、小説とは、そのようなものであろう。
2013/7/14脱稿
お薦め度★★★
岸恵子著『わりなき恋』幻冬舎2013/3/25
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