32 The best of Class records volume 1

Relic-5055

GG32レーベル:Class
設立地:カリフォルニア州・ロサンゼルス
創設者:Leon Rene・Googie Rene
活動期間:1956年〜1962年
創設:1956年夏
関連レーベル:Exclusive

01 Teenagers Love Song - Richard Berry & The Pharoahs
02 My Love Is Gone - The Sputniks
03 Here's That Rainy Day - The Intervals
04 Wait A Little While - The Sputniks
05 I Bow To You - Earl Nelson & The Pelicans
06 If Only The Sky Was A Mirror - The Classics
07 Wish I Could Change My Mind - The Intervals
08 Heavenly Angel - Bobby Day & The Satellites

09 My Hearts Desire - The Blenders
10 You Are My Only Love - The Intervals
11 King Of The Fools - Oscar McLollie And His Group
12 Hey Mary Ann - The Sputniks
13 Funny How Time Goes By - The Intervals
14 Mozel - Paul Clifton
15 Rain - Oscar McLollie And His Group
16 Little Bitty Pretty One - Bobby Day & The Satellites

1956年夏の終わりにロサンゼルスで設立された、故Leon ReneのClassレコードはすばらしいR&Rシングルを送り出すことで注目された。未完成のストリート・コーナー・ハーモニーの実践者は、どこかほかに行くこともできた。Leon Reneと彼の息子Googieは、オリジナルで斬新な曲と将来性のある若いヴォーカリストを結合しようとした優秀なプロフェッショナルな音楽人であった。Classのビッグ・ヒットーBobby Dayの「Little bitty pretty one」と「Rockin' Robin」、そしてEugene Churchの「Pretty girls everywhereーは、なめらかで磨きのかかった、おそらくClassサウンドとして最高の例であろう。Leon Reneが若いR&Bグループに何を求めたかについて理解するには、我々はClassよりも以前の忘れがたく印象的な彼の音楽経歴を観察する必要がある。ClassレコードはLeonが40年代中後期に起業したExclusiveという卓越したレーベルにかわるものであった。Reneはとても有能なソングライターで、「When it's sleepy time down south」、「When the swallows come back to capistrano」そしてThe Mills Brotherの「Gloria」は彼の書いた偉大なスタンダードのうちの数曲である。彼は幼少期に過ごしたニューオリンズでリズム感とメロディのセンスを身につけ、ロサンゼルスで音楽に対する才能を磨いた。彼の設立したExclusiveレーベルは、メジャー大手になるという夢を1946~47年にかけてほとんど成し遂げた。Joe Liggins、Johnny MooreのCharles Brownとの「Three blazers」、Hadda Brooks、Ivory Joe Hunter、The Basin Street Boysらの独創性に富んだレコーディングは、大きなR&B(「レイス・ミュージック」黒人音楽を指した当時の差別的な表現)ヒットであった。いつもたいへん小粋でファッショナブルで愛想がよいRenは、ハリウッドにExclusiveの豪奢なオフィスを建設し、全米で販売するための独自のシステムさえも考案した。Exclusiveがついに倒産したときも、Reneは他の独立レーベルに安く売り払うことはせずに充実したカタログを手元に置いた。Joe Ligginsの「Honeydripper」と「Got a right to cry」、Charles Brownの「Merry Christmas baby」、The Basin Street Boysの「I sold my heart to the junkman」などは、すべてExclusiveがオリジナルである。Reneは50年代前半に歌を書き続け、ロサンゼルスの音楽シーンに見事にあてはめた。R&Bに対する好意的な態度を立場をとっていたAl Jarvis・Peter Potter(ロサンゼルス)やJack Lacy(ニューヨーク)のようなポップDJとReneは積極的に良い関係を構築した。1956年夏にClassは、Reneの若い息子Googieのロックなキーボードにスポットライトをあて、新曲と有望なタレント発掘のためにリリースを再開した(The Drifters(Atlanticのグループではない)・Oscar McLollie・Jerry Wallaceらの2~3枚が500シリーズとして1953~54年にリリースされた)。The Pharoahsと呼ばれた多作なRichard Berryのグループが、新しい200番代シリーズの2枚目のシングルであった。「Louie Louie」のオリジナル作曲者は、1956年夏に、「Teenager's love song」(グループ・ファンにとって最も魅力的なClassシングルの1枚)をレコーディングした。それは「Watusi」(我々の2枚目のClass編(「Golden Groups: Best of Class Records, Vol. 2」参照)のB面に収録しClass #202として1956年9月にリリースされた。The Pharoahsは、Codoy Colbert(1stテナー)・Robert Harris(2ndテナー)・Noel Collins(バリトン)らがメンバー。Max Feirtagが設立したFlipレーベルから「Take the key/No kissin' and a huggin'」をレコーディングした経歴があり、彼らはClassでもRicky and The Pharoahsとして知られていた。Richard BerryはThe Flairs・Crowns・Ermines・Dreamersでも歌っており、またFlair・Modernからは「The big break」と「Get out of the car」のような素晴らしい作品をソロでも残している。ベテランのブルース歌手Oscar Mclollieは、Billy Eckstineのような(Reneは彼のバラードを特に好んだ)ポップなスタイルや大きな歌声を持っていた。Oscar1954年にリリースされた「Rain」(Class #503)というグループ(詳細は不明)作品にバッキングとして参加している。「King of the fools」(Class #216)というもう一つのグループ作品も彼がバッキングし、Oscar(「Convicted」のヒットで有名)の名を広めた。Richard BerryもしくはRobert Byrd(Bobby Day)がこれらの知られざるバック・グループのどちらかを結成した(あるいはさせた)ことははあり得る。Paul Cliftonの「Mozel」(#210)は、Belafonte(「バナナ・ボート」のヒットを持つポップシンガー)のカリプソ大流行にあやかったもののヒットしなかった、1957年前半のシングルであった。Tommy "Dr. Jive" Smallの広く知られたWWRL(ラジオ局)の午後に放送されたショー(大部分Classシングル盤がオンエアされていた)によってニューヨーク市中で聞かれたが、全体的な売上高は乏しかった。R&Bとカリプソを組み合わせるという試みはかなり不自然で、今日では古さを感じるようである。しかしこういった作品にもなにか不確かな魅力がある。The Sputniks(Classシングルの中でもより良いグループの1つ)については、多くの事がほとんどわかっていないが、彼らは「こけおどし」ではなかったと確信をもって言える。彼らの最初のClassシングル「My love is gone」(#217・「Hey Maryann」がB面)はのちにPam Marという無名レーベルで再録されている。ReneはThe Sputniks(このグループ名はGoogieの想像力によるものだ)に対する厚い信頼を持ったフォローアップを経て「Wait a little while」が1958年2月にClass #222としてリリースされた。Googie Reneはまた、10代のグループをたくさんリハーサルした。彼は洗練されたキーボード奏者でもあり、「Wham barn」「Mid-night」「Beautiful weekend」といった彼自身のマイナー・ヒットもあった。彼のインストゥルメンタル・シングル盤は今日でもよく聞かれる。R&Bファンやコレクターにとって、彼の仕事が収集の対象にならなかったことに私は驚く。The Classicsは、Googieが「あっという間に消え去ったグループ」として憶えているもう一つのグループであった。彼らの「If only the sky was a mirror」(Class #219)は、1958年冬にリリースされ注目を集めた。Sammy Vance and The Blendersの偉大な「My heart's desire」(#236)は、1958年秋にEugene Church and The Fellowsのビッグヒット「Pretty girls everywhere」(2作目のClass編に収録)でヒット街道からはずされた。Bobby Day and The Satellitesは、Classにおいて多くのレコーディングを行なったグループであった。このグループは、The Hollywood Flamesとして、1950年以降にはSpecialty・Swingtime・Money・Aladdinを含むロサンゼルスにあった大手R&Bレーベルでレコーディングをおこなった。Yesterday's Memories誌のBobby Byrdの回想記事によると、The Satellitesという名はGoogieが考え、同時にRobert Byrdという名前からBobby Dayに切り替えた。ClassでのBobbyの最初のソロとしての力作「Come seven」(#207)に続いて、大ヒットとなった「Little bitty pretty one」(#211)は1957年夏にリリースされた。Byrdは「Little bitty pretty one」のヒットで彼自身をソロ・アーティストと考えたが、レコードやショーにおいてはThe Satellites(Flames)の名称が使われた。Earl Nelson(2ndテナー)・David Ford(1stテナー)・Curtiss Williams(The Penguinsのメンバーでもあった)・Clyde "Thinman" Tillis(バリトン)がレコーディング当時のメンバーである。The Penguinsは1957年にもレコーディングがあったが、可能な限りWilliamsはThe Satellitesで歌った。WilliamsがリードをとったThe Satellitesの「Heavenly angel」は、Class #234として1958年夏にリリースされた。当時のEarl Nelson and The PelicansはThe Satellitesであった。彼らの「I bow to you」は1957年にClass #209としてリリースされた。数年後にはLeonとGoogieはThe Intervalsでの仕事でともに働くことになったのは意外でなかった。彼らの唯一のClassシングル「Here's that rainy day/Wish I could change my mind」はClass #304として1962年11月にリリースされた。Leonはレコードの製造とそれに付随する作業に疲れ、Classの200シリーズについてのマスターをロサンゼルスのレコード卸売業者Sid Talmadgeに売却した。彼は再び作詞作曲活動を開始し、「Here's that rainy day」を制作するためにセントルイスから若いグループを選んだ。近年Reneの所蔵するThe IntervalsのClassでのリハーサル・セッションの5インチテープが発見されたことは私にとって幸運だった。そして未発表だった「Here's that rainy day」は本アルバムに収録することができた。我々はシングルのB面(「Wish I could change my mind」の未リリース・テイクも含めて)「You are my only love」と「Funny how time goes by」も収録、ともにその時のセッションテープから未リリースのものであった。Paul Grady(彼もGlaizeレーベルからの「I understand」でグループのバッキングを担当した)は「Here's that rainy day」でリードをとったが、The Intervalsの他のメンバーはFritz Baskett(女性の声に聞こえる)・Richard Tru Love・Ron Townson・Lamont McLemoreである。TownsonとMcLemoreは、2〜3年後にThe Fifth Dimensionのメンバーとなり大成功した。Leon Reneが30代から40代にかけて書いたベスト・ソングは、60年代前半にはスタンダードとなった。ReneとGoogieは(彼らはディスコ「Rockin' Robin」でも共に仕事をした!)自分たちの書いた優れた曲の媒体としてClassを設立したが、レーベルの運営に関する絶え間ない問題については本当に必要としなかった。R&Bボーカル・グループが必ずしも彼の得意とする分野ではなかったが、Leon ReneのClassがレコーディングした作品は偉大なウエスト・コーストR&Rレーベルとしてあらゆるカタログに含まれるに値する。
by Donn Fileti

Pelican's impression

はたしてこの日本に於いてClassのシングル盤などというものをお持ちの方が何人くらいいるんでしょうか。なんていうくらいまぁマニアックなレーベルと言えそうですが、ライナーではこのレーベルの質の高さを創設者であるLeon Rene氏の作曲力だろうと記述しています。