08 The best of Red Top records

Relic-5021

GG08レーベル:Red Top
設立地:フィラデルフィア州・センターシティー
創設者:Doc Bagby・Irv Nahan・Marvin 'Red Top' Schwartz
活動期間:1957年春~1960年代初頭
創設:1957年春
関連レーベル:Jalynne・Val-Ue

01. Heavenly father - The Quintones
02. I promise to remember - Tony and The Twilighters
03. Did you make up your mind - Tony and The Twilighters
04. Bye bye truly - The Students
05. The letter(what am I to do) - The Quintones
06. Key to my heart
07. Oh my love - The Quintones
08. My hero - The Blue Notes
09. Mary - The Students
10. Blue star - The Blue Notes

11. There'll be no sorrow - The Quintones
12. Oo wee baby - The Ivy Tones
13. Yes or no - Tony and The Twilighters
14. Down the aisle of love - The Quintones
15. Be my girl - Tony and The Twilighters
16. My heart in an open door - The Students
17. Please dear - The Quintones
18. Each time - The Ivy Tones
19. Mommy and daddy - The Students
20. Gee, but I'd give the world - Tony and The Twilighters

Doc Bagby・Irv Nahan・Marvin 'Red Top' Schwartzが1957年春の終わりころにRed Topレコードを設立するために集まった。このレーベルの出現でフィラデルフィアはレコードビジネスにとって最も重要な都市となっていく。Dick Clarkが司会を担当したTV番組American Badstand(WIBG局)は勢いを増し、全米でのレコードセールスに強力な影響力を持っていた。またベテランR&BのDJたち-George Woods・Joke 'Kae' Williams・Jimmy Bishop-は多くのローカルヒットを放送し、一大ムーブメントを形成していた。Center Cityのダウンタウンの小さなオフィスから始まったRed Topは地元のフィラデルフィアで活動するタレントを扱った。Doc Bagby・Irv Nahan・Marvin Schwartzの3人は、試験的に何枚かのシングルをリリースし、地元で十分なオンエアを得ることができた。もしこの地で十分なプロモーション活動を行っていれば、彼らは全米でリリースを行うためにマスターを大手レーベルに渡していたかもしれない。Doc Bagby は1957年7月8日に、フィラデルフィア出身の若者(10代なかごろ)の結成したThe Students(I'm so youngで有名なCheckerのグループではない)とともにRed Top最初のセッションを行いシングルをリリースした。この日の午後には4つの歌がレコーディングされた。Bye bye truly・Mary(ともに未発表)・My heart is an open door・Mommy and daddyで、Red Top初のシングルはフィラデルフィア(他の地域ではリリースされていない)だけでおよそ25,000枚を売った。Irv Nahanは事務処理の大部分を担当していたが、フィラデルフィア育ちの彼はR&Bグループとは関わりが深い。1940年に南フィラデルフィア高校のバスケットチームでチャンピオンになったこともある彼は長いマネージメントキャリアを始めることとなる。1954年にはThe Dells・The Spanielsを、のちにはThe Scoolboys・Screamin' Jay Hawkins・Little Hoe Cook and The Thrillersらをマネージメントしている。Doc Bagbyは、Marvin SchwartzがVeeJayのフィラデルフィアプロモーションを担当している頃に、Gothamレーベル(Ivin Ballen設立)のA&Rとして働いていた。続くRed TopのヒットシングルはThe Ivy TonesのOo wee baby・Each timeで、1958年春にリリースされピッツバーグ・フィラデルフィアでヒットし、やがてLibertyから全米に向けてリリースされた。オリジナルグループ-John Ivy(リード)・Williams Brown(ベース)・James Green James 'Peewee' Thomas-のセッションでは、'Little Joe' Cook(Each timeでファーストテナーを担当)が参加して行われた。オリジナルThe Ivy Tonesは長くは続かなかった。Joe Moody・Robert Park(ジャケットに掲載)がグループに加入し、The Corvetsと改名した。のちにVoodoo babyをSueレコードからリリースしている。現在、John Iveyと彼の息子MichaelはThe Naked Truthというグループで活動している。Red TopでレコーディングしたMy confession・Rock 'n roll daddyなども取り上げている。これらの曲は1958年9月10日にレコーディングされたが、グループが解散したために未発表となっていた作品である。1958年6月2日にDown the aisle of love・Please dearをリリースしたThe Quintonesは、ニューヨークのグループで、DJのPaul Landesmanがマネージメントした才能のあるグループである。メンバーはRoberta Haymon(リード)・Ronnie Scott・Phyllis Carr・Carolyn Holmes・Kenneth Sexton・Eunice Cristiの6人である。Down the aisle of loveはフィラデルフィアでまたたく間にヒットし、Red Topは全米で販売するためにマスターをDick Clarkが所有するHuntレーベルに引き渡した。The Quintonesの最初のシングルは大成功したにもかかわらず、グループは続くヒットを出すことができなかった。There'll be no sorrow・The letter (what am I to do)・My confessionはいずれも1958年9月10日にリリース(Warner Brothersはこれらを同時にデビューさせた!)された。The QuintonesはHeavenly father・All my loveを1958年11月24日にリリースしている。1958年はボーカルグループにとってもまだ順調な年であった。Red TopはThe Gainors のFollow meを1958年7月15日にリリースし、すぐにこのマスターはCameoにリースされた。Red Topは地元の少女たちが結成したThe Sharmeers(Rasa Bryant・Castella Riley・Mattie Williams・Gloria Huntley)と1958年6月21日に契約し、School girl in loveをヒットさせた頃、The Naturals(Raymond Finizio・Michael Travaglio・Ronald Laudadio・Ronald Adams)もHow strangeでローカルヒットを得ていた。この少し後The Turbans(Al BanksはThe Heraldのリードとしてグループを抜けていた。メンバーはAndrew Jones・Donald Jones・Edward V. Cole・James Jenkins)がこのレーベルから2枚のシングルをリリースしているがヒットしていない。Doc Bagby・Irv Nahanはまた、Donnie Elbert(VeeJayでの作品Will you ever be mineを担当したのも2人である)・Screamin' Jay Hawkins・Dee Clark・Joe Tex といったソロアーティストも手掛けていたが、彼らにとって次のビッグヒットは、1960年夏のTony and The Twilightersとの契約まで待たなければならなかった。このフィラデルフィア南部出身グループ(Anthony 'Tony' Maresco・Anthony Barbella・Michael Bongiorno・Bernard Mastragostino)はBe my girl・Did you make up your mindを、新設レーベルJalynne(DJのGeorge Woodsの娘の名前である!)で1960年7月5日にレコーディングされた。この夏の午後のセッションではKey to my heart・Yes or noも収録され、最後のRed Topシングルの1枚としてリリースされている。本アルバムに収録された未発表作品のI promise to remember・Gee, but I'd give the worldはAnthony Marescoの2番目のグループ Tony and The Dynamics(本ジャケットの写真はAnthony 'Tony' Maresco・Anthony Perry・Earnest Renard Jr.・Anthony Donatoが写っている)によるものである。彼らはHeraldでもForever・Betty my ownをレコーディングし、後にPlay those oldiesをフィラデルフィアやジャージーでヒットさせAnthony and The Sophomoresとして有名になった。1961年後半にJalynneレーベルは、Curtis Mayfieldが結成したThe Kingsmanというグループのインストゥルメンタルシングルといったものまでリリースした。Curtis Mayfield作のLady's choiceであったがヒットはしていない。しかし以降Irv NahanとCurtis Mayfield・Jerry Butlerらとの長い付き合いのはじまりとなり、シカゴのミュージックシーンからはCarl Davis・Major Lance・Tyrone Davisらを輩出することになる。1961年9月、Curtis MayfieldプロデュースのもとThe Four TopsのRed Top-Jalynneでのレコーディングが予定されていた。この契約書のオリジナルは今もIrv Nahan所有のファイルの中にある。Doc Bagbyは、Eddie Hart・Felix Valdera(サウスストリートにある有名なParamount Record Shopのオーナー)とともにチームを組み、新たにVal-Ueレーベルを設立した。彼らはDoc Bagby自作のオルガンによるインストゥルメンタル曲やHarld Melvin and The Blue Notesをレコーディングすることとなる。My hero・O holly niteは、What brought us together(The Edsels)・The time(The Five Satins)・Little boy blue(The Elegants)らと同じ1960年秋にリリースされ地元で話題となった。Blue star(ストリングスのオーバーダブなしのバージョン)・Devotedは1961年1月12日にリリースされた。現在Eddie Hart・Doc Bagbyはともに死去している。しかしThe Blue Notes(Harold Melvin・Bernard Williams・Jesse Gillis Jr.・Franklin Peaker・Roosevelt Brodie)の作品は今でも色褪せない(かつてR&Rバラードにバグパイプを使われたことがあるか?)。60年代初期になって多くのオールディーズマニアは、Red Top・JalynneレコードやIrv 'Slim' RoseのTimes Squareレコードが紹介した The Students・Tony and The Twilightersらによって豊富なマテリアルの存在に気付くこととなった。Red Top・Jalynneのレコードの大部分はペンシルバニアだけでリリースされており、熱心なニューヨークのR&Rファンは一度もDoc Bagby・Irv Nahanがレコーディングした作品の多くを聞いたことがなかった。マスターテー我々は未発表作品に加えて、いくつかは別テイク(Be my girl)を使用した。彼らがフィラデルフィアでトップクラスのR&Bアーティストの多くを抱えたのはCenter Cityのちょうど北にあるストリートであった。Marvin 'Red Top' Schwartzはウエストコーストに住み、そして最良のRed Top作品はこのアルバムにある。
by Donn Fileti

Pelican's impression

The Quintonesはペンシルバニア出身の男女混成グループ。実にソウルフルな作品で、R&Bチャート第6位まで上昇したバラードです。歌詞の内容とはうらはらに実に悲し気に聞こえませんか。Down the aisle of loveのTony and The Twilightersはイタリアンアメリカンの白人4人組ですが黒っぽさも充分に持ち合わせた歌声です。The StudentsはRed Top最初のキッド・グループで未発表作品も収録されています。おそらく最も有名なのがThe Blue Notesでしょう、私は最初にこのグループ名を見た時にはてっきり同名の別グループだと思っていましたが、Harold Melvinがメンバーにいるグループでした。かなり分厚いコーラスワークで、実力派としてすでにこの頃から活動していました。お気に入りはBlue Starでした。