18 The best of Premium records

Relic-5037

18レーベル:Premium
設立地:ニュージャージー州・リンデン
創設者:Joe Leibowitz
活動期間:1955年9月~1957年
創設:1955年9月
関連レーベル:Wallis Original・Monarch・Deluxe

01. My heart's desire - The Wheels
02. A love like yours - True Loves
03. Give me a chance - The Montclairs
04. Loco - The Wheels
05. Sorry - The Escorts
06. Angel child - Paul Winley & The Rockets
07. How could I leave you - The Wheels
08. Believe in me - The Copesetics

09. Let's have a ball - The Wheels
10. My every dream - The Montclairs
11. I can't forget - The Wheels
12. Collegian - The Copesetics
13. Never look behind - True Loves
14. It's love to me - The Escorts
15. Teasin' heart - The Wheels
16. May I count on you - Arthur Lake & Wheels

我々が「Relic Golden Groupsシリーズ」をリリースする度に思うのは、レーベルに関わったアーティストについての記述の難しさである。我々の素材の大部分は、1950年代中後期から1960年代前半にアメリカ北東の都心から始まった。ニューヨーク市という大都市圏は、この年代に於いてとても人気があるグループに関しては議論の余地なく中心地であった(そして、まだそうである)。多くのレコード会社は、R&Rの絶頂期のつかの間に誕生したが非常に短命であった。各々のレーベルは多くの競争相手と差別化をはかろうと試みた。Premiumがリリースしたほぼ全てのシングルは、(バッキングも含めて)黒人によるボーカル・グループあるいはソロ・シンガーであり、長年レコード・コレクターにとって特に重要なレーベルであった。グループ・コレクター・フェティシスト(物を崇拝する者という意)はどんなR&Bレコードでもすぐに中傷するものだ。その作品がどんなに素晴らしくても、ハーモニーがあること(いつかこの理由を調査したら興味深いだろう)が必須であった。残念な語が広く使われる前に、全13または14のPremiumシングル盤は特に収集された。The Wheelsの「My heart's desire」がR&Rのスタンダード(おそらく第二位か三位で、本当の意味での全米ヒットではなかった)になったというのは本当であり、長期間にわたった人気がPremiumカタログ全てを強化した。ベテランのレコードマンJoe Leibowitzが1955年9月にPremiumを設立した1950年代半ばという時代は、R&Rグループ・サウンドはその頂点にあった。特にボストン・ニューヨーク・ニューアーク・フィラデルフィアそしてボルチモアからワシントンにかけての一帯(当時は単一市場として考えられていた)といった都市で「ストリート・コーナー・ハーモニー」は大量に放送された。ドゥーワップ・バラードやジャンプ・ナンバーを歌った才能あるシンガーを見つけるために、遠くまで行く必要はなかった。どうもJoe Leibowitzは、白人や黒人のティーンエイジャー間で人気が爆発していたR&R人気を利用しようと、ニューアーク南部近郊でしていた地味な産業をやめ、リンデン(ニュージャージー州)の自宅で運営から金儲けをしようと思い立ったらしい。1950年代でにおけるレコーディング・セッションにかかる費用というのは、ごくわずでかしかなかった。「1グループで2~3曲を録音する」という1セッション(組合賃金あるいはそれ以下で雇われた4~5人のバッキング・ミュージシャンがそこには必ずいた)に対する報酬交渉(もちろんレコードが売れない限り何も支払われなかった)があった。著作権とオリジナル曲の演奏(歌唱)版権は通常レコード会社とその系列出版社が完全に所有していたため、ヒットすればかなりのお金が会社に転がり込むことになっていた。Joe Leibowitzは1942年にDeluxeレコードを設立した一人で、彼はこの仕事にかなりの音楽知識を導入した。彼は7年間DeluxeでA&R(Artist and Repertoireの略で、アーティストの発掘・契約、時には制作までを担当する。当時はDJに顔が利く人物などが担当した)の指揮にあたったのち、1949年の現在ではほとんど忘れられているRuth Wallisのためのレコード会社として、Joe Leibowitz自身のWallis Originalレーベル設立のために1949年に会社を去っている。彼はMonarchレーベルからJoe MitchellとKing Curtisを1953年10月にリリース、短期間だがR&Bチャート・インさせたが、その後のPremiumレーベル設立がR&R賞金レースへの最初の参加であった。Premiumという名称は、かつて1951年にMemphis Slimや多くのブルース・アーティストをリリースしたシカゴのレーベル会社の名称であったが、Leibowitzが1955年晩夏に自身のレーベル設立時点においてその会社は全く現存しなかった。Premium最初のシングルは、若いソングライターPaul Winley and the Rockers (#401)による「Angel child」であった。WinleyはのちにR&Rレーベルを設立(Relic LP 5019 "Best of Winley"参照)し、すぐにLeibowitzを追い越すようになるのであるが、1955年9月にリリースされたこのシングル盤はヒットに至らなかった。Premiumは基本的にワンマン会社であったため、リリースに関するラジオ放送でかけてもらえるのはLeibowitzが個人的に訪問することができた地元の放送局に限られていた。George Hudson・Danny "Karman" Stiles・Pat "the Cat" ConnellやCharlie Greenといった強力なDJライン・アップをもつニューアークのWNJR(ニュージャージー州)は、全米中のどのラジオ局よりもPremiumレコードを最も多くオン・エアした放送局だろう。「My confession」とのカップリングの「Angel child」は、1955年10月1日付けのキャッシュ・ボックス誌で、The Diablosの「The way you dog me around」、The Spidersの「Whichcraft」、The Jacksの「I'm confessing」とともにレビューされた。LeibowitzはVikki NelsonとJohnny Cookを続けてリリースしたがいずれも全くヒットしなかった。その後まもなく、LeibowitzはWallis Originalレーベルを売却し、The Montclairsの「Give me a chance/My every dream」(#404)を出したところ、1956年春に多くのWNJRラジオで放送されるようになった。この曲はArthur Perry(ヒット当時はブルックリンのクリフトン・プレイスに在住した)によって書たナンバーで、歌ったグループはモントクレア(ニュージャージー)という町名から名前をとったと思われた。私はこのグループをいつもニュージャージー出身であると予想した。Premiumにおける本当に忘れがたいヒットはThe Wheelsの「My heart's desire」で、1956年春にリリースされ、WINS(ニューヨークのDJ Alan Freedがいた)ではひと夏を通して盛んにオンエアされ大ヒットとなった。これをきっかけに、裏面に「Let's have a ball」を収録したPremiumのシングル盤「My heart's desire」は全米で人気を得ていった。Leibowitzには全米で何枚を売ったか正確にわからなかったらしいが、およそ100,000枚は超えたであろうと推測している。ニューヨーク"Doo-Wop"バラードの古典のひとつ(一度でも聴いた事があるならその訳はわかるだろう)「My heart's desire」は、Times Squareレコード・ショップがオープンした1959年当時最もリクエストの多かったオールディーズの1枚であった(Wayne Stierleと私がPremiumシングルとして1960年春に再発した)。The Wheelsは、Rudolph Anderson(リード)、James Pender(テナー)、Kenneth Fox(バリトン)、Lorenzo Cook(ベース)の4人編成で、Allen Bunn(以前The larks・Selah Jubilee Singersを担当した)がマネージメントをおこなった。Bunnは彼等のアレンジを担当しギター演奏までしている。またArthur Lake(#406)・Vikki Nelson・Gloria lynneのPremiumでのセッションもプロデュースした。そこではThe Wheelsをバッキング・グループとして参加させている。The Wheelsの「Teasin' heart/Loco」(#408)はPremium2枚目のシングルで1956年晩夏にリリースされた。「Teasin' heart」は当初多くのラジオから放送されたが、まったく売れなかった。60年代前半の当時、地元のレコード店では「シングル盤どれでも3枚で1ドル」という価格(ごく一般的な相場だった)で店内のボックスに置かれていたが、この「爆弾シングル」がレア・アイテムになるには長い時間がかかることとなる。The Wheels3枚目のリリース「How could I ever leave you/I can't forget」(#410)は出来の良さとは反対の評価となり(私は1956年にどちらの曲も聞いた事が思い出せない)、その後グループはThe FederalsとしてFuryとDeluxeでレコーディングを行ない、のちにThe WheelsとしてTime・Roulette・Curtis・Follyでもレコーディングを行なった。The Escortsの「Sorry」と「It's love to me」(#407)が1956年の春から夏にかけて好調な売れ行きを示し、Percy Shepardがマネジメントしたニュージャージー出身のThe Roselleというグループが、ニューアーク・パッセーク・トレントン(いずれもニュージャージー)のパラマウント劇場にThe HeartbeatsとLillian Leach and The Mellowsとともに出演をはたした。The Escortsは、Marion Saunders(リード)・Malcolm Norwood(ファースト・テナー)・Robert Hurting(セカンド・テナー)・Bobby Mc Lawn(ベース)というメンバーである。「Collegian」(#409・裏面は「Believe in me」)はThe Copeseticsにとってラジオ放送で好評を得た最初で唯一のシングル盤であった。ハーレムの東135番街に住んでいたBetty Ann WilliamsとRosetta Brownが1956年11月に書いた歌で、ニューヨークの高校生ロックン・ローラを困らせた「大学生対自由主義者」の論争のような「Collegian」を歌う彼等を見るのが、確かに私にとって楽しみであった。この「Collegian」は1956年11月24日付けのキャッシュ・ボックス誌にThe Teenagersの「I'm not a juvenile delinquent」、The Moonglowsの「I knew from the start」、The Seniorsの「Evening shadows」とともに登場した。「A love like yours/Never look behind」(#611)という傑作シングルは最初Lovenotesという名前でリリースされ、すぐにThe Truelovesという名前で世に出たが、このグループについては何もわかっていない。おそらく、Holidayレーベル(「United」は1957年春にリリース)からデビューし成功したThe Lovenotesと同名という事で改名したものと思われる。Gloria Lynneのシングル(バッキングにThe Wheelsが参加している)を1957年8月にリリースした後、Premiumレコードは2年間の活動を休止した。Joe Leibowitzはその後まもなく死去、1959年にマスター・テープがTransdisc Distributors(ボストンに拠点を置いた)のSaul Weinsteinに売られた。良き時代の最高のニューヨーク・サウンドを創り出したリンデンの家には、夫を亡くした今もLeibowitz婦人が住んで(1982年現在)いるが、オリジナルのテープ・写真・書面にした資料は残っていない。
by Donn Fileti

Pelican's impression

まずは針を落として下さい。のっけからグッときませんか。ライナーにもあるけれど実に名曲ですよね〜。しかし聴けば聴く程、知れば知る程、いったいDoo Wopという定義がまことに難しいものだと思います。ヴォーカル・グループの「とある時代」を表す言葉のように考えてもいいのではないかとも思っちゃいます。日本史に「戦国時代」なんていうのが実際にはないのと同じように、全部が全部バックコーラスで「ドゥー」とか歌ってる訳でもないしねぇ。もっとも定義とかジャンル分けなんてテキトーでもいいんですが。それでもこの時代以前のグループものを聴くと、やはり確実にサウンドは異なるんですね〜。バックコーラスでさえ楽しんでやるみたいな姿が想像できるというか、いかにリードに絡んで絡んで絡みきるのかなんて感じがあったりするとタマリマせんなぁ、ねえ。でもコレって70年代のスィートコーラスグループにも通じるというか、発展形と言えそうですよね。