21 The best of Lu-pine records

Relic-5043

GG21レーベル:Lu-pine
設立地:デトロイト州・シカゴ
創設者:Robert West
活動期間:1959年~1962年
創設:1959年
関連レーベル:Flick・Lu-Pine・Kudo・Silhouette・Contour

01 Once upon a time - Marv Johnson & Group
02 Billy is my boyfriend - The Conquerors
03 Please let it be - The Bumble Bees
04 This heart of mine - The Falcons
05 Genie in the jug - The Tornados
06 It's gonna work out - The Rivals
07 Please don't go - The Bumble Bees
08 Bubble gum - Little Joe & The Morrocos
09 Can this be christmas - The Falcons
10 Together - Sonny Woods Group

11 Geraldine - Bob Hamiltons Group
12 Love in your life - The Tornados
13 Baby your - Marv Johnson & Group
14 We are like one - The Five Masters
15 Juanita in Mexico - Professor Hamilton & The Schoolboys
16 Trouble in the candy shop - Little Joe & The Morrocos
17 Many a day - The Minor Chords
18 Nature boy - Briant Holland & Group

50年代のデトロイトで不明な物の一つに大手のR&Bレコード会社があった。シカゴにはChessとVee-Jayがあり、ロサンゼルズにはModern・Specialty・Aladdin・Imperialが、シンシナティでさえKingという誇れるレコード会社があった。しかし、デトロイトのlinwood(後にThird地区になる)にあったFortuneレコードは、当初スラム街レコーディング・スタジオにすぎなかった。Browns家はあらゆる堅実さで全米ヒットを出すという非常に変わっていた人物であった。本当の評価を手に入れたかった野心のある若い才能は、どこかほかに行かなければならなかった。Jackie WilsonはThe Dominoesに加わりBrunswickで大ヒットを連発する間、The MidnightersはKing・Federalでレコーディングを行なった。Coral(決してR&Bグループで知られているレーベルではない)は50年代半ばにThe Enchantersのような強力な地元グループと契約、モーター・シティにおいては十分に力のあった強いレーベルが、わずかな才能を探し求めた。もちろん、Berry GordyとMotownは60年代前半のその隙間を十二分に埋め、デトロイトという場所は世界のR&Bの中心地となった。Gordyに先行し、デトロイトで活動した多数のR&Bシンガーのほんの一部をレコーディングしたした1人の男性は、Motownに似た帝国の建立に成功したかもしれなかった。彼自身の物語と彼のすばらしい音楽は、ほとんど知られていない。本アルバムと関連LP(The Girl Groups of Detroit・Three Shades of the Blues・Best of the Falcons, Vol. 1 and 2・他)は、故Robert Westへの正当な評価をもたらすであろう。自身のFlickおよびLu-Pineレーベルでプロデュースしリリースした最初で最大のヒットを送り出したThe Falconsは、1959年の「You're so fine」とWilson Pickettをフューチャーした1962年の「I found a love」の2曲でRobert Westの名は広く知られた。これらの2つのすばらしいゴスペルにも通じるR&Bの古典は製作者のキャリアにとって十分な作品である。Westは1957年から1967年の10年の間に多くのR&Bアーティストを発見し、プロデュースし、レコーディングした。WestはMarv Johnson・Wilson Pickett・Eddie Floydといった大物R&Bシンガーだけでなく、Lu-Pineレーベル(Relic LP-8004 "Girl Groups of Detroit"参照)からDiana Ross and The Supremesの最も初期のレコードの再発も行なった。本アルバムに収録した歌の多くは無名であるが、特徴的なゴスペル色の濃い50年代後半における最高のデトロイトR&Bである。Marv Johnsonの「Once upon a time/My baby-O」(The Five DollarsがFortuneからリリースした作品)は1958年にWestのKudoレーベルからリリースされた。それは素晴らしいボーカル・グループ・シングルであったが、何も起こらなかった。Johnsonは全米で注目を集めるためには、(捉えどころのない)Gordyマジックを必要とした。1年後にTamlaレーベルから発売したJohnsonの「Come to me」が大ヒットし、間もなく彼はUnited Artistsへ移籍した。明らかにWest(と彼の異なるパートナー)はさまざまなR&Bを試みていた:ディープ・ブルース、ドゥーワップ・グループ、アーバンR&Bのレコーディングについての正しい手法を見つけようとしていた。そしてWestは1959年の冬に、The Falconsの「You're so fine」の大成功によってビニール・マジックを自身のFlickレーベルで発見した。彼の甥にあたるEddie Floydは、地元のモンゴメリー(アラバマ州)からWest夫妻の後を追ってデトロイトにやってきた。そして1955年に彼の最初のThe Falconsを結成した。グループの「Can this be christmas」は、Eddie Floydをリード・シンガーに、1957年のクリスマスにSilhouetteレーベルからリリースされた。「This heart of mine」もEddie Floydのリードで1958年にKudoからリリース、そして1959年にはChessからも完全に異なるバージョンで発売された。この時のThe Falconsは、Floyd・Joe Stubbs(The Four TopsのLevi Stubbsの兄弟)・Willie Schofield・Mack Rice・Lance Finnieがメンバーであった。「Can this be christmas」は1957年12月25日付けのキャッシュ・ボックス誌のWCHB・デトロイトR&Bトップ10において第9位と発表されたが、グループが全米に知られるには1959年の「You're so fine」まで待たなければならなかった。幸いにもWestはテープやデモ盤を、初期のデトロイト・セッション時からずっと保管していた。彼が手がけた数多くのワンショット(一回きりの)・グループの詳細について彼の保持する古いファイルが乏しい手掛かりを与えてくれる。Sonny Woodsと彼の知らないグループによる「Together」は、Westがその大部分のセッションを行なったデトロイトのUnited Recording Studiosで1957年にレコーディングされ、結局リリースされなかった78回転盤のデモであった。デトロイトのグループThe Midnightersでベースを担当したSonny Woodsというシンガーがいたが、これが彼のグループである可能性はある。Westは自身の抱えるアーティストやその作品に好意的であり、複雑なビジネスもつれが原因でレーベルを離れる事のないように細心の注意を払った。1962年ごろにLu-Pineのロゴが誕生するが、それまでの58〜61年にかけてWestは、Flick・Kudo・Contour・Bumble Beeなどのいくつかの異なるレーベルからシングル盤をリリースした。Hamilton and the Schoolboysがエキゾチックな「Juanita in Mexico」をContourレーベルからリリースした頃の作品で、「Geraldine」もBob Hamiltonと彼のグループであるが未発表作品となっている。資料によると「Juanita」は1957年12月に最初にレコーディングが行なわれたが、Contourからのシングルは60年代前半までリリースされなかった。故Bob Hamiltonは多作なソング・ライターで、The Reflectionsの「Just like Romeo and Juliet」やBobby Lesterの「Am I the man」を書いた。彼の兄弟Albertは、Ric-TicレコードのAl "You gotta pay the price" Kentである。我々がもう一つの興味を持ったのは、The Bumble Beesというグループの「Please let it be」と「Please don't go」である。「Please don't go」はア・カペラであることを除くと、デトロイトの無名弱小レーベルS.R.C.らかリリースされたThe Five Emeraldsのチャチャ・テンポ作品「I'll beg」と同じ曲である。「Nature Boy」は1958年にKudoからリリースされたが、熱心なグループ・コレクター以外にこのシングルを知る者はほとんどいなかった。Westは1959年にBumble Beeレーベルを設立し、The Tornados・Little Joe and The Morrocos(Unitedに在籍したThe Moroccosとは別のグループ)・Five Mastersをプロデュースし、すべて同レーベルからリリースした。これらのグループの各々についてはほとんど何もわかっていない。The Tornadosは、1956年にChessから「Four o'clock in the morning」をリリースしたStanley Mitchellのコンボである可能性はある。「Love in your life」はCharles Sutton(「Walk with me Annie」で知られるThe Midnightersのテナーで、1957年にグループを離れている)と共同で書かれた作品である。La Vern Brownの「Trouble in the candy shop」を書いたのは、「Bubble Gum」のライターFred PrideとGeorge Woodsである。両面ともに優れた1962年のLuPineシングル(#108)のThe Conquerorsは本アルバムでは別収録となった:B面も「Dutchess conquers duke」は我々のコンピレーション・アルバム「The girl Groups of Detroit」に収録しており、「Bill is my boyfriend」はパワフルな男性グループのバッキングが特徴的な作品である。The Minor Chordsの「Many a day」は1962年にLuPine-112としてリリースされた。このグループはSax Karl(しばしばWestの編曲を手伝った)とともにレコーディングを行い、またリード・シンガーのSunnie ElmoはFlick設立初期にもレコーディングに参加している。The Rivalsの「It's gonna work out」(Lu-Pine #118)が全米ヒットできた可能性はあった。残念ながらこの曲はすでにT.J.レーベルからリリースされていた。Lu-PineはFowler's Puffレーベルからそのマスターを購入した。もしAtlanticレコードがこの頃にLu-Pineの全米配布を請け負ったとしても、デトロイトとクリーブランド以外の地域で売れたのはThe FalconsとOhio Untouchablesだけであっただろう。Robert Westの作り出したグループサウンドを聞いたならば、誰にも劣らない素晴らしいドゥーワップ・レコードを製作したことに、確信をもってあなたは同意するだろう。Lu-Pineレーベルは60年代の前半にOhio UntouchablesやFalconsで、多様性のあるゴスペル・テイストのソウルで注目された。Westは制作関わったR&Bのすべてにあらゆるスタイルを試みた。
by Donn Fileti
Catherine West夫人の協力とかけがえのない援助へ特別な感謝を表します。
Falcons物語「Whiskey, Women, And…」を記したMarv Goldberg氏に感謝します。

Pelican's impression

日本ではまずもって聴く事の出来ない曲ばかりです。アメリカ本国でも事情はそれほど変わらないと思いますが、マニアックな作品が満載。