22 The best of Klik records

Relic-5044

GG22レーベル:Klik
設立地:コネチカット州・ニューヘブン
創設者:Marty Kugell
活動期間:1957年~1960年
創設:1957年
関連レーベル:Standard

01 Poor rock'n roll - The Nobles
02 Crying for you - The Centuries
03 Oh baby - The Nobles
04 Betty - The Centuries
05 Why be a fool - The Nobles
06 Time stood still - The Shades
07 Ride away - The Revlons
08 Schoolday crush - The Nobles
09 So good - The Shades

10 Chimes - The Shades
11 Praying for a miracle - The Anglones
12 Crime don't pay - The Nobles
13 Love me once again - The Memories
14 School bells - Nicky and The Nobles
15 My love - The Revlons
16 Darling you're my angel - The Memories
17 Tingaling - The Nobles
18 Will I - The Memories

故Marty Kugellはおそらく最も有名なR&Rグループ・バラードを制作、またGene Pitneyを最初にレコーディングし、そして知られざるア・カペラの父である。それでも、50年代末期の「ニューヘーヴン・サウンド」を楽しむほんの一部の熱心なコレクターに限っては、コネチカット州のニューヘーヴンから生み出された彼のKlikレーベルは知られている。ニューヨーク市からおよそ75マイルも離れたコネチカット市で小さなスタジオを経営したこのパイオニアの前を富と名声は通り過ぎていったのか? Marty Kugellの最初の起業は、おそらくStandardレコード(The Five Satinsの「In the still of the night」)への協力プロデュースによって古今の最もすばらしいR&Rグループ(The Penguinsの「Earth angel」も忘れてはいけない)のバラードを世に送り出したことであった。Marty KugellとFreddie Parris(The Five Satinsのリード・シンガー)は、彼らの伝説的な教会でのレコーディングが達成した長い人気を予見することができなかったのは、おそらく確かである。Standardはハートフォードやボストン以外の地域に配布しなかったため、Al Silverの Emberレコードにマスターを売却することは理にかなっていたと言えた。一旦R&Rの歌がチャートから去ると、その価値は永遠に消えると当時は考えられていたが、極めて一部のレコード業界人は「マスターと著作権の価値は持続する」と考えた。1957年8月31日付けキャッシュ・ボックス誌には、Klikレコード(ニューヘーヴン・944 Chapel Street in downtown)の設立についての小さな記事が掲載されている。KugellはJoey GiammatteiのアシスタントのもとNational Enterprise Companyを設立した。JoeのバンドThe Noblemenの作り出すサウンドと彼の音楽的なアレンジは、彼自身の「Tequila」のようなインストゥルメンタルである「Pumpkin」と呼ばれる作品など多くの初期のKlikシングルで聴く事ができる。The Rajahsの「Shifting sands」は1957年秋にKlikがリリースした1枚で、Leroy Griffin(The Nutmegsのリード・シンガー)がThe Rajahsのリードとして歌いKugellがプロデュースしたすばらしい歌のひとつであった。Griffin and The Nutmegs(もしくはRajahs)の「Let me tell you」と「Down in Mexico」は古典的なア・カペラ(彼らがKlikに残したテープについてはRelic LP-5002 "The Nutmegs Featuring Leroy Griffin"を参照)で、彼等が有名になって以降アレンジしたりリリースされなかったデモである。本アルバムに収録した大部分の歌は、実際のところマスターとなるまでのラフなデモである。The Shades・Memories・Anglones・Revlonsは、地元ニューヘーヴン出身のグループで、いずれもこれらのデモは最終的に世に出ることはなかった。Kugellの所有した地階にあったスタジオは、The NutmegsとThe Five Satinsの成功にあやかろうとした無数の街角グループのための本部ともいうべき状況であった。私が本アルバムに収録した歌を最初に聞いたのは、1960年の春にWayne StierleとLido-Tip TopレコードのLeo Rogers(Relic LP-5026 "Golden Groups : Best of Tip Top Records"参照)とともにニューヘーヴンにあるKugellの地階を訪ねたときであった。この頃すでにMartyはレコード・ビジネスを諦めようと彼の所有する全カタログを売りたがっていた。我々がその時に聞いたのは、The Memories and Shadesのアマチュアっぽい力作と、Gene Pitneyの最初のレコーディング(印象に残る程のものではなかった)で、いずれもDeccaに売却されJamie and Janeとしてリリースされた。Kugellがニューヘーヴンで本当の才能を発見したことは明白だったが、ア・カペラのデモは決して商業的な成功をなす事はなかった。時には思いがけない可能性が開けるのは、ア・カペラを認めていたSlim Rose(彼をサポートした知識のあるコレクターの親身なアドバイスによってかなり助けられたが)の才能であった。Slimは1961年、成功した自身のオールディーズ・ショップの付属として店と同じ名前のTimes Squareレコード(Relic LP-5032 "Golden Groups - Best of Times Square Records"参照)というレーベルを設立した。そしてTimes SquareとしてThe TimetonesとSummitsを成功させたSlimは、更なるリリースや再発のためにより多くのマスターを求めていく。我々はMarty Kugellと接触し彼を紹介、そして協定が取り決められた。やがてThe Noblesの「Poor rock and roll/Ting a ling」がTimes Squareにおけるナンバー・ワン・ヒットとなった。この曲は、ボストンとニューヘーヴンで開催されたAlan Freed主催のBig Beat R&Rステージ・ショー・ツアーを終えてすぐの1958年冬にレコーディングされた。The Noblesの歌が大ヒットしていたニューヘーヴンでのFreedのショーが禁止されたことに対して、ボストンでは暴動が起こった。Paul Lepriの著書「New Haven Sound」によると、Noblesのオリジナル・メンバーはDicky Bernardo/Joey Kakulis/Sal Tramauche/Pat Cosenzaで、後にNickie Delanoが加入、グループはGoneレコードから「School bells」をリリースした(本LPに収録されているのは未発表テイクである)。「Crime don't pay」はLepriレコードから、1956年の「Why be a fool」から1957年の間にリリースされたと思われる。Slim RoseがTimes Squareレーベルからニューヘーヴンのグループによる未発表デモをリリースしたが、ファンの間ではグループの未完成のラフなデモとしてよりもむしろ完成されたア・カペラと考えられていた。The Nutmegsによる「Let me tell you」と「Down in Mexico」の成功で全く新しいジャンルが誕生した。「R&Bのア・カペラ」ファンは、Klikに在籍時した頃のThe Nutmegsのデモ(Relic LP- 5004 The Velvet Angelsの古典に加えて)を余分な物のない生のグループ・ハーモニーにおける最高の音楽であると一般に考える。The Shades(「So good」「Time stood still」)の作品を含む本アルバムの大部分は60年代前半にTimes Squareから最初にリリースされた。Memories(「Love me once again」)とRevlons(「My love」)は一度も有名になる事はなかった。Times Squareのカタログは1965年にRelicレコードに売却され、ほとんどの良質な作品が、シングル盤や「Best of Acappella」シリーズの一部として再発された。彼が50年代にレコーディングしたすべてのグループの仔細なファイルを、Kugell(や当時のレコード・ビジネスに関わったほとんど人たちがそうであったように)が保管しているというわけではなかった。手がかりとなる多くは、残念なことにデモ・テープの箱の書かれたメモ書き程度の名前であり、正確に確認されたものではない。Paul Lepriによると、The RevlonsはCorky Rogers・Maurice Sykes・Harold Teague・Bunky Goldston・Richie Freemanがメンバー。CorkyはのちにThe Five Satinsに加入している。The Centuriesには、おそらくMilton WhiteとClarence Thomasが加入していたと思われる。デモテープを保管する時にSlimが箱に「Memories」という名前を選んで記したことはあり得るものの、これらの歌が広く知られる手助けをしたことに対する彼のユニークな援助は完全に認めなければならない。Kugellは最初に地元で注目を集めれば、より大きな会社から全米にむけてレコードを配信させた。「Poor rock and roll」は1958年夏にGoneが扱かったが、George Goldnerが毎週毎週急いで出す新譜の連発によって陰に隠れてしまった。Frankie Lymonに代表される「少年のリード・ボーカル」ファンは常に「School bells」が好きだった:長年、コレクターはNicky and The Noblesが若い黒人のグループであると思っていた。それでも、ニューヘーヴンの50年代ロックン・ロールとともに暮らしたイタリア系アメリカ人が、ブルックリンのハーレムで起こっていたストリート・コーナー・サウンドをすぐに真似できたことは、決して驚きではならった。Marty Kugellは、70年代になってもレコーディング活動を続けた。彼はいくつかのプロジェクトで再びFred Parrisと共に仕事をしたのち、映画のサウンド・トラックに取り組むためにカリフォルニアへ引っ越した。彼の早すぎる死は、オールディーズ界ですらほとんど知られなかった。彼の名前は広く知れれてはいないかもしれない、しかしGene Pitney・Fred Parris and the Five Satins・Leroy Griffin and the Nutmegs・Nicky and the Noblesやほかにも無数のグループを世に送り出した彼の多くのロックン・ロールはこらからも長い間輝くであろう。
by Donn Fileti

Pelican's impression

1曲目からカッコいいサウンド、Doo Wopの王道ともいえるナンバーからはじまります。しかもライナーにあるようにイタリア系アメリカ人のグループというから驚きです。ブルックリンと言えばThe CrestsのJohnnyMaestroも同じイタリア系のシンガーでした。