27 The best of Flash records

Relic-5049

GG27レーベル:Flash
設立地:カリフォルニア州・ロサンゼルス
創設者:Charlie "Flash" Reynolds・Pat "Flash" Reynolds
活動期間:1955年~1959年
創設:1955年
関連レーベル

01 Stranded In The Jungle - The Jayhawks
02 Crying Over You - The Hornets
03 Oh That Girl - The Emanon "4"
04 Annie Mae - The Arrows
05 Love Train - The Jayhawks
06 Dead - The Poets
07 Tell Me - The Cubans
08 Tango Moon - The Hornets
09 My Only Darling - The Jayhawks

10 Vowels Of Love - The Poets
11 Don't Mind Dyin' - The Jayhawks
12 Blues For Monday - The Emanon "4"
13 You've Been Gone So Long - The Cubans
14 The Devils Cousin - The Jayhawks
15 Don't Go Baby - The Cubans
16 Crying Over You - The Hornets
17 Oh Miss Dolly - The Cubans
18 Counting My Teardrops - The Jayhawks

50年代、大きなR&Bレコード店が新しいレーベルを設立し、自身のレコードを生産するというような事が、まさに一般的な時代であった。Joe Von Battleが彼のJVBレーベル(ヘイスティングス通りに面した彼の人気のデトロイト店の一角に開設した)からAretha Franklinの最初のシングルを出したように、Bobby Robinsonもまた西125番街ハーレムの自身のレコード店の奥でRed Robinレコードを運営した。ロサンゼルスでは、多才な企業家John Dolphinが「Recorded in Hollywood」や「Cash/Money」レーベルをDolphinのハリウッドのレコード店で立ち上げ、まさに成功していた。Charlie "Flash" Reynoldsが、1955年に623Eのヴァーノン通り(ロサンゼルス)の彼のレコード店の奥の部屋でFlashレーベルを設立した時は、誰も驚かなかったのは当然であった。Charlie Reynoldsは数年前にコヴィントン(ジョージア州)からロサンゼルスへ転居、彼の兄弟であるPat "Flash" Reynolds(レコード店を始めたのは彼である)とともにレコード・ビジネスを始める事にした。鋭くて目先がきくビジネスマン、Charlie Reynoldsは豊富な地元のタレント達に注目、お店の若者達に向けてブルースのシングル盤を出すことに決めた。Flashレーベルが最初にリリースした3枚のシングル盤(1955年6月28日にレコーディングされた)は、Sidney Maiden・B. Brown and his McVouts(なんというグループ名なんだ!)・Haskell Sadlerであった。光沢のある赤いラベルに太字で「Flash」のロゴが配された。しかし、地元で話題になるほどには売れなかった。1955年夏の終わりに、Charlie Reynoldsは近くのジェファーソン高校(忘れがたいほど多くのR&Bアーティストが通った学校でもある)の若いグループを売り出した。結成当初のThe Jayhawksは、James Johnson(1stテナー/リード)・Carlton Fisher(2ndテナー)・Dave Govan(バリトン)・Carver Bunkum(ベース)がメンバー。Flashレーベルからの彼らの最初のシングル「Counting my teardrops」(裏面は「The devil's cousin」)は1955年10月2日にレコーディングされ、Flashの資料によると10月15日に地元でリリースされた。The Jayhawksの最初のシングルは、1956年1月21日付けキャッシュ・ボックス誌に全米に向けての広告を掲載、2月18日付けの同誌でレビューされた。Flashの資料には「Counting my teardrops」は、正確には987枚しか売れなかったと記載されている。しかしFlashレーベルの次回作には「運」がグループに味方した。「Stranded in the jungle」(1956年4月にリリース)がヒット、FlashレーベルとThe Jayhawksへの評価をもたらすだけの全米チャートに入った。ところがこの曲はModernレコードに在籍したThe Cadetsにすぐさまカバーされ大ヒットした。現在Flashレコード店の1件を経営するDanny Flashは、MercuryからリリースされたThe Gadaboutsバージョンでさえも、The Cadets版と同様に自身の小売店で大きな売れ行きを示したことを覚えている!いずれにせよ1956年6月の時点で121,522枚(できたての会社としては悪くない枚数だ)のFlashシングルが出荷された。Ernestine Smithは「Stranded in the jungle」を書いて、Danny FlashとAl Curry(The Jayhawksのマネージャ)とともに若い声のグループを訓練した。「My only darling」は、FlashシングルのB面として最初にヒットした曲であった。FlashレーベルでのThe Jayhawksの最後のシングルは「Love train/Don't mind dyin'」(Flash 111)(「Stranded in the jungle」の続編として自然なフォロー・アップ)で、残念ながら売れなかった。グループはその後Aladdinに誘われるままに、The Jayhawks名義でEastmanのために2~3枚のシングル盤を残している。50年代の多くの他の短命な歌のグループとは異なり、The Jayhawksはレコーディング活動を続けた。多くのグループがそうであるように、彼等も2~3年ごとにメンバーが交代しているが、James JohnsonとCarl Fisherはずっと在籍した。彼らの次作「So blue」でThe Vibrations(のちにChecker・Okeh・Atlantic・Neptuneといったレーベルでレコーディングを行ない成功したしゃれたグループ)となった。The Emanon Fourにの「Oh that girl/Blues for Monday」は、おそらくFlashレーベルに在籍した全グループのシングル盤の中でも最も珍しいであり、ほんの少しのコピーだけが存在することが知られている。もしもあなたがとても状態の良い78回転盤を見つけられたならば、正しく取り扱うように!このグループに関する資料やレコードについてのFlashの資料は何もないため、Flash 106は1956年にロサンゼルスでリリースされたじれったいほど無名のシングル盤の1枚である。Gus Jenkinsのブルース的なピアノ・スタイルで全米ヒットとなった「Tricky」でFlashは儲けを出す事ができた。Flashのレコード店も繁盛し、当時人気だったHuggie boyらがジェファーソンや西部の店舗から彼のXERBショーを放送していた。Charlie Reynoldsが1957年8月に一枚のグループ・シングルを出すまでの間、FlashレーベルからのR&B盤はFrank Patt・Buddy Cypress・Judge Davisといった地元のシンガー作品のリリースとなった。我々はThe Hornetsの「Crying over you」のオリジナル・デモ・バージョン(未発表テイク)を本アルバムB面に収録した。A面にはシングルとして使用したセッションからのものである。彼らは、ワッツ(カリフォルニア州・ロサンゼルス付近)にあるAustin McCoyの伝説的な裏庭スタジオでオリジナル・デモ(「Crying over you/Tango moon」Flash #125)のリハーサルとレコーディングを行ないThe Hornetsの名はサンディエゴでも知られるようになった。60年代前半に起こった最初のR&Bオールディーズ・リバイバル・ブームの頃、おそらく最も人気があったFlashレーベル作品は、The Poetsの「Vowels of love」である。このシングルはFlash #129として1958年秋に初盤をリリース、「Dead」は小さなヒットとなった。ハロウィン狙いの「Dead」は地元ジェファーソン地区の男の子達から高い評価を得た。若きCharlie Reynolds(彼の歯はレコード制作でボロボロだった)の案内に従い、彼らはVernonの店の奥でリハーサルをした。The Poetのメンバーの一人であるRoy Ayersは、今では現代ジャズの巨匠となった。The Poetsのグループ・メンバーは、Sherman Clark・James Bedford(のちにFlashレーベルから「Cuban」をリリースした)・Frederick Nance・Robert Griffett。「起伏するベースとグループの巧妙なボーカル」という2つのスタイルが、多くのオールディーズ・ファンに最も人気のあるFlashシングルとなった所以であろう。The Arrowsとして知られた若いグループの「Annie Mae」は1958年夏にレコーディングされた。The Arrowsは1958年7月29日にFlashレーベルと契約、MelvinとFrankのAlexander兄弟・Leroy Bishop・Franklin Dixon・Lee Perkinsがメンバーである。ロサンゼルスのオーソリティDave Antrellによると、Alexander兄弟はFlashレーベル以前にも、AriesレーベルでThe Arpeggiosを、MovinレーベルでThe Convincers(「Rejected love」をリリースした)としての在籍経験があった。The Cubansによる4曲は、1959年1月13日に午後7時から10時の間にUniversal Recorders(ハリウッド)でセッションでされた。Mamie Jenkinsが「He's bad」でむせび泣きを聞かせた男の子達は、Flash 133として1959年3月に「Tell me」と「You've been gone so long」をリリースした。「Don't go baby」と「Oh miss Dolly」は、同じリールにあった(同じセッションでレコーディングされた)ことはこれまで知られていなかった事実である。Flashレーベルは、基本的にレコーディング・A&R・配送・セールス・プロモーション活動のすべてをCharlie Reynoldsが行なったワンマン経営であった。Charlie Reynoldsは自身の店も繁盛し収益もあったが、全米中の卸売業者から送り込まれる売れ残りのシングル盤の処理に飽きていた。1959年にとうとうFlashレーベルを終える事にし、テープや書類は彼の最新の店舗(1963年に開店・西アダムズ)の奥の部屋の埃まみれのファイル・キャビネットにしまわれた。現在Charlieはビジネス活動を引退、しかし彼の息子Danny FlashはReynoldsの家風をみごとに継承している。
by Donn Fileti

Pelican's impression

The Cadetsで知られている「Stranded In The Jungle」のオリジナルがこちらだったとは知りませんでした。今回は他にもThe Hornets(こちらは2015年に発売されたSuper Rare Doo Wop Boxにいい歌がはいっていましたね〜)やThe Emannonsなどいいグループ(というかマニア好みといいましょうか)が沢山収録されています。宝探しのつもりで聞いてみませんか。