02 The best of Vita records

Relic-5007

GG02レーベル:Vita
設立地:カリフォルニア州・パサデナ
創設者:Larry Mead
活動期間:1952年10月~1959年
創設:1952年春
関連レーベル:Mambo・Rays・Spry

01. Valley of love - The Chavelles
02. S'cadillac (unreleased version) - The Squires
03. Sweet 16 - The Colts
04. Lips aweet as wine - The Colts
05. Adotable - The Colts
06. Honey bun - The Colts
07. So hard to laugh - The Vitamins (as The Titans)
08. Venus (cha cha) - The Squires
09. Rhythm & blues - The Vitamins (as The Titans)
10. Sindy - The Squires

11. Heavenly angel - The Squires
12. Do-be-do+be+wop+wop - The Squires
13. Never no more - The Colts
14. Venus (slow version)
15. Breath of air - The Squires
16. Me & my deal - The Squires
17. Sweet girl - The Squires
18. Red tape - The Chavelles
19. Valley of love (slow version) - The Chavelles
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Adorable・Sindy・Confidential…これらのレコードは、故Larry MeadのVITAが記録した素晴しいR&Bである。1952年春にパサデナで設立されたLarry MeadのPerfection Plastic工場のひとつの部門として始まり、The Blue raindropsのSweet Georgia Brown・The whippoorwills(Vita-1005)によりロサンゼルスで成功した。次に彼はテレビスターのKarla Pandit(本アルバムに収録)をレコーディングし、1952年10月にはパサデナの工場にドライブウェイやスイミングプールのための工場設立を発表し注目された。1953年3月、Larry MeadはKarla Panditのマスターを売りに出したものの、1955年3月まではこのレーベルには何も起らなかった。当時カリフォルニアではThe PenguinsのEarth angelが大成功を収めており、彼らに続くグループを探していた二人は、Hunter Hancock・Zake Manners(ともにDJ)の作品を取り上げた。ロサンゼルスのローカルグループThe Squiresが歌ったこの曲は地元でさかんにオンエアされた。このバラードは Earth angel Sindy(オリジナルは「S」で始まる)としてリリースされ、5月21日にチャート第10位に登場した。1955年7月9日付けのキャッシュボックス雑のロサンゼルスR&Bチャート第2位まで上昇し、9月初旬までチャートインした。この3カ月の間には、The Clovers・The Tenderfoots(Federal)・The Cobras(Modern)らのカバーが登場することになる。しかしThe SquiresのオリジナルはニューヨークではAlan Freedによって盛んに放送され全国的にヒットした。全米ヒットを得たThe Squiresは1955年7月9日(土曜日)にロサンゼルスの人気TV番組Holiday Hi-Jinks(Al Jarvisがホストした)に出演し、スターダムのピークを迎えた。8月13日に、Earth angel Sindyは ロサンゼルスのランキング第10位だったが間もなくHunter Hancockの書いたOnly you(The Platters・のちにこの作品はゴールドディスクとなる)によってこの座を奪われた。Mamboレーベルはこの頃Riff Ruffin・Willie Egans・Stepin Fetchitといったアーティストが在籍したが、Larry Meadはこのレーベル名では(ダンスの)マンボとと混同されると感じ1955年9月初旬にVITAを「R&Bを専門にリリースするレーベル」とし、彼らをこちらに移籍させた。VITAの歴史で2番目に大きい出来事は、Abe Diamondとともにロサンゼルスでディストリビュータを始めた事である。1955年8月の最後の週に The ColtsのAdorable(Vita-112)をレコーディングした。The Coltsはベーカーズフィールド出身の男子大学生が結成し、この曲はわずか1週間でZake Manner(KFWB局)のラジオ番組で第1位となった。一方のThe Squiresはウエストコーストに向けてツアーを開始しており、この頃にはヴェチュラのGreen Mill Ballroomに出演していた。そしてThe ColtsのAdrableは1955年10月8日にロサンゼルスでも第1位を獲得していた。しかしすぐにこの曲はThe Driftersがカバーされ全米で発売され、その後6週にわたりランクインした(のちにOscar Mc LollieのConvictedがこの座を奪った)。そして1956年1月21日付けのキャッシュボックス誌ロサンゼルスR&Bトップ10にも登場する。Adrableは長期間チャートに留まりなおもヒット中だったが、Larry Mead・Mike GradnyはThe Squiresの次のシングルMe and my deal(Vita-113)に続いてHeavenly angel(VIta-116)をリリースする。またThe SquiresはEffie Smith(Dial that telephoneのヒットがある)のGuiding angel(Vita-117)のバッキングにも参加している。この頃にThe Coltsのメンバーは歌に専念するためにLos Angels City Collegeを正式に退学している。Adorableがチャートから姿を消す頃にVITAは続くシングルとしてSweet sixteen・Honey bun(Vita-121)をリリースした。この作品はAlan FreedとThe Sounds(Modernに在籍)との共作のカバーだったが、成功できなかった。続いて1956年5月にはNever no more(Vita-130)がリリースされ、これがThe ColtsのVITA での最後のシングルとなった。Mike Grandyの仕事の大部分はR&BアーティストのA&Rで、1956年3月にはJoe Ligginsとの契約を公表しているが、彼のテープはいまだに発見されておらず、この契約はなんらかの理由で破綻したのではないかと私は推測している。またボーカリストのWillie Kingとも契約しMistreating me(Vita-123)をリリース、このブルース作品ではIke Turnerと彼のバンドが演奏に参加した。VITAにおける最も素晴らしいシングルは1956年春に同時リリースされた。1枚はThe ChavellesのValley of love・Red tapeでJay Perry(DJ)が盛んに取り上げワシントンで成功を収めている。もう1枚はThe SquiresのVenus(Vita-128)という素晴しい作品だったが、なぜかこちらはヒットしなかった。1956年春にArt Laboeの野外DJショウがロサンゼルスで人気をよび、Scrivenerのドライブイン(Sunset Boulevard)において夏まで続いて開かれていた。Sonny KnightのConfidential(Vita-137)が8月初旬にリリースされ、このショウでのpick of the weekに取り上げられて以降南カリフォルニアで好調なスタートを見せた。他の地域でも流行の兆しが見え始めた頃にこの曲のマスターはDotに売却されている。この曲はArt Laboeが初期にリリースしたアルバムOldies but Goodiesに収録されることとなる。The Titans は1957年1月にVITAと契約しSo hard to laugh, so easy to cry(Vita-148)をリリースした。地元のロサンゼルスではわずかにヒットしたものの、このグループはのちに移籍するSpecialtyでもヒットを出せなかった。The Titans2枚目のシングルは1957年5月にリリースされたLook what you're doing baby・G'wan home Calypsoである。Larry Meadは1957年春に新たにRAYSレーベルを設立している。本アルバムには収録していないが、シカゴで良く売れたシングルSmokey HuggのPenitentiary blues(Rays-33)・The High-landersのSunday kind of love(The Harptonesのカバー・Rays-36)・Marvin and Johnny(Rays-34)などがあることを記しておく。Mike GradnyはMambo・VITAレーベルのR&B部門のほとんどのアーティストのA&Rを担当していたが、1957年10月に自身のSpryレーベルを設立している。Ruben Gurdny(元The Coltsのリードシンガー)のリリースでスタートさせた。この作品にはThe Deville Sisters(The Shepherd SistersのAlone on the west coastをカバーしている)がバッキングに参加している。彼の抜けたThe Coltsは2人の新メンバーDon Wyatt・Eddie Williamsを加えAntlerに移籍しレコーディングを行った。1957年から1958年にかけてVITAからのアーティスト流出の続くなか、Ray Merrill and The Candy DandiesのPeppy the peppermint bearがリリースされた。1957年12月、Sputnik IIという作品がリリースされた。そして翌1958年1月にVITA最後のR&BシングルBuel MooreのBlue moonとThe GarnetsのSputonik #3(VIta+174)がリリースされた。1958年から59年にかけてThe Galleons・The Candletts・The Mod-Tonesなどのポップやカントリーがリリースされたが、これらも大きな成功をおさめることもなくかつての勢いのあるカリフォルニアのレーベルを回復させることができなかった。
by Donn Fileti

Pelican's impression

本アルバムのスターといえばやはりThe Coltsということになりますね。Adrableはさすがに大ヒットしただけあっていい曲です。最多収録されているThe Squiresの方も魅力のあるグループです。さらにアカペラバージョンも何曲か収録されていたりとかなり興味深いアルバムとなっています。The Chavellesはこのあとに出たシリーズ4作目に収録されているLillian Leach and The Mellows系の女性シンガーがリードを歌うグループですが、どうも同じように聞こえてしまうのは私だけでしょうか。このグループに関しての詳細はドンフィレッチも書いていません、なぜ。