29 The best of Angeltone / Atlas records part 2

Relic-5051

GG29レーベル:Angletone・Atlas
設立地:ニューヨーク州・ハーレム
創設者:Thomas Robinson
活動期間:1951年12月~1960年代
創設:1951年12月
関連レーベル:Angle Tone・Genuine・Unity・Charles・Bru-Cla

01 Somewhere - Little Butchie & The Vells
02 Don't Let Me Shed Any More Tears - The Lincolns
03 Wheel Baby Wheel - The Five Dukes
04 One More Step - The Chandeliers
05 Dream Of Romance - The Lincolns
06 For Sentimental Reasons - The Charmers
07 Darling - The Angletones
08 Pleasin' Me Pleases You - The Lincolns
09 Betty Jean - The Travelers

10 Silly And Slippy - The Parakeets
11 Tell Me What Is Wrong - The Lincolns
12 I Cross My Fingers - The Five Dukes
13 Dancing In The Congo - The Chandeliers
14 She Is The Girl For Me - The Fabulous Fabuliers
15 Young Girl To Calypso - Gypsies
16 Teenage Rose - The Parakeets
17 Just To Be In Love - The Haven Knights
18 I Found My Baby - The Fabulous Fabuliers

AtlasとAngletoneレコードの保管室に眠っていたマスターから選んだ、最高のR&Bグループ・ハーモニーから成る我々の第2の編集アルバムを聞くと、大いなる多様性が50代中期から後期にかけてのニューヨークR&Rシーンに登場してきたことがわかる。ボーカル・グループ・ファンのための本LPは、Frankie Lymonスタイルの歌(「Somewhere」)や心をとらえる伝統的なR&Bバラード(「I cross my fingers」や「Dream of romance」)から、ささやくような(「Teenage rose」)典型的な50年代後期のポップ・R&Rというように広範囲に及ぶ。The 5 Dukesによるお決まりの「Wheel baby wheel」からThe Chandeliersの新機軸「Dancing in the Congo」までと、我々はジャンプものもたくさん収録した。The Driftersのヒット「There goes my baby」に加えられたストリングスは、「古典的」グループ・ハーモニーの終わりの前兆であった。これに対するThe Fabulous Fabuliersの知られざる答え「I found my baby」を聞きなさい。Atlas・Angletoneレコードの歴史は、我々の最初のコレクション「The golden groups, Pt. 3 : Best of Angle-tone-Atlas Records」と「The Fi-Tones' Greatest Hits」(Relic/Angletone 5010)のライナーで十分に解説している。独立レーベルのトップへの野望をもったThomas Robinsonは、初の黒人オーナーの1人として1951年頃にハーレムの125番街でAtlasレコードを開設する。彼はGloria Lynne(ブッキング・エージェント)のもとで働き、Charlie Singletonやシャウター・ブルースマンH-Bombをレコーディングした。そして彼の最初のAtlasからのアルバム「Rock H-Bomb rock」をリリースした。Bennie Woods and The Five Dukesの「I cross my fingers/Wheel baby wheel」は、Atlas 1040として1954年にリリースされた。確信をもって言えるが、それは最も珍しいAtlasシングル盤の1枚で、長年にわたるコレクターの調査でわかった「ほんの数枚」は、プロヴィデンスとロードアイランドの地域で発掘され、そこはグループのホーム・ベースである。このシングルは5年後にRobinsonが復刻したが、不可解な理由によってThe Dukes The Rockin' Towniesと呼ばれた。二度目は、さらに少ない枚数であった。The Lincolns(1957年暮れに新設するAngletoneレーベルのために「Dream of romance/Tell me what is wrong」(#522)をレコーディングしたニューヨーク市出身のグループ)について、あまり知られていない興味深いことがある。作曲家(Damiano)が同じ名前であることから、おそらく1960年にBudという弱小レーベルから「Sometime somewhere/Sukiyaki rocki」をリリースし「Lincolns Quintet」として宣伝されたThe Lincolnsと同一グループであると思われた。同じThe Lincolnsは、Al Browneの開設したAljonレコードで「I cried」をレコーディングした可能性もあると思われる。彼らの「Dream of romance」では黒人ぽく聞こえるが、「Sometime somewhere」では白人のように聞こえる。R&B研究家のArthur Berlowitzによるとこのグループはおそらくニューヨークに在住したヒスパニック系の出身であると考えられるということだ。The LincolnsのAtlasシングル第2作目「Pleasin' me/Don't let me shed any more tears」(#1100)は1959年1月にリリースされた。Robinsonがこの直後にマンハッタンのCBSビルの新しいオフィスへAtlasの本社を移した。このミステリアスなグループは、RainesレコードからリリースされたDonald Amakerの「Don't let me shed any more tears」でバッキングをつとめている。これは若きAmakerの誇る両親が自主制作したという、ほとんど知られざるシングル盤の1枚である。誰もがAmakerにそれほどの歌の才能があると考えることはできなかった。Vic Donna(ブルックリン出身のイタリア系ティーン・エイジャー。彼のAtlasでのセッションのほぼ全てにはニューアーク出身のThe Parakeetsというクィンテットがしぶしぶ参加させられたという)に対するMarcia Vanceの若々しい情熱のおかげで、我々はかなりThe Parakeetsを知るようになった。Marciaの所有する「Teenage Voice誌」(Vic Donnaにスポットライトをあてた4ページのファン会報)1957年2月号の珍しい複製によると、The Parakeetsは「5人のとても素敵な若い男の子たちであった」(ちなみに、彼等より肌色の薄いMr. Donnaは自己嫌悪した)と書かれている。The Parakeetsは、James P. Martin(テナー)・Gerald A. Highsmith(ベース)らでニューアークとエリザベス(ニュージャージー州)で育った。Vic Donna(「Teenage rose/Silly and sappy」・#1071)との共演による彼らの最大のヒットは1957年冬にAtlasからリリースされた。The Del Vikings・The Keystones・Eddie Cochranらとともに、Vic and The Parakeetsは1957年にアダムズ劇場(ニューアーク)で開催されたTommy "Dr. Jive" Smalls(WWRL局の人気DJ)の復活祭ショーに出演した。私は彼らがThe Del VikingsやEddie Cochranよりもたくさん歌ったと記憶している。50年代後半になるとこのようなライブ・ショーはとても時間が長くなり、1日に6回公演、1ステージにつき2曲といった形式になっていった。Frank Lopez and The Travellersは自身の曲「Betty Jean」(さらにアップテンポな「Lenora」が裏面・1957年夏・Atlas #1086)をリリース、他の何百というおなじみの「三人のコーラス」のある50年代後半のR&Rメロディを思い出させる。同じコード進行の繰り返しが同じように使われるのを聞くとホッとする、と私は思う。しかし「Betty Jean」はそのような叙情的なつまらなさを越え、心をとらえて話さないものを持つ。Robinsonが自らスカウトしたボルチモア出身のThe Gypsiesの「Young girl to Calypso」は、ほとんど知られていない「Why」Atlas #1073のB面にカップリングされた曲である。The Angletones(最近のグループ名のはやりとなった造語の一種)の「Darling」は決してリリースされなかった。しかしLittle Butchie and The Veilsの「Somewhere」と同じマスター・テープに入っていることがわかり、本アルバムに収録できた。Little ButchieはFrankie Lymonを彷彿とさせたが、Frankieらとの優れた競争をするにはあまりに遅い(1959年7月)と思われた。Butchieのむせび泣くような「Sometimes little girl」(Angletone #535のB面)は、我々の最初のAtlas編集アルバム物に収録、ぜひ聞いていただきたい。The Chandeliersはカンサス市(グループの広告用写真は1958年にノースカロライナで撮影された!)で多少の人気はあったかもしれないが、彼等の「Blueberry sweet」はRobinsonにとってベスト・セラーとなったシングル・レコードであった。「One more step」のデモバージョンを聞く限り、彼らはバラードも歌うことができた。「Dancing in the Congo」は「Dolly」(1958年春に「Blueberry sweet」の次作として不運なリリースとなった)のB面であった。我々の最初のAngletone編のLPで、The Haven Knightsの「Just to be in love」の別テイクを使っている。The Knightsはもちろんニューヘーヴン(コネチカット州)出身で、Leroy Gomez・Robert Johnson・Thomas Griffin・Everett Johnson・Carl Haleyがメンバー。Leroy GomezはLeroy Griffinとしても知られていた(そして、両グループともにニューヘーヴン出身であった)ため、かつてはThe NutmegsとThe Haven Knightsが同一グループであると思われていた。しかしそれは単なる偶然の一致で、両グループがあきらかに別グループであったとArt Berlowitzは私に明言した。「For sentimental reasons」のThe Charmersによるユニークなバージョンは、この一曲で本アルバムを買っても良いくらいの価値がある。あなたが本物のニューヨーク・グループ・ハーモニー好きならば、おわかりであろうが、この曲は最初のAngletoneシングルでとても珍しいだけでなく、作品としても非常に良いものである。そして、それはグループ作品を生産するというRobinsonの最後の試みの1つでもあった。彼はさらに、The Fabulous FabuliersによるThe Driftersの「I found my baby」バージョンを1960年夏にもリリースしている。Robinsonは70年代後半に引退(無名であったが、常に面白い遺産を生み出した)するまで、CBSビルの一室のオフィスでレコード会社を経営し、R&Bグループによるハーモニーを送り出した。
by Donn Fileti (Arthur BerlowitzとMarcia Vanceに感謝します)

Pelican's impression

かなりマニアックな作品ぞろいですが、あまり深く考えずにとりあえず聞いてみましょう。「For sentimental reasons」の一曲で本アルバムを買っても良いくらいの価値がある…と文中にありましたが、それほどなの?というか、私の翻訳が間違っているのかわかりませんが、むしろその前後の曲のほうが趣があるとおもうのですが。For sentimental reasonsはCadetsやMarcelsが歌いそうな感じの作りでした。