その人はさっきの場所で待っていた。
「遅くなって」
「いいえ。取りに行ったのに、わざわざ持って来て頂いて。本当にありがとうございます」
「僕で良かったね。悪い奴に拾われなくて」
「本当にありがとう。お礼にお茶でもと言うのも迷惑だろうし、言葉でしかお礼出来ませんが、本当にありがとうございました」
「言葉はいいから、お茶をご馳走してもらえませんか?」
(おい何を言っているんだ?)
「私は、構いませんが、ご迷惑じゃないんですか?披露宴か何かの途中じゃないんですか?」
(この街で、この格好は披露宴に見えるんだ・・)
近くの喫茶店に入ることにした。
「怪しいものじゃないよ。いきなり“お茶をご馳走して”って充分怪しいか・・。僕は、森村真珠。この世に生まれてすぐから育ててくれた施設のシスターが付けてくれた。珠のような男の子って言うでしょ、そんな感じだったらしい。小さな企画会社をやってる。今日は、その仕事の関係のパーティがあったからここに来たんだ。君はこの街の人?」
「私は、松下えりか。名前負けしてるでしょ。歳はたぶん貴方よりいくつか年上。娘が二人、パートで働いてる。この街から出たことはないわ。大学も行ってないから下宿したこともないし」
この街の人だというのは、言葉のアクセントでよく解かった。
それから時間も忘れ、仕事の事、趣味だの楽しみだの、彼女も家族の事を色々と話した。
<真珠の場合>
俺は、今日どうかしている。
何故、初対面のこの人に、自分から誘って、こうして自分の事を喋っているんだ?
仁希しか知らない生い立ちなんかまで・・?
しっかりしろ!俺らしくないぞ。
どうしちゃったんだ?
「やだ、もうこんな時間。ごめんなさい、忙しいでしょうに。つい長話になって。今日はどうもありがとう。気をつけて帰ってくださいね」
「せっかく知り合ったんだから、番号教えてくれる?」
「“携帯持ってないの”って嘘はもうつけないわね。でも、たぶん私出ないわよ」
「いいよ、出にくい時は出なくて。それからアドレスもね。僕のも登録しておいて」
<真珠の場合>
おい、何を言ってるんだ?
自分から番号やアドレスなんか聞いた事ないだろ?
聞いてどうするつもりなんだ?
<えりかの場合>
悪い人じゃなさそうだけど、電話かかってきても困るなぁ。
今は一人暮らしだから、子供たちに知られる事はないだろうけど・・。
別に悪い事をしてる訳じゃないけど・・。
私は、松下えりか。
地元の小・中・高校を卒業後就職。
職場結婚し、年子の娘が二人。
夫とは銀婚式を迎えることなく離婚。
娘達の学費は前夫が面倒を見てくれているので、パート代で何とか暮らしている。
娘達はそれぞれ下宿しているので、今は一人暮らし。
彼女が、俺の事を警戒しているのは良く解かった。
彼女は結婚暦はあるが、たぶん夫はいない。
そして今は一人暮らし。
だけど彼女は、その事を決して口に出さなかった。
「じゃぁ、さようなら。今日は本当に助かりました。ありがとうございました」
「じゃぁ。また電話していいですよね」