「じゃあ、俺たちも帰ろうか?ブラインド下ろしてくれる?」
 「解かったわ。あら?雨が降り出した」と言いながらブラインドを下ろし始め、最後の分になった時、彼女の手が止まった。
 窓ガラスに映る彼女を見ていた俺と目が合った。
 俺たちは、目をそらす事も、近づく事も出来なかった。
 我に返ったように彼女がブラインドを下ろした。
 「帰りましょ」
 動き出した彼女を、俺は抱き寄せた。
 彼女は抵抗した。
 さらに強く抱きしめた。

 「もう離さない。愛してる。初めて会った日からずっと」

 「駄目よ」
 と言う彼女に、心の内をすべてさらけ出した。
 彼女は俺の腕をすり抜けようと抵抗しながら
 「彼は、いい父親だったし、生活費に困った事もない。優しい主人だった。でも、いつも彼の後ろに女性の影を見てきた。そんな彼を、少しずつ少しずつ空気のように消していき、二十年かけてあきらめ、別れた。彼に未練も愛情もないけれど、もう人を愛するのは嫌。また、二十年かけてあきらめる気力も体力もない。だから怖い。今度は愛した人を殺すかもしれない。だから嫌」
 俺は、腕に力を込めた。

 「なぜ、二十年かけてあきらめなきゃならない?二十年かけて、俺を愛してくれればいい」

 彼女の力が抜けるのを感じた。

 「俺の方が怖くなった。こんなにも君を愛している事が怖いくらいだ」
 「知らないわよ、本当に殺すかもしれないわよ」
 「殺されたって構わない。でも君に、決してそんな事はさせない」

 「帰ろう」
 彼女の手を引き事務所を出た。
 彼女は、俺と同じ傷を持っていた。
 「人を愛する事に臆病になり怖かった。だから社長の気持ちにも、自分の気持ちにも気付かない振りをしていた。いいえ、気付いていたから、怖かったのかもしれない。人を愛する幸せと怖さは背中合わせだから」
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