4.石屋戸の神話学 | (7)サルタヒコを祀る神社 |
サルタヒコとは何者なのでしょうか?「大神」という高い神格を持ちながら、係累を持たない孤立した神です。天の
サルタヒコにはなぜか、海の属性がつきまといます。
『伊勢参宮名所図会』には「興玉神というは、猿田彦太神を祭るなり」とあり、『倭姫命世記』では「興玉神 無宝殿。衢神。猿田彦大神是也。」と記しています。「
サルタヒコを祀る、三重県鈴鹿市の椿大神社には「御船磐座」という磐座があります。この「御船磐座」は船の形に石を配した磐座です。またしてもサルタヒコに海の属性です。参道の左側に「高山土公」の前方後円墳もしくは前方後方墳らしき古墳があり、その前にこの磐座はあります。この古墳の主である在地豪族と関わりの深い遺跡のように思えます。神社の南を流れる鍋川は御幣川(おんべがわ)となり伊勢湾に流れ込みます。『和名類聚抄』郷名の条によればその河口に「海部郷」があり、岡田米夫氏は、サルタヒコに海神的性格を見ています。(*2)
三重県鈴鹿市 椿大神社本殿
椿大神社 御船磐座
椿大神社境内図(旧) 御船磐座の背後に「高山土公神陵」がある
サルタヒコを祀った神社を見て回りました。『延喜式』神名帳による伊勢のサルタヒコを祀った神社は、
南伊勢の度会郡五十鈴川の川上(現在最も近いのは猿田彦神社(*3))
中伊勢の一志郡(松阪市)の阿坂(現・阿射加神社)
鈴鹿郡の椿大神社(現・椿大神社または都波岐奈加戸神社)
が挙げられています。
三重県伊勢市 猿田彦神社
三重県鈴鹿市椿一宮 都波岐奈加戸神社 こちらも「ツバキ」神社で、延喜式にある「鈴鹿郡の椿大神社」であるかもしれません
現・椿大神社は山の麓ですがこちらは河曲郡の河口近くにあります
また滋賀県の湖西の湖岸に、やはりサルタヒコを祀る白鬚神社があります。
こちらも境内の最奥には、古墳の石室が露出したと思われるものが「岩戸社」という名前で祀られています。ある時代まで古墳がイワヤト・岩戸と認識されていたことの痕跡といえるかもしれません。
その隣には磐座もあります。
拝殿の真後ろがこの岩戸社と磐座なので、これらが本来の祀られる本体だったと推測されます。
拝殿前には湖面が広がり、鳥居が建てられています。湖上交通に関わるものなのか。サルタヒコと「古墳」「磐座」そして水上交通。椿大神社と共通するものがそこにあります。
サルタヒコの周辺には、古代日本の地域の権力者と水上交通が見え隠れするように思います。
中国の歴史書『武備志』などには日本三津として、
中国の歴史書にある日本三津(安濃津・那津・坊津)とサルタヒコを祀る神社の位置
このサルタヒコが魏の官吏「張政」だという説があります。
長年にわたり邪馬台国九州説を主張されている安本美典氏が唱えておられます。(*5)その根拠は、
1.張政の役職は「塞の曹掾史(国境守備の属官)」だったが、サルタヒコは「塞の神」である。「塞」の字が共通しており、サルタヒコが「境を守る神」「防塞の神」である点において張政の役職と共通の性格を持っている。
2.『日本書紀』の「鼻の長さは、七咫、背の高さは、七尺」などというサルタヒコの容姿の誇大な表現は魏国の権威を体現しているのではないか?
3.張政が神話化したのがサルタヒコだとすれば、天の岩屋戸の話以降に登場しなければならないが、天孫降臨のさいに登場するのであっている。(*6)
4.「張」という字の音は「さる」とある程度の類似性を持つのではないか?
などというものです。常に通説にとらわれない追及の姿勢に敬服いたします。
もしサルタヒコが張政なら、
「サルタヒコがいる天石屋戸の前でおこなわれた古墳祭祀」とは、
卑弥呼の死後に魏の官吏張政を招いて行われた
箸墓前での祭祀を伝えていることになります。
では、このときに、安濃津が使われた可能性があるのではないでしょうか?
張政ら魏の一行は伊勢湾に入港し、安濃津から大和にむかったのではないでしょうか?
このことで安濃津が日本三津になった。
そうした理由は女王卑弥呼の死後の混乱によって、瀬戸内海が航海できなかったからです。(*7)
伊勢神宮が伊勢にあること、安濃津に伊勢神宮による御厨が営まれたこと、サルタヒコに関連する神社が三重県に多く認められることなどに痕跡が認められます。
猿田彦とは「
海からやって来て、当初から去ることが決まっていた権力者―――
魏の官吏「張政」のキャラクターにぴたりとはまります。
サルタヒコは『古事記』の伝えるところによれば、伊勢の
三重県松阪市阿坂 阿射加神社(小阿坂)
(*1)飯田道夫『サルタヒコ考 猿田彦信仰の展開』臨川書店 1998年
(*2)古賀登 『猿田彦と椿』 雄山閣 2006年 P28
(*3)飯田道夫『サルタヒコ考 猿田彦信仰の展開』によれば明治初年創建とあります。
(*4)『籌海図編』(1561年)『日本風土記』(1591年)『武備志』(1621年)
(*5)安本美典『日本神話120の謎 三種の神器が語る古代世界』勉誠出版 平成18年
(*6)当HPでは天の石屋戸と天孫降臨の順番が入れ替えられているとしていますので、若干の食い違いがあります。
(*7)サルタヒコと異名同体神とされる「塩土老翁」を祀る神社が薩南海岸地方に蝟集しており、鹿児島県指宿の枚聞神社がその中心であるという記述が『日本の神々1九州』(白水社)にあると安本氏は述べておられます。薩南海岸には坊津があり、張政は「日本三津」の那ノ津(博多津)・ 坊津を経由して太平洋から安濃津に入港したという推理はなかなか魅力的です。
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