諏訪神社の神事、出雲大社、そして、仏教寺院の塔など、「柱」は「心の御柱」と呼ばれ、神秘的なものとして扱われています。
なぜそうなのか。トーテムポールなど、同様の例が海外にも存在しますので、宗教民俗学的に当然と考えられているようですが、そうでしょうか。
「柱」を神秘的なものにつくりあげる必要があったのではないかと思うのです。
これまで見てきたように、箸墓建設当時の日本には、太陽の運行観測技術が輸入され、政権の基盤となったと思われます。その技術は当HPの推測では、鏡による反射光を必要としたと思われますが、この時期日本の鏡のデザインは、方かく規区鏡の空間認識から神獣鏡に移り変わっています。人間の認識としてはこれは退化とさえ考えられるものです。
これは太陽の運行観測技術を持った政権が、その技術を秘匿したことをあらわしているのではないでしょうか。
神道は儀礼の宗教ということができます。核となる教義があるわけでなく、ただ儀式をおこなう宗教。斎王はただひたすら身を清める。この性格はこの起源に由来しているのではないでしょうか。
太陽の運行観測技術の中心となった「柱」を神秘化し、一般には見せないようにしたことが、日本の神道のスタイルを決めたのではないでしょうか。
伊勢の伊雑宮には神田の西に柱が立っています。東側には鳥居があり、まるでこの柱がご神体かのようです。この形が古代のスタイルを伝えるものなのかもしれません。