これらの三神ニ獣鏡の原型と思われる鏡が、王仲殊氏の論文集『三角縁神獣鏡』の図版に収録されています。それは『岩窟蔵鏡』に掲載されている斜縁二神二獣鏡です。鏡作神社のものに、二獣と乳の配置がよく似ています。
ところが、この構成を踏襲したと思われる唐草文帯三角縁神獣鏡では、一方の神像が強調されていきます。図示すると下図のような様式の継承が考えられるように思います。
黄:乳と獣
(唐草文帯)三神二獣鏡(笠松文様あり)
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原鏡の斜縁二神二獣鏡では、西王母と東王父には、それぞれ一体の侍仙がはべり、均等に扱われているようにみえます。ところが三角縁神獣鏡では、一方が強調されてゆきます。二神二獣鏡系では、侍仙が捧げる笠松文様で西王母が修飾されます。三神二獣鏡系になると主神は巨大化し、その結果笠松文様は締め出され、後続の鏡群では消滅します。(*1)
二神二獣鏡に見られた、笠松文様で西王母を強調する方向性は、三神二獣鏡に至り、新たな神像を創造するまでになりました。
笠松形文様を論拠として、鏡作神社鏡を国産と見ることが許されるなら、主神を強調するこの独特の意匠は、日本で独自に考案されたことになります。
この主神はいったい何でしょうか?
▲大阪府 紫金山古墳 唐草文帯三神二獣鏡主神 (双髻形三山形混合髪型) |
(*1)この編年は岸本直文氏案に従っています。(岸本直文「三角縁神獣鏡の編年と前期古墳の新古」考古学研究会40周年記念論集『展望考古学』)しかし、西王母の図像の品質をみると、三鏡二獣鏡の図像のほうが優れ、三鏡二獣鏡が先行したと考えるのが自然なように思えます。三鏡二獣鏡の継承関係を明瞭に図示するために、ここでは岸本編年に従いますが、事実はこの2鏡式は平行して存在したと考えるべきなのかもしれません。