デジタル邪馬台国

2.倭人伝の文献学 (1)狗奴国東海説

最古級の前方後方墳と報道された滋賀県能登川町神郷亀塚古墳

狗奴国を濃尾平野に想定し、滋賀県の前方後方墳が狗奴国と結びつけて報道されています。

濃尾平野に有力な勢力があったのは事実でしょう。しかし、仮に「前方後方墳地域」と「前方後方墳地域」に分けることができ、濃尾平野が「前方後方墳地域」の中心地であったとしても、それは文化の違いを示す指標であるにすぎません。その考古学の成果だけをもって「狗奴国」に結びつけることはできません。それを『魏志倭人伝』の「狗奴国」とまで特定してしまうのは少なからぬ飛躍があります。
『魏志倭人伝』で描かれている狗奴国は「女王国と素より和せず」という国であり、実際女王国と戦争を起こす国です。それが、文献から知られる、ほとんど唯一の狗奴国の性格です。ところが、東海~滋賀地域では、戦乱を示す明確な遺物が発掘されているわけではありません。濃尾平野の勢力は大きかっただろうし、前方後円墳の原型の要素を提供したかもしれませんが、大和の勢力と友好関係をたもっていたかもしれないのです。そうだとするとそれは狗奴国ではありません。纒向遺跡から発掘される、東海系土器の多さを考えると、少なくとも、卑弥呼の時代を終えてからは、友好関係にあったように見えます。

古くから、狗奴国を九州菊池地方に比定する説があり、また、吉野ケ里の甕棺から発見された首の無い人骨からは、弥生末期に九州には戦乱があったことがうかがわれます。

狗奴国、そして卑弥呼の女王国の所在をもう一度文献に帰って推理する必要があります。


2.倭人伝の文献学 (1)狗奴国東海説

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