デジタル邪馬台国

2.倭人伝の文献学 (2)12000里

『魏志』倭人伝には、帯方郡から倭にいたる行程が述べられています。その多くの距離が「里」で表記されていますが、日程で表記されている部分もあり、「邪馬台国」の所在を混乱させる一因となっています。この「里」で表記されている行程の総距離は「12000里」と記述されています。

この里数表記の行程を、地図上にトレースしてみます。距離の相対的な比率はほぼ、正確に表現されていることがわかります。

問題はこの「里」が中国本土の「里」よりも、大幅に短いということです。

この「里」に関しては古田武彦氏が「短里説」を主張され、谷本茂氏が『周髀算経』の「一寸千里の法」の計算式から、一里を76~77mとされています。古田氏のいわれるように、魏朝は全面的に「短里」を採用していたと考えるのは少し無理があるようですが、この行程の解釈としてはまったく妥当なものだと思われます。

しかし、この総距離12000里を尊重するかぎり、卑弥呼のいる「女王国」は北九州以外にはありえません。総行程12000里のうち、すでに伊都国までで、10500里が費やされていますから、あと1500里しか残っていないからです。この残された1500里は、図示した里程表記の総行程を見るかぎり、やはり伊都国と考えられている現在の前原市を中心とした114km~115.5km程度の圏内と見るのが妥当だと思われ、大和まで延ばすことは困難だと思われます。

三雲南小路遺跡

前原市 三雲南小路遺跡

平原遺跡

前原市 平原遺跡


2.倭人伝の文献学 (2)12000里

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