ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています          介護施設のターミナルケア(2)  

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マーク  介護施設のターミナルケア(2)

 ターミナルケアってなんなんだろう。考えさせられることが多すぎて混乱します。
 私なりに考えてみたいと思います。
 人が死をむかえるということは大変なことだと思います。多くのターミナルケア時をむか
 えた人々、その家族、医師・看護師、介護職それぞれの立場で違うと思いますが、親族と
 しての、第三者としての思いなどをある施設を通じて述べてみます。
 それぞれの意見の相違、宗教観、環境で対応が違ってくることでしょう。
 多くの方々のご意見をお待ちしています。
マーク 1) ターミナル・終末期について

  終末期とは、この言葉の定義が難しい。末期ガンとか不治の病については医師がある程度
 命の終末を見極めることが出来ます。
 しかし、老衰の場合は、誰がどのように見極めるのでしょうか。 

 老衰の場合は、病気でもなく、体力的に、精神的に弱り徐々に終末に近づいて行くものと
 考えますが、そのような場面で手を差し伸べることのなく、ただ、傍観していることが
 できるでしょうか。
 少しでも意思能力が残されて、口から食物を食べることが出来る場合には、それをお手伝い
 することが普通と考えます。
 例え、終末・延命対処は必要ないとの書面があっても・・・・。

 しかし、病院に入院し、食べることが出来ないという理由で殆どの方が「胃ろう」の手術を
 行い、老人施設に帰っていきます。

  「胃ろう」は、誰の意思で実施しているのでしょうか。本人の意思を誰が確かめている
 のでしょうか。

 殆どの家族は医師の言葉のままに手術を施している様な気がします。
 その後は、口から食べない、寝たきり、殆ど本人の意思を表すことが出来ないし、本人の
 意思をくみ取ろうとしない状態が続けられているような感じがします
 このような状態でただ[生かされている」と言うことは命の軽視とさえ思っています。
 そのような中である施設は1日に1回は離床し、窓から風景などを見ることを実施して
 いる施設もありますが・・・。

   2) 施設の対応

  病院から退院して施設に帰ると「胃ろう」の状態で帰ってくる高齢者が多くいますが、
 少ない職員での対応は大変なことでしょう。高齢者の殆どが意思を表すことができません。
 意思の表現が出来ない高齢者を介護支援することの大変さは言葉には表わすことが出来
 ないと思います。
  施設で「胃ろう」を施した高齢者が多くなることは施設自体を暗いものにします。
 
  「胃ろう」を施した高齢者は、病室とかもう少し医療現場に近いところで介護する必要
 があるように思えてなりません。療養型病床群は何故縮小するのでしょうか。

   3) 家族の対応 

   老人施設で観察していますと、高齢利用者が元気で会話が出来、高齢者の意思表示
  ができる間は家族がよく見えます。しかし、意思能力が衰えてきますと面会がなくなる
  家族もいます。
  終末期であれ、意思能力がなく、あなたが誰かも判らないように見えても、
  老化した高齢者は家族の方が見えると一番安心しているのです・・、例え言葉で表す
  ことが出来なくとも・・・・。

   「胃ろう」を施して口から食べられなくなっても、言葉が出なくなっても、
  老衰期をむかえた高齢者は、それからの時間が大切なのです。出来るだけ面会に来て
  施設の職員と協力して老衰期における素晴らしい時間を共に過ごして欲しいものです。
   会話が出来なくなると何故面会が少なくなるのでしょう。
  会話が出来なくなった高齢者は、家族の訪問が一番うれしいのです。

   4) 医師の先生にお願い

   医師として医療者として、目の前の命の危機に直面している高齢者を助けるために
  「胃ろう」手術を施すのでしょう。それは理解できますが、寝たきりになることを
  想像して下さい。
  手術後の生活も考えて欲しいものです。家族ともども・・・。

   5) Aさんのその後

  Aさんという方と十年以上のお付き合いになります(以前より書き続けています)。
  この方は、3年前に施設の看護師に「もう駄目だから娘さんに覚悟するように伝えて
  下さい」と2回も言われました。BさんはまだAさんは命がつながっていると判断し、
  主治医に相談し又ホームの相談員・管理栄養士・ケアマネジャー・介護・看護スタッフ
  等など協力して介護を続けてきています。
  現状は、「笑います」「イエス・ノー」がはっきりとしています。「好き嫌い」が表現
  できます。
   3年前が終末期であったのでしょうか?3年前に食べられないといって「胃ろう」
  手術を実施していればどうなっていたのでしょうか?私なりに判断しますと、
  「胃ろう」を実施していれば植物人間化していたように思えます。Aさんの娘さん
  Bさんに乾杯です。

   簡単に人の終末を決めないで下さい。最後は「老衰死」と診断書に書いてもらえる
  ような日々をAさんには過ごして欲しいものです。Aさんは、医師の往診のもと、
  施設の職員、看護スタッフの方々に囲まれて幸せな日々を送っています。
   特に主治医の先生とご一緒する看護師の方のこころある対応には頭が下がる思いで
  一杯です。


  山崎さんの一人芝居より (詩)

      死って大変
   90年も生きてきて、家族も来ない一人の生活なんてつまらない。

   死んでしまおうと思って屋上に上がったが、下を見ると痛そうだから
   やめた。

   河をみると冷たそうだからやめ、そうだ、食事をしなければ簡単に
   死ねると思い、食事を抜くと腹が減って腹が減って眠れない。

   死ってなんと大変なことか。
   「たいせつにしようーと」(これは私が加えたもの)


                             シニア ライフ アドバイザー 岡島貞雄



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