ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています  死生学 生きること・老いること・悔いのない人生> 

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死生学 生きること・老いること・悔いのない人生>
タイトル “ ってなんでしょうか。
    今日このごろ、“ 死生学 ”といわれる学問が、一般市民の間で大流行りです。
 “ 死 ”は“ 死 ”でなく、“ 生きて生き抜くこと ”だと考えています。
 自立した死を迎えることができましたら、その人は最高の人生といえると考えています。
 例え、短い人生であっても・・・・。私は、そのような最期を迎えたいと考えています。
  そして“ 生きた証を残せる人生を送りたい ”ものです。
 死生学講座を受講している方々との話を交えて私の思いを述べてみます。
本人が主役  1) 本人が主役です

    永年成年後見制度の普及活動を行っていますと、本人の思いでなく、こちらの考えを
 まず、聴いてくる人が多くいます。死生学も同様です。先ず、本人の意思が主役です。

  講演を聴いたり、偉い人の話を聴けば、それが全てとの思いに陥る方が多くいます。
 しかし、本当に大切なことは、本人の意思が、最も優先されるべきです。
 有名な先生方の講演を聴いても、その中には、自分の意思と先生方の話を交えて、
 考えを纏める必要があるように考えます。自分の人生は自分のものです。

  色々な説明会で「これからの人生をどのように送りますか」と質問しますが、
 多くの方が、具体的には答えてくれません。ほとんどが抽象的です。
 しかし、「後1年の命としたら何がしたいですか」と質問しますと、ぼつぼつ話して
 くださいます。「後1ヵ月としたら」の質問には多くのことを話してくれます。

  死生学もその通りです。自分が生きた証を残すこと、とは何かを考える時には何かの
 答えが出てくるのではないでしょうか。
 ある特別養護老人ホームを訪問しました。そのおり、施設長より、
 尊厳・自立・参加・自己実現・ケアの五つの理念をお聴きしました。
 十数年にわたり老人施設を訪問していますが、これだけの理念を自分の言葉で
 お話しする施設長に初めて出会いました。
 これらは、死生学の基本だと考えています。その中に自分の意思を交えて、自分の
 これからを考えて生きたいものです。
 自己実現とは、マズローの欲求5段階の最高の段階です。その上は何か、私の悩みで
 した。いろいろな説が説かれていますが、私にはしっくりとしませんでした。
  その回答を得ました。それが、施設長の理念と決めました。
 惜しまれた死・残る人々に何かを引き継ぐ死・自然な死等々が私の自己実現と
 決めました。あくまでも本人が主役です。

  2)「“死”って大変」ラジオ深夜便より ある特別養護老人ホームにて

   子供は居ないし、家族も逢いに来ないし、死んだ方がまし ”と考えたある老人が
 死ぬことを考えました。

 そこで屋上に上がり飛び降りをしよう としましたが“ 痛いようだし、やめた 
 そうだ川に身を投げれば簡単に死ねそうだ と思い、川の水をみると
    冷たそうだし、やめた 
 そうだ何も食べずに死ねばいいのだ と気付き、食べずにおると
   腹が減って、腹が減って、眠れない ”  死ってなんて大変なんだろう。

  “ 死ぬのやめた ”という,、、、笑い話がラジオから流れて来ました。
  
 安らかに死ぬためには準備が大切であり、必要です。
 生きて生きて生き抜くことが、安らかな死につながると考えます。
 
  3) 「 老い 」について

  老いについて、どなたか素晴らしい回答をお願い致します。
 私自身が、老人といわれる年齢になりました。確かに肉体は持久力も瞬発力も
 衰えたでしょう。しかし、“ 何かを得た ”ような気がします。

  永年経験してきた結晶性知能は衰えませんし、身体が動かなくなった分、口が
 達者になりました。これが、若者に嫌われる原因かも知れませんが・・・・。
  年老いても悔いのないように安らかに死を迎えたいと思います。
 最後は、医師に「老衰死」と記入して欲しいものです。

  4) “ 老衰 と“ 病気 ”の終末の違い

  ターミナルケア講座や終末期について多くの勉強をしてきたつもりですが、
 その殆どが、ガンなど医師が医学的に判断できるについてです。
 しかし、年老い、肉体的な老化に対する対応についてはあまり聴きません。

  老人ホームでは、大部分の方が老衰といわれる身体の弱りです。
 最後まで付き添い、1日でも命を長くと付き添う家族。諦めて訪問もしない家族。
 胃ろうや経管栄養を望む家族。など色々ですが、、、
 家族として、最後まで看取って欲しいものです。
  老衰死こそが自然死の真髄ではないでしょうか。その為には日ごろからの
 親子関係・人間関係・人とのつながりなど今のうちに構築しておくことが大切です

  5) 著書より 

   “セネカ現代人への手紙” 中野幸次・著
 「僕は一体何のために友人をつくるのか? その人のために僕が死ぬことのできる、
  そう言うだれかを持つために」
 “ 友人 ”とは、病気の時に付き添ってくれて、困った時に助けてくれるのが
  友人でなく、友人が病気のときに付き添い、困った時に助けにいける・そういう
  誰かをもつことが、友人を持っているとも述べられています。
  
   “モリ―先生との火曜日” ミッチ アルボム・著 別宮貞徳・訳
  死期が近づいている先生と教え子の会話

 「私は、老化を有難く受け入れている」「先生、何故有難く受け入れるのですか」
 「22歳のままなら、何時までも22歳の時と同じように無知だってことになる」
 「老化はただの衰弱じゃない。成長なんだ。やがて死ぬのはただのマイナスとは
  片づけない」
 「やがて死ぬことを理解するのは、そしてそれによってよりよい人生を生きるのは、
  プラスでもあるわけだ」
 「老化を恐れるということは、人生を満足していないんだよ」

  6) エンディングノート

  エンディングノートも流行です。いろいろと出回っていますが、高価なものは
 必要ないと思います。
  延命治療のこと、相続のこと、連絡先・葬式のこと等など書きとめることで
 自分自身のこころが落ち着くものです。
 しっかりと自分を見つめて書いてみましょう。そしてそのエンディングノートは
 関係する方に話しておくことが大切です。特に延命治療などについては自分自身の
 思いを書いておき、親族や医師に伝えて貰う必要があります。
 親族ならなお結構です。
  延命治療拒否を公正証書としておくことは、よりいいことと思います。
 終末期には医師は、十分に考慮してくれるでしょう。
  遺言書も作成しておくことをお勧めします。
 特に子供がいない夫婦は、夫の責任として遺言書を書いて下さい。
 (主な遺言書⇒自筆証書遺言・公正証書遺言・秘密証書遺言)

 7) 多くの方々との別れ こころを込めて

  私は親族だけでも多くを亡くしました。最も近い人でも、祖父母・両親・義父の
 5人と別れました。
  去る人は、残される者に悲しみを残さないように大往生を、そして残る人々に
 何かを引き継いでゆくことが大切です。
  残る人は、悔いのないように生きるお手伝いを、そして去る人が穏やかに
 去ることができるような、看取りをお願いしたいものです。

  以前のHPに書きましたが、母親が、95歳で亡くなりましたが、
 お通夜には、私・孫たち・ひ孫たちが、母親を取り囲み死後の世界等など
 死んだら何処へ行くのかなどを話し合いました。

  子供たちも素晴らしい経験となったことでしょう。
 しっかりと生きてきた人は残された人々のこころの中で生き続けるとの結論と
 なりました。
  子供たちが涙を流したのは、納棺の時・火葬場に棺を入れボタンを押す時・骨になり
 出てきた時です。しかし、その涙は、これからの人生に大きな糧となることでしょう。
 立派に成長し、素晴らしい若者として頑張っています。
  私は、母のことをHPに書いておこうとしている時に何故か涙が止まりませんでした。
 孫・ひ孫たち・私のこころも母がしっかりと生き続けています。
                          シニア ライフ アドバイザー
                                 岡島 貞雄
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