ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています             看取り 

Top page

             寄りそい “ 看取りまごころ

        〜 生きて生き抜き大往生 〜

 私の義母が人生を立派に卒業しました。生き抜いた人の最後は本当にきれいでした。
小さな子供達が、義母に触れたり、折り紙をおり、棺に入れてくれました。
義母からは、多くのことを学びました。身体が不自由になり、それが原因で一時判断能力が
衰えたこともありましたが、それを克服し、永年親しんできた俳句で神戸新聞の月間最優秀賞
を貰うほどに元気になりました。 【 梅雨はげし 老人ホーム 静かなる 】 義母の作品。
老人ホームでの生活で数多くの俳句ができました。
 義母が、人生を優秀に卒業式を迎えることができましたが、
それは、多くの方々のチームワークと信頼関係とご協力が得られたからこそです。
 安心で穏やかに日常を過ごすことができた10年間の老人ホームでの生活を振り返ってみたい
と思います。
  ある日脱水症状で入院し、退院後わが家で共同生活となりました。
人生を卒業する看取りは永年の計画と本人の意思を最優先することから始まります。

マーク 老人ホームを選ぶ ゆっくり、しっかりと
  「家族とは、自分の命の受け止め手がいること」という安心感が最も大切と考えています。
 それらを求めることができる施設を3年間かけて求めました。
 義母は、股関節の手術を施し、福祉施設を利用することで穏やかな日常を送ることができる
 と妻と常に話し合っていました。措置時代の老人施設は行政の指示の通りにしなければなら
 ず、介護保険制度が施行される時まで待っていました。
  老人ホームの選択条件は、@ 車で20分以内、電車でも30分以内 A 施設の職員特に
 相談員・施設の幹部職員などと福祉に付いて話し合える方がいること。職員は転職者が多く
 てあまり対象としない B 見学時の施設で生活者が穏やかな状況の観察と周辺症状が出て
 いる方が少ないこと C 設備(これは必要であるがあまり重視しなかった)D 生活者の
 家族近燐の人達、第三者の出入りがあり、地域社会に開かれていること。
 等などを検討材料として訪問調査を続けました。
  ここと思われる施設を2年6ヶ月待ちました。何故K老人ホームとしたのかは、私達と相談
 員との相性と福祉に対する信念の一致でした。入居する前には多くの話し合いをしました。
 この施設は設備的には決していいものではありませんでしたが、相談員の福祉理念にこころ
 が響きました。その会話の一部を下記に述べてみます。
  相談員が最初に次のように話されました。
 これから話すことはお母様の生活を考えてのことです。決して条件ではありません。 
 (1) 車いすはこれからお母様が一生利用するものです。可能であれば自前の車いすをお願い
   します。⇒施設を最終の生活の場といわず、一生という言葉が心に響いた。
 (2) 現状を考えますと一日一度の食事介助をお願い出来れば、お母様は回復します。
 (3) 母の日常の状況、趣味など
 (4) 家族として夫婦の協力体制、施設と家族の協力など、その一つが欠けてもお母様は幸せ
   な日常は送れないとの指摘。
 など多くのことは話し合い、それらを了解のもとに母はK老人ホームで生活を始めました。
マーク 老人ホームでの生活に積極的に関わる こころを込めて
  第一に実施したことは、夕食の家族介助から始めました。6ヶ月間毎日通いました。
 その間にどんどんと回復し車いすも自走式に替え、介護度も要介護5から4となりました。
 これは、私達夫婦の自慢の一つです。相談員も喜んでくれました。
 この時期に職員からのメモで「湯上りに 手厚き介護 涙こぼるる」という句を頂きました。
 入浴後のつぶやきを聴きとめて、メモをくれた介護職員のこころに感謝したものです。
 これが、きっかけとなり、連絡ノートを置くようにしましたが、多くの職員の方々が記入
 してくれました。最終となり、亡くなった後にも職員の方が母や私達に贈る言葉を書いて
 くださいました。
  私達の出来ることは積極的に関わることとし、施設と私達の信頼関係の構築にこころを
 込めて施設へ、母のもとへと通いました。
 この時期に多くの俳句が出来ました。冒頭に書いた俳句もこの時期の作品です。
マーク  信頼関係の構築    ゆっくりと、しっかりと
  契約書を交わす時には多くの時間をかけました。
 もう一度母の日常を話し合い、身体のこと、趣味のこと、日常生活のこと、若き日のこと等
 最も時間をかけたのは延命のことでした。延命という定義から始めました。
 胃ろうや人工的な栄養補給は、それを行うことで元気になること、胃ろう後寝たきりになる
 ような胃ろう手術はしない。
  話し合いの中で相談員とは人間的な共感が出来上がりました。例え意見が違ってもお互い
 を信頼し合うことで解決しようと意思を共にしました。
  職員とは、時間をかけて信頼関係を構築することにこころがけました。
 小さなことでも職員の行為に対して「ありがとう」から始めました。小さな失敗は職員が
 気付いておれば責めないこととし、話し合いで解決を試みました。多くの職員が優しく
 生活のお手伝いをしてくれました。
  母の葬儀の折には、退職した職員まで参列して下さいました。多くの職員が涙を流して
 お別れを惜しんでくれました。職員と家族の協力の大切さを身にしみて感じました。
  
マーク カンファレンス会議グループケアの実施   ケア会議の大切さ
  私達が、信頼していました相談員の提案で50人規模の生活者を3グループに分けて介護を
 してくれるようになりましたが、これは、家族にとっては素晴らしいことでした。
 約10人の職員の誰に聴いても母のことを答えてくれるようになりました。それまでは母の
 ことを誰に聴いてよいやら、又、確かな返答が返ってきませんでした。しかしグループケア
 となってからは一人一人の職員が実に丁寧に答えてくれるようになりました。
  ほぼ、同じ時期にカンファレンス会議に家族も一緒にと提案され、私達夫婦ともう一組の
 夫婦がテストケースとして参加するようになりました。施設での生活のこと、身体のこと、
 医師のこと、家族に対する要望のこと、施設に対する家族からの要望等など話し合い、
 ケアプランには納得してサインをしてきました。
 これらは、施設の素晴らしい決断といえるでしょう。これらを残して相談員が転勤となり
 残念な気持ちでしたが、それらを引き継いでくれる職員もいました。グループケアに苦情を
 いう職員もいましたが、仕事が増えると言って・・・・・。
  マーク 家族会  医師・介護・看護スタッフ・家族の連携
  カンファレンス会議の参加と同じ時期に家族会の設立の相談を受けました。
 この施設は115年の歴史のある施設ですが、特別養護老人ホームとしては介護保険制度が
 施行された2000年に設立されました。
  施設長と相談員のTさんから家族会設立に付いて協力を要請されました。
 その折の家族側の条件は、
 @ 家族会として独立性のあること。
 A 毎月日曜日のデイサービスの部屋を利用できること
 B 施設側の資金は必要のないこと。施設から運営金を申し出てきてくれましたが、
   丁寧にお断りしました(独立性と相反するため)
 C 家族会としての要請は必ず幹部職員会議の議題とし、家族会に回答すること

 設立委員会の希望を受け入れて下さり、毎月1回(職員は参加したり、しなかったり)
 話し合いを行いました。
  例えば、家族会が、施設側とどのような協力体制が可能か、施設に要望するためには
 その内家族会で出来ることは何があるか、家族会に寄せられた施設に対する要望や苦情を
 家族会で話し合い、取捨選択をして施設側へ要望として提出しました。
 家族側の思い込みや施設の現状を知らずに苦情が寄せられることも多々でした。
 その場合は、家族会で話し合い問題解決に当たるようにしました。
 家族会のメンバーは素晴らしい方々でした。
マーク 自然とのふれあい    その人らしい生き方を支える
  義母が施設で生活を始めて主治医の問題が出ました。嘱託医は既に手が一杯とのこと
 でした。そこでお願いしましたのが、近くのH病院でした。ほぼ1ヵ月に1回の定期診断に
 通いました。これが、素晴らしい自然とのふれあいとなり、義母の楽しみと安心感に繋がっ
 たと思います。
  施設の車は使用せず、車いすを押して病院へ通いました。途中で子供と逢う、小鳥をみる
 子犬と出会う車が走る、優しい人たちが声をかけてくれる。義母は何時も嬉しそうでした。
  病院では、主治医の先生が優しく、義母は何時も先生に「先生に逢いたくて逢いたくて」
 と先生は、「そうですか、有難う」と必ず返事を返してくれました。
 この先生が、最後の看取りケアを理想的な状況を創って下さり、家族も職員も安心して
 看取り介護を行うことができた、と感謝の念で一杯です。
  また、天気がいい日には近くの公園や神社に俳句手帳を持って出かけました。お陰で私
 まで俳句のまねごとをするようになりました。義母は、私に俳句を何時も進めていました。
 俳句をすることにより、自然の小さな移り変わりに目を向けることができ、
 細やかなこころ遣いができるようになると教えてくれました。私に最も欠けていた面です。
マーク 介護・看護職員のきめ細かい観察力と家族との協力    医師・介護・看護スタッフ・家族の連携 
  夜間当直の介護職員から、見回りの折に「有難う」と言ってくれましたとか、「嬉しそ
 うに笑ってくれました」「身体の動きを協力してくれました」などなど連絡ノートに書い
 て下さったり、話してくれました。家族にとっては嬉しさと安心感となりました。
 一人の女性職員がノートに書き入れてくれますと次々と書いて下さる職員が増えました。
 前にも述べましたが、そのノートが10冊となり、義母が亡くなってからも送る言葉を多く
 の職員が書いて下さりました。私達の宝物となりました。
  私達夫婦が、施設に対して行ったことは、@Aグループ大型カレンダーは7年間用意設置
 A 季節季節の風景写真(A4)を額縁に入れて飾る B家族会の企画開催・ポスター作成
 C 職員個人の掲示用写真を撮影と作成 D生活者との会話(周辺症状に苦しむ方々含む)
 E 介護職員の悩みを察知すること、その対策

  さぼりでなく、真面目な失敗は職員を責めないようにし、納得のゆくまで話し合いを
 しました。10年間で結婚してゆく職員、退職する職員など多くのことがありましたが、
 年上として家族としてアドバイスなどをしてきました。
 介護福祉士受験のお手伝いとして、問題集、成年後見制度の参考書、資料等のプレゼント。
 心肺蘇生法/AED講習なども実施しました。
マーク 補助食品の差し入れ  バナナ
  補助食品として、肉ふりかけ・鰹節梅干しを常に欠かさないように差し入れました。
 肉ふりかけは、作るのに大変でしたが、自家製品として作りました。施設でどのようにして
 作るかレシピをよく求められましたが、大変であり、実行した家族はあまりいません。
  施設の食事を取る量が少しずつ減ってきました。管理栄養士や業者と相談し、流動食で
 口に入り易く、「誤えん」の可能性が少なく、栄養価の高い食品を調査し購入しました。
 亡くなる前約1年間はほとんど持ち込みの食糧でした。
  義母は病院や施設で出てくる“きざみ食”や“とろみ”食は食べようとしませんでした。
 「誤えんが怖い」、「食べることができない」として、私達が勝手な思い込みで食事の
 形状選びは出来ないことを学びました。
  家族として専門職員としても、本人の永年の観察と豊かな想像力、そして知恵や工夫が
 求められるのではないでしょうか。
マーク 医師、職員、家族との連絡ノート 医師・看護・介護・家族の連絡ノート
  先にも述べましたが、医師・訪問看護師・職員など義母に少しでも関係のある方は
 義母の状態をノートに書いてくれました。そのノートは10冊になりました。
 いま読み返しても心遣いがヒシヒシと感じられ何よりの義母からの贈り物と感じられます。
 一人一人の優しさが感じられ、今後の私達夫婦の心のささえ、今後の人生の手本というか、
 目標のような感じで読み返しています。
  皆様の優しさが素晴らしい限りです。特に義母が亡くなって後、葬儀を無事済ますこと
 ができて、三日後に部屋の整理に行きますと多くの職員の方が記帳して下さいました。
 宝物として大切にし、これからの人生で疲れた時には読み返したいとおもっています。
マーク 看取りと葬儀   こころに寄り添って 
 食事の摂取量が落ちてきました。医師・介護職員・看護師・私達家族とのカンファレンス
 会議が持たれたのは3年目くらいでした。その後4年ほど経過して、1日の尿量が
 300ccをきれば脱水と考えて点滴を実施することとなりました。
 食事に付いては、一度に多くの食事を取ることができなくなり食事回数を増やすこととし、
 朝・10時のおやつ・昼・3時のおやつ・夕食の5回を考えて食事ノートを記入し、家族・
 介護職員が共通の認識を持つようにしました。
 私達は、3時のおやつ時に2時間かけて食事補給を担当しました。
  昨年12月より、体力が弱ってきました。医師・施設との相談会を何回も持ちました。
 その折に「先生、看取り介護に入ったということですか」と質問「そうです」と医師。
 水分摂取量も300ccの尿量を切っても点滴を500ccから200ccと減量し、
 いよいよ看取り体制になりました。施設には見取り介護体制の契約を申し出ましたが、
 見取り介護の契約ができましたのは、亡くなる5日位前でした。
  カンファレンス会議において、義母は救急車は利用しないようにと話を持ちかけました
 が施設側は、なかなか理解されませんでした。もし、救急車を呼ばなければ施設の怠慢を
 問われるとして、了解が取れましたのは1年位前でした。

  救急車を呼ばない為には医師の協力なくしては到底不可能です。しかし主治医の先生は
 私達家族に安心感を与えて下さいました。実に丁寧な診療を続けて下さいました。
 そして、静かに静かに人生の卒業の準備をして下さいました。
 施設が用意して下さったエアマットの上で息を引き取りました。
  その瞬間、妻は母親の手をしっかりと握っていました。
 時期をほぼ同じくしてこの世を去った女性の方がいますが、救急車で運ばれて車の中で
 亡くなり、警察のお世話になった方がいます。

  義母は子供や孫たちに囲まれて立派な人生を終えました。
 葬儀は、義母の望み通り若かりし頃子供を連れて通っていた教会の牧師先生にお願いし
 葬儀を取り仕切って頂きました。これは、義母が常日頃から私達に話していたことです。
 希望の牧師先生に送って頂き安心して天国へ旅立ったと思います。

  ローマーは、一日にしてならずと言われますが、看取りも同様です。 
 時間をかけて本人をしっかりと理解し、本人の意思を最優先した計画を立ててこそ
 看取りは安らかに行うことが出来ると確信しています。
 私達に多くのこころの財産を残してくれた義母に感謝します。

   死亡診断書には老衰と書いて下さいました。私達の望んでいたことです。

                          シニア ライフ アドバイザー