ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています        認知症と拘束

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  電車画像         「認知症と拘束」

  認知症の方の遺族が、列車事故の損害賠償を求められる裁判の記事が
 こころを痛めます。認知症と拘束について考える必要があります。
 裁判で損害賠償を求められる人は、ほとんどが高齢な方か、仕事を
 抱えている方です。
 裁判で損害賠償を求められた人々はどのような気持ちでしょうか。

 私が損害賠償を求められた場合を想定し考えてみたいと思います。
 認知症に関しては、第三者として20年間の老人ホーム訪問経験からの
 思いです。認知症について理解が欲しいものです。
 事故防止の為に拘束・閉じ込めをするのでしょうか。
 関係者の方々のご回答を求めます。


マーク1) 認知症の理解

  
認知症の方は、何も判らなと思いますか。認知症の方ほど生きることにのみに力を注いでいる
 と考えています。
 私達は、言葉を飾ったり、お世辞を交えたり、少々心にない言葉も出ることがあると思いますが、
 認知症の方はそれがない。今自分が思っていることが即口から出てきます。
 認知症の方の言葉をよく聴くことでそれらのことが理解できると思います。
 
  まず認知症の方のこころの言葉に耳を澄まし、心を澄まして汲み取って下さい。
 認知症の方との接し方は日々違います。体調により、状況により、相手の対応により、
 その時その時で違ってきます。
 徘徊も言葉のちぐはぐさも、全て本人にとっては意味があることなのです。
 その意味を私たちは、もう少しゆっくりと目線を合わせて、聴きとる必要が有ります。

  成年後見制度の利用についても法律家であっても認知症専門家ではない。
 私の知り合いには法律家でヘルパー・社会福祉士の資格を持ち、高齢認知症の理解に頑張っている
 方もいます。列車事故を裁判にかけた法人、それを裁いた裁判官はどれだけの認知症の勉強を
 しているのでしょうか。
  監督義務者として賠償を求められた大多数の方が、老老介護のどちらか一方、仕事しなければ
 生活が維持できない人々です。
 この人達に監督義務者として責任を取らせることは本当に真実でしょうか。
 もう一度、法人側、司法側両者に考えてもらいたいと思います。
  どのような行動をとろうとも事故につながらない施設・構造を考えて欲しいものです。

 2) 拘束とは

  監督義務者に責任を求めるのであれば、これら認知症の方を拘束するしか手がありません。
 老人ホームでは、拘束を厳しすぎるほど注意しております。
 しかし、殆どの施設が2階以上のエレベターでは、暗証番号やボタンにカバーをつけて高齢者が
 自由にエレベターが使用できないようになっています。
 病院では治療との理由で、手足の拘束は多く見られます。

  拘束の解釈の仕方が問題と思います。事故を防ぐために無責任な拘束、相手を考えての拘束などが
 あります。拘束される側を思いやるこころが大切と考えますが、列車事故等を監督責任者として賠償を
 求めるのであれば、認知症患者の閉じ込め、拘束しか手立てはないように思います。移動の尊厳はどう
 なるのでしょうか。裁判所も法人も閉じ込めや拘束を求めるのでしょうか。裁判所は、このような事故
 が発生しないような方策を決定書の中に一言入れたら如何ですか。

  拘束についても学問上のみの拘束云々するのではなく、現実に即した方法を考える必要があると
 思考します。人類が経験したことのない超高齢社会を迎えようとしております。もっともっとすべての
 人々が自分のこととして考えようではありませんか。行政も突然、超高齢社会が到来するように言って
 いますが、戦後すぐに想定できたことです。認知症やその家族に、責任を押し付けるのでなく私達全て
 の社会に責任があると思います。

 3) 福祉の充実

  ※ 家庭の場合
  

  認知症の高齢者が家族の中にいる場合は、それは大変なことです。しかしその認知症の方はあなたを
 生み育てて来た人です。そのまま放置できますか、できないと思います。私が10年間お世話をさせて
 頂いた義母は、一般的には認知症と言われておりましたが、私達夫婦は多くのものを学びました。
 生きることの真の姿を。(病気不安、体力衰え、経済的、栄養不足など将来の心配事の積重ねが、症状
 の起因だったように思いました)
  福祉とは、社会に求めるばかりでなく、家族でできることは家族でまず実行しようではありませんか。
 その場合、中心となるチームリーダーが必ず必要です。リーダーは親族と医療と福祉との程よい関係を
 構築することです。よく聴く言葉ですが、「遠く離れているから」の次に「何もできない」と続きま
 す。そうではありません。
 遠く離れているからこそできることがあるのです。そのことを考えるだけでもリーダーの支えになりま
 す。こころのささえ・経済的なささえ・第三者としての冷静な判断等々多くの仕事はできます。
  社会に福祉を求める前に、家族親族でチームを構成し、足らざる部分を社会に援助を求めることです。
 認知症の方々に愛情を持ち、そうすることが認知症を病む高齢者が最も安心できるのではないでしょう
 か。徘徊も当人にとっては意味があることなのです。チームの総合力を生かして考えましょう。


  ※ 老人施設の場合

  老人施設の職員は続かないと聴きますし、事実訪問するたびに新しい職員がいる施設もあります。
 老人ホームは、大変ですし、この世で最も難しい職場と思っています。そのことを真剣に考えて環境整
 備をする必要があります。
  職員の方にお願いがあります。大変な仕事、給料が安いなどなどよく理解できますし、環境整備に尽
 力したいのですが、職員の皆様にも「誇り・プライド」を持って欲しいのです。
 若い人々が憧れる職場を、職員のあなたが先ず創る努力が欲しいのです。施設でよく見かける光景ですが、
 嘱託の高齢職員が幅を利かせている、いい方面(気配りや思いやり)に気遣いがある方は素晴しいですが、
「そんなにしても・・・」「召使では・・・」「時間ですから・・・」等この言葉は、利用者の家族の方か
 らよく聞かれる言葉として耳にします。
  職員が考えているほど何も判らない高齢者ばかりではありません。認知症と決めつけてしまい、何を話
 してもこの人は判らないと、勝手に思っているだけです。

  高齢者や認知症と言われる人たちは職員の言葉が判っているのです。
 家族にそのことを訴えても親が「人質」になっているからと言葉にできない家族もよくありません。
 勇気をもっておかしなところは、口に。
  施設・家族・地域、高齢者を取り巻くすべての人達が、協力し素晴らしい職場、誇りが持てる職場に
 したいものです。そのような誇りがある施設では、徘徊も少ないのではありませんか。


  ※ 病院の場合

   
義母は、救急車に乗せない様に施設と交渉しました。何故なら、病院から施設に帰ってきた高齢者は
 ほとんどの人が痩せて、見るからに入院以前の元気も体力もありません。不思議な話です。
 病気を治しても身体を壊して、施設に戻ってきます。
  しかも、入院が3ヶ月を過ぎると施設も受け入れを拒否することもあり、病院を転々として最期をむか
 えた方を多く知っています。病院と施設と家族の連携が取れるようにできないのでしょうか。
 このようなことは徘徊と関係ないように思われますが、居心地が良くないところには居りたくないのは
 認知症の方であれ、私達であれ当然と思います。
  義母は,10年間入院せず、立派に大往生しました。施設には、主治医にまず連絡をすることとして、
 救急車を呼ばないことを話合いしました。
 救急車を呼ばないことは施設の職務怠慢となると言って、施設の抵抗がありましたが、その責任は追及
 せずに家族として全て責任を取る旨申し入れやっと了解をとりました。
 是非、病院・施設・家族との連携を取り、高齢者が主役である環境つくりに努力したいと考えます。


  ※ 行政の対応

  要支援を切り離す施策がいろいろと話題になっています。現状の福祉は、お金がある、ないでしか語っ
 ていないように思えます。要支援・介護に軽度の方の生活を支えることが将来的に費用の節減となるよう
 に思いますが・・・。
 現状の少子超高齢時代は、大昔から想定できたはずです。徘徊高齢者は介護度の比較的低い方ではないで
 しょうか。
 認知症高齢者の行方不明者が、年間9700人と発表されましたが、徘徊できる人は元気な高齢者とも考え
 られます。このような高齢者が、徘徊の末に軌道敷地内へ入り事故を起こす。それの賠償を高齢者や仕事
 現役者に求めることが正しいことでしょうか。簡単に軌道敷地内へ侵入できないような構造は、考えられ
 ないのでしょうか。
 もう一度問います。このように簡単に侵入できる構造の踏切の改造は、できないのでしょうか。
 業者・行政・住民で協力し、簡単に侵入できないような構造を検討してほしいものです。
  住民の皆様は、危険と思われる場所を、普段から気をつけてみておきましょう。
 事故防止のために認知症高齢者を拘束したり、家に閉じ込めたりできるでしょうか。


 4) 地域の対応 

  知り合いの方に高齢者を集めて自主的におしゃべりができる会を数年実施している方がいます。
 1回の会費が100円です。ひっそりと素晴らしいことを平然と実行しております。
 このようなグループこそが、助成金の対象となるべきと考えます。
 この会は、多くの高齢者と顔見知りとなり、町なかで不審な行動の高齢者を見つけると、それとなく
 注意して見守っています。
  行政が、町全体で見守り体制を組んでいるところもあります。このような施策には住民として大い
 に参加し、町全体で見守りを実施出来たら素晴らしいと考えます。
 街中では高齢者対応の多くのグループがありますが、情報交換や連携が取れるようになれば徘徊高齢
 者を守ることもできるように思います。
  列車事故の賠償問題は、こころを痛め頭から離れません。
 社会の一人として考えてゆきたいものです。そして私ができることを考え続けたいものです。

  

                                    シニア ライフ アドバイザー
                                                   
岡 島 貞 雄

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