ジェロントロジー・高齢社会の人間学をテーマにしています      想い出の人々


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     安心感   「想い出の人々」
         
        
…… ありがとう(言葉の伝え方)……

  20年にも亘り老人ホームを訪問し、多くの想い出に残る人々がいます。
 その中でも認知症と言われる方とのお付き合いで「ありがとう」と言ってくれる
 表現の仕方が、色々とありました。きめ細かくその表現を受け取ることが大切です。
 殆どの方がこの世を去りました。向うでは楽しい会話をしていることでしょう。


  
  
特別養護老人ホームにて

 
 特別養護老人ホームを訪問する際には必ず持ってゆくものがあります。
 それは、一粒300メートルとM製菓のキャラメルです。
 高齢者にとっては、この二つの飴が想い出深い飴のようです。
 上記の飴の箱を見せますとほとんどの方が懐かしいと言って、話しやすくなりました。

  必ず職員の許可を頂いてから手渡すようにしています。


1)Oさん(90歳男性)

 
 Oさんはいつ訪問しても廊下の長椅子に座っています。
 飴の箱を見せますと「懐かしい子供の頃を思い出す」といってにっこりとしてくれました。

  次のような会話がいつ訪問しても続きます。

 「こんにちは」にっこりと笑い「誰だったかな」
 「いつもOさんにお世話になっている者です」から始まり、同じことの繰り返しですが、
 楽しそうです。15分~長くて30分のおしゃべりとなります。
 ほとんどが、道徳の話しとなり、自分の過去を話してくれます。

  自分は親の面倒を最後までみた。戦争にも行った。
 復員した時には両親が一番喜んでくれたなどなど。
 職員の方とうまくいっているのでしょう、穏やかな話し方でした。

  別れ際ににっこりと笑い、「また、来てくれ」と言ってくれます。
 この方の「ありがとう」のこころが伝わってきました。
 それを聞きたくて、いつも一番にOさんの横に行っていました。

2) Tさん(87歳女性)


  この女性は、常に広間の長椅子に一人で座っていました。
 飴を私が手に持っていても、欲しいとは決して言いませんでした。
 しかし、にこにこして、子供の遠足には必ずリュックサックに持たせたと話し出します。

 「食べますか?」「悪いからいいのよ」「これはTさんに持ってきたのです」
 「ひとつだけ」と言って口にし、にっこりと笑っています。

  色々と話していますと最後には、「今度、子供が鳥取から蟹を持ってくるから食べて」
 と言ってくれます。未だに蟹をご馳走になったことはありませんが、常に蟹のプレゼント
 の約束をしていました。

  これが、彼女の最高のお礼の言葉なのでしょう。「ありがとう、貰いに来ます」と
 言って別れます。この言葉こそが彼女の最高の「ありがとう」だと思って通っていました。


3) Nさん(85歳女性)ショートステイ利用者

  Nさんとは中々お逢いすることが出来ません。ショートステイですし、
 私の訪問となかなか合わないのです。Nさんは、認知症ではありません。

  身体の小さい、私の肩きりしかない可愛い女性です。私を見つけると後ろからでも前
 からでも抱き付いてきます。そして自分の部屋で話したいと私を招いてくれます。
 個室であり、職員の許可を貰いますが、最大15分の訪問です。

  その折の話しは、必ずと言っていいほど、長男の嫁との愚痴です。
 広間ではこの話をしませんから、しっかりと場所をわきまえているのでしょう。

 「部屋が2階であり、動きにくい」「病院へ行くのが大変」
 「食事が若者向きで口に合わない」
 これは、愚痴と言うか、しゃべることでストレスを発散しているのでしょうか、
 暗さはなくむしろ明るいと思えるほどの会話でした。
 自分のことを聴いてくれる誰かが欲しいのではないかと思います。
 ゆっくりと聴いてくれる人が欲しいのでしょう。

  一人ぽっちで家にいますと誰かと話したいのではないでしょうか。
 別れる最後には、「今度いつ来るの」「ここに泊まっている時に来てくださいね」が
 彼女の「ありがとう」だと思いました。

 

4) Sさん(92歳女性)
 
  Sさんは、いつ訪問しても外の景色が見える食堂の椅子に座っています。静かな人です。
 窓から見える景色は、電車が走る様子が見える場所です。

  「横に座ってもいいですか」とお聞きしますと「どうぞ座って下さい」と少し体をずら
 してくれます。いつもと同じなのですが、その話し方が実に幸せそうなのです。

  私をジッと見つめて「昔、宝塚線の電車に乗っていたでしょう? Tさんでしょう!」
 と当初は違いますと答えていましたが、いつ訪問しても同じ質問の繰り返しです。
 Sさんは、若い時代に旧国鉄宝塚線で学校へ通っていた時代の素晴しい思い出を私に話して
 いることが判り、「そうです」とは言わずに「ニコニコと笑っている」こととしました。
 話している時、いつも嬉しそうでした。

  帰りに「さよなら」といいますと「また来てね」と言ってくれます。
 彼女にとっては最高の「ありがとう」の表現でしょうか。
 私は「ありがとう」といって別れていました。

5) Rさん(93歳 男性)

  この方は、スイス生まれだそうです。ある大学の先生を長く勤めていたとのことです。
 教え子で中国からの留学生が、施設を訪れてお世話をしていました。

  日本語は話せますし、私たち日本人よりきれいな日本語を話していたそうですが、
 私と知り合いになった時期にはほとんど日本語は喋りませんでした。

  ある日、Rさんがお世話している留学生の方と日向ぼっこをしていました。
 例により、飴を差し出しますと、にっこりと笑い手を差し出してきました。
 それが二人との出会いの始まりです。

  私と二人で並んだ写真をプレゼントしますと…「Oh! My Best Friend」…と周りを吃驚
 させるほどの大きな声で喜んでくれました。
 この言葉が彼の最高の「ありがとう」の表現でした。
 
  数回夕食介助のお手伝いをしたことがあります。いつも一番に指をさし、求める食べ物
 は実に辛そうな漬物(たくあん漬け)でした。その次が、塩焼の魚です。
 この方は、結婚していなくて一人の生活を続けてきたそうです。
 塩分の取り過ぎの高血圧で脳血管性の病気となったと想像されます。

  最期のセレモニーは、教え子である留学生により、生活していた老人ホームで行われ、
 職員や施設利用者など多くの方に惜しまれながら、素晴らしい最後のお別れを行いました。

  

6) Uさん(96歳女性)……「底抜け」……

  いつも同じ椅子に座り、話すこともなく、一人でいる女性の方がいました。
 その施設に20歳位の男性が、実習生として勉強していました。しかし、何となく溶け込
 めずに一人行動が多く、高齢者からは決して喜ばれていませんでした。

  ある日その女性が、私を手招きし話しかけてきました。誰も周辺に居ないことを確かめ
 てからその実習生のことを「あんな底抜けは要らない」と言ったので、黙って聞き、そこを
 離れようとした時に、もう一度私を手招きし「誰にも言わないで」と念をおしました。

  この方は、要介護度4であり、認知症が進んでいると言われている方です。
 しかし、しっかりと施設の様子を見つめて、その様子が判っているのです。

 周りの人々が勝手な思いで、高齢者を認知症にしないで欲しいものです。


               シニア ライフ アドバイザー 岡島貞雄


                                               

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