7月生まれの偉人伝

今日生まれの偉人達
1日 ジョルジュ・サンド(アマンティーヌ・オーロール・デュパン)フランス 女流作家(1804〜1876)
男装してパリの市中を歩き「男装の麗人」と呼ばれ、ペンネームも男性の名前を使い、男性と積極的に文学論を戦わせた。詩人のミュッセ、音楽家のショパンやリストと親しく交わる。特にショパンとの恋は有名。晩年は「ノアンの奥方」として新しい世代の作家たちに慕われた。代表作「アンディアナ」「魔の沼」等
2日 ヘルマン・ヘッセ(Hermann Hesse)(1877〜1962)ドイツ 小説家・詩人
神学校を脱走したり、15歳で自殺未遂をしたりと、不安定な青春時代を送る。その後、機械工を経て書店に勤め、詩作に励んだ。1900年頃から小説を書き始め、現代文明への批判を深め、心の深奥の探究と東洋的神秘への憧憬の結びついた小説を書いた。作「車輪の下」「デミアン」「ガラス玉演戯」など。
石川達三(1905〜1985)昭和の小説家
3日 フランツ・カフカ(Franz Kafka) 1883〜1924 チェコの作家 ユダヤ人
生前には、わずか数冊の本を出版しただけで、ほとんど無名で、ほぼ一生涯を「ボヘミア王国労働者災害保険局」の一役人として暮らしたが。死後出版された作品は、高く評価され、文字どおり世界の文学界に衝撃を与え、20世紀ドイツ文学を代表する作家の一人と認められた。作品では「変身」が有名。その他に「城」「アメリカ」など。
4日 スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster)(1826〜1864)アメリカ 作曲家
19世紀のアメリカの素朴な風土に根ざした数々の歌曲を作った。ほとんどが、黒人のミンストレルショー(簡単な喜歌劇)のための曲で、多くの人に親しまれた。が、晩年は酒で身を持ち崩し、妻とも別居し寂しく人生を終える。代表曲「草競馬」「オールド‐ブラックジョー」「金髪のジェニー」など。
5日 ジョルジュ・ポンピドー(1911〜1974)フランス 政治家 大統領
ドゴール大統領下の首相を連続4期つとめたが1968年「五月危機」の責任をとらされ辞任するが、1969年の選挙で大統領に選出された。内政では経済成長率年6%の実現を目指す意欲的な第6次5ヵ年計画を実施した。詩集も出し、当時廃墟となっていたオルセー駅を美術館として修復し、印象派の美の殿堂とした。
ジャン・コクトー(1889〜1963)フランスの詩人
富は一つの才能であり、貧しさも同様に一つの才能である。金持ちになった貧乏人は、贅沢な貧しさをひけらかすであろう。(「恐るべき子供たち」より)
6日 佐藤紅緑(さとう こうろく)(1874〜1949) 小説家
本名は洽六(こうろく)。社会問題をテーマに義理と人情を描くのを得意とし、大正期には新聞連載の家庭小説の人気作家となる。その後、ああ玉杯に花うけて」や「英雄行進曲」などの大衆的な少年少女小説を執筆して圧倒的人気を博す。詩人サトウ・ハチロー、小説家佐藤愛子の父としても有名。
7日 陸奥宗光(むつむねみつ)(1844〜1897)明治時代の政治家 外交官
若い頃には、土佐の坂本龍馬が組織した海援隊に参加、その後、伊藤内閣の外相となり、対等条約の締結に尽力、イギリスとの条約改正交渉において、日英通商航海条約締結に成功。日清戦争ではイギリス、ロシアの中立化に成功するなど、その高度な外交政策は日本外交の原点ともいわれている。
マルク・シャガール(1887〜1985)ロシア出身のフランスの画家 版画家
8日 ジョン・D・ロックフェラー(1939〜1937)アメリカ 実業家 ロックフェラー財閥の創始者
貧しい家庭の出身だが、1870年にスタンダート石油会社を設立、ライバル会社を吸収・合併して石油業界のトップに立ち、世界最大規模の莫大な財産を築き上げた。58歳で事業から引退、後半生はすべて慈善事業に費やした。97歳で大往生を遂げたとき、新聞は「彼ほど莫大な財産を賢明に使った人がこれまでいるかどうか」と称賛した。
9日 カミロ・ゴルジ(Camillo Golgi)(1844〜1926)イタリア 医師 神経学者
硝酸銀を使って神経細胞と神経線維を黒く染める方法(ゴルジ鍍銀法)を考案した。この方法のおかげで、ニューロンをさらにくわしく観察できるようになり。神経系のより微細な構造探究に大いに役立った。さらに細胞内で、分泌物や排出物の形成に関係すると考えられているゴルジ体を発見した。1906年ノーベル生理・医学賞を受賞。
10日 マルセル・プルースト(Marcel Proust)(1871〜1922)フランス 小説家 「失われた時を求めて」の作者
1903年と1905年に相次いで両親を失い、更に持病の喘息が悪化。これを契機に部屋にこもり、書き溜めた20余冊の手帳を資料に大作「失われた時を求めて」を15年間書き続け、完成と同時に亡くなった。人間の内面の「意識の流れ」を綿密に追うことにより従来の小説概念を大きく変革しフランスの心理小説中の最高傑作と呼ばれる。
11日 穂積陳重(ほづみ のぶしげ)(1883〜1926)法学者
法典調査会主査委員になり、富井政章、梅謙次郎とともに現行民法の起草にあたり「明治民法の生みの親」といわれ、貴族院議員、帝国学士院第1部長、文政審議会委員などの要職についた。彼は郷里に銅像の話が出たとき「銅像となり仰がれるより橋になり人々に踏まれたい」といい、市内の川に「穂積橋」と名付けられた橋がかけられた。
12日 西 竹一 (バロン西)馬術選手 陸軍軍人 男爵(1902〜1945)
昭和7年のロサンゼルス・オリンピック大会の馬術大障害で、彼と愛馬ウラヌスは、見事な演技を披露し馬術史上唯一の金メダルをもたらした。バロン西と呼ばれ世界中から賞賛されるが、愛馬ウラヌス号のたてがみを胸ポケットにしのばせたまま硫黄島にて玉砕。主人の死の1週間後に愛馬ウラヌスも病死した。
ジョサイア・ウェッジウッド(1730〜1795)イギリスの陶芸家 「英国陶工の父」「女王陛下の陶工」
13日 森有礼 (もりありのり)(1847〜1889)外交官、教育家、子爵
上野景範に英学を学び、米、英に留学。明六社を結成し啓蒙運動に活躍、第1次伊藤内閣の初代文部大臣となり帝国大学を頂点に高・中・小と連なる教育システム、義務教育、教科書検定、さらに運動会や修学旅行などの学校制度の改正を行う。また私財により商法講習所(一橋大学の前身)を設立。しかし、憲法発布式典の日刺殺された
14日 緒方 洪庵(おがたこうあん)(1810〜1863)蘭学者、医学者、教育家
幕末の著名な医学者、蘭学者であると同時に、優れた教育者でもあり、彼の開いた蘭学塾(適塾)からは、福沢諭吉や橋本左内、大村益次郎などの優れた人物が、輩出した。また、日本最初の病理学書「病学通論」を書いたり、道修町に除痘館を設けて種痘事業の発展に尽くす。幕府の要望により江戸幕府奥医師になるも、突然の喀血により急死。
15日 国木田独歩(本名 哲夫)(1871〜1908)作家、詩人
浪漫主義の作家として出発し、しだいに写実的、主知的傾向を深め、自然主義文学の先駆となるが、貧窮の生活が続いて健康を害し、新時代の文学のにない手と目されながら結核に倒れ36歳で亡くなった。多くの作品が死後続々出版されて、自然主義の先駆者としての不動の声価を定めた。代表作に「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯」「源叔父」等。
レンブラント・ファン・レイン(Rembrandt van Rijn)(1606〜1669)オランダの画家
16日 ローアル・アムンゼン(Roald Amundsen) (1872〜1928)ノルウェー 探検家
少年の頃ジョン・フランクリンの「北極探検記」を読んで心をうたれ、極地の探検家を目指した。1903〜1906年に北西航路を完全に航行。1911年10月19日南極探検に出発し、ロス海からハーコン7世高原をたしかめ、同年12月14日人類として最初に南極点に達した。1926年、飛行船で北極を通過。イタリアのノビレ探検隊を水上機で捜索中に遭難。
ジャン・バティスト・カミーユ・コロー(1796〜1875)
「自然こそすべての始まりである。」フランスの画家 風景画の父
17日 竹山道雄(1903〜1984)ドイツ文学者、評論家、小説家
東京大学独文科卒業。ヨーロッパ留学ののち第一高等学校教授となる。「わが生活と思想より」の翻訳により日本にシュバイツァーを紹介。児童雑誌「赤とんぼ」に連載した長編小説「ビルマの竪琴」は戦後児童文学の記念碑的作品となった。他に「ヨーロッパの旅」などの文明批評。「失われた青春」など人道主義的立場で人生を語った評論がある。
18日 ヘンドリク・アントーン・ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz)(1853〜1928)オランダの物理学者
電子理論の開拓者、光の屈折率と物質の密度の関係を導き、マクスウエルの電磁論に立脚して電磁波、光、電子を研究した。ゼーマン効果の理論を発表し、原子内における電子の存在を実証しようとした。高速で運動する物体は運動方向に短縮するというローレンツ収縮を発表し、特殊相対論に大きく寄与した。1902年ノーベル物理学賞受賞
19日 山川登美子(1879〜1909)歌人
「白百合の君」と称せられ、「明星」で活躍して与謝野晶子と名声を分かった。その後父の希望で山川駐七郎との結婚するが、結婚生活は夫の死により2年で終わる。明治38年に晶子、増田雅子と詩歌集「恋衣」を刊行。しかし夫からの結核の感染で自らも体調を崩し29歳で死去。抑制のきいた静かな表現のなかに女の愛の真実感を漂わせた歌風に特色をもつ。
エドガー・ドガ(1834〜1917)フランスの画家 彫刻家
「デッサンは形ではない。デッサンとは物の形の見方である」
20日 上杉治憲(うえすぎはるのり)(1751〜1822)上杉鷹山
上杉鷹山として有名。上杉重定の養子となり1767年に家を継ぐ。当時財政的には破産状態にあった米沢藩の改革を、みずから率先して倹約を行い、数々の政策を実施。米沢藩の財政を再建した。アメリカ大統領J.F.ケネディは日本で最も尊敬する政治家として上杉鷹山の名を挙げている。「為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり」
21日 ア−ネスト・ミラ−・ヘミングウェイ(Ernest Miller Hemingway)(1898〜1961)アメリカ 小説家
第一次世界大戦に従軍し負傷。その経験から「日はまた昇る」「武器よさらば」を発表。写実的な冷たい文体で信仰も希望も失った人間を描き、時代の運命と戦う人間の新しい姿を描き出した。代表作は「誰がために鐘は鳴る」「老人と海」等。1954年ノーベル文学賞受賞。猟銃の手入れ中の暴発による事故死。しかし自殺とする説もある。
22日 レゴール・ヨハン・メンデル(Gregor Johann Mendel)(1822〜1884)オーストリア 遺伝学者 牧師
ブリュンの教会で牧師となるが、教会の費用でウィーン大学で学び、自然科学を勉強。その後、教会から通いながらブリュンの国立実科学校で自然科学を教える。教会の庭にエンドウを植えて結果を統計的に調べ7年間もかかって、いわゆる「メンデルの法則」を発見し現代遺伝学の道を開いた。
23日 二宮尊徳 (にのみやそんとく) (二宮金次郎)(1787〜1856)江戸後期の農政家
通称は金次郎。14歳で父に16歳で母に死別した。一家は離散し伯父の家に寄食しながら勉学、勤労に努め、19歳で独立し、その後、小田原藩家老服部家の家政整理を依頼され成功する。以後農政改革を行っていずれも成功した。彼の思想と実践はその没後も報徳教として広く全国に行われた。
幸田露伴(こうだろはん)(1867〜1947)明治時代の作家
24日 アレクサンドル・デュマ(Alexandre Dumas)(1802〜1870)フランス 劇作家 小説家
大デュマ(デュマ=ペール)とも呼ばれる。フランス革命時の将軍を父として生まれ、パリに出るまでの20年間、ほとんど学校教育を受けず、父の経営する旅館で過ごすが、その後、豊かな想像とストーリーに富む英雄物語的長編を書き、大衆の人気を博した。代表作「三銃士」「モンテ・クリスト伯」「黒いチューリップ」
谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)(1886〜1965)大正昭和期の小説家
25日 小磯良平(1903〜1988)画家
東京美術学校西洋画科在学中の1925年第6回帝展に「兄妹」が初入選する。卓抜な描写力を基礎とした西洋的な感性の中に日本的油絵を確立させる。人物・女性群像をよくし、近代日本洋画界において代表的な画家。
石坂洋次郎(1900〜1986)昭和期の作家
26日 ジョージ・バーナード・ショー(George Bernard Shaw)(1856〜1950)アイルランド出身のイギリスの劇作家
シェイクスピア以来最大のイギリスの劇作家と言われる。独学で学び、作家活動に入った後は、イギリスの政治と社会の改造をめざす中産階級の社会主義グループ“フェビアン協会”の有力メンバーともなった。彼の辛らつでウィットに富んだ評論の評価は高い。1925年「聖女ジョウン」によりノーベル文学賞を受賞。
27日 高橋是清 (たかはしこれきよ)(1854〜1936) 政治家 財政家
日銀総裁、蔵相、政友会総裁、首相など要職を歴任。1927年の金融恐慌に際し田中義一に懇請され3度目の蔵相に就任。支払猶予緊急勅令(モラトリアム)や日銀の特別融通などでなどで事態を収拾、沈静化の見通しが立つと在職42日で辞職。以後、3内閣の蔵相として財政問題処理に腕をふるった。二・二六事件で暗殺された。
28日 大原孫三郎(おおはら まごさぶろう)(1880〜1943) 実業家
倉敷紡績、倉敷絹織 (クラレの前身) などの経営者として両社を大きく発展させると共に、労働問題にも強い関心をもち,従業員の待遇改善を実行した。また、大原社会問題研究所を設立し、日本の社会問題研究の水準向上に貢献、ほかにも大原農業研究所、倉敷労働科学研究所、大原美術館を設立し、社会・文化事業にも尽力した。
29日 箕作麟祥 (みつくり りんしょう)(1846〜1897)洋学者,法学者。
幕末から明治期の洋学者・法学者。江戸後期の蘭学者として名高い箕作阮甫の孫にあたる。維新後政府に出仕し、翻訳御用掛、司法大書記官などを経て明治23年に和仏法律学校校長となる。明治6年頃には明六社の一員として啓蒙活動にも従事した。業績として、フランス諸法典の翻訳、旧民法、商法の編纂事業などがある。主著「仏蘭西法律書」
30日 ヘンリー・フォード(Henry Ford)(1863〜1947)アメリカ 実業家
15歳のときデトロイトで機械工場の見習工となり,その後エジソン電気会社の技師となり、1903年フォード・モーターを設立して社長となり、部品の標準化を進め、オートメーション生産と併せてその単価を大幅に引き下げることに成功した世界初の大衆車T型フォードを完成。大衆車を普及させた。
エミリー・ブロンテ(1818〜1848)イギリスの女流作家
31日 柳田国男(1875〜1962)民俗学者(日本民族学の開拓者)
農商務省法制局、宮内省などの官吏を経て朝日新聞社客員となる。公私の旅行を利用して全国の口碑伝説を集める。また伝承文芸、方言研究などの分野にも多くの独創的研究を成し遂げ、平明な文章と広範な知識によって日本民族学を樹立、普及させた。日本芸術院会員、日本学士院会員となり、朝日文化賞、文化勲章を受章。
ウィリアム・S・クラーク(1826〜1886)アメリカの教育家、化学鉱物学者

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偉人 誕生日  香寺町の紹介
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