7月


8日
ジョン・D・ロックフェラー(1839〜1937)アメリカ 実業家 ロックフェラー財閥の創始者

ニューヨーク州で、行商人の子として生まれました。父親はいかさまの薬売りで、よく家を留守にし、偽名で別の女性ともひそかに結婚していたといわれています。

そんな環境の中、彼は子供の時から、日曜の朝はバプテスト教会へ行くのが習慣となっていました。教会では飲酒、喫煙、ダンス、トランプなどを禁じ、労働と倹約、慈善を教えており。その教えがロックフェラーの一生を貫いていきました。

彼は、すでに5歳の時、自分の父親に少額の金を利子つきで貸しており、6歳で小さな会社に帳簿係として初めて就職し、その1年目には、給料の約6%を寄付に使っています。さらに、18歳のとき、知人とベンチャー会社を設立しました。

その後ペンシルバニアで石油鉱脈が発見されると、その将来性に目をつけ、1870年オハイオ・スタンダード石油会社を作って社長になりました。さらに、石油精製から石油採掘へと事業を拡大、市場を独占し、アメリカ最大の石油会社に発展、他の業者を買収して独占を進め、石油王といわれるようになりました。

そのため自由な競争を妨げるとして反トラスト法で提訴されたり悪徳企業家とマスコミにたたかれましたが、そうした批判は彼の行動によって緩和されていきました。

彼は、58歳で事業から引退、後半生はすべて慈善事業につくしました。そのため顧問(元牧師)を雇って1億8千万ドルという巨額の基金でロックフェラー財団を作り、人類の福祉を増進することを目的に資産を、大学、医学研究所、一般教育財団などへ
寄付しています。世界最大のロックフェラー医学研究所もこの援助によってできています。

彼が、97歳で大往生を遂げたとき、新聞は「ロックフェラー氏ほど莫大な財産を賢明に使った人がこれまでいるかどうか」と称賛したといわれています。また、こうした慈善の精神は彼の子孫にも受け継がれています。
ロックフェラー氏からの寄付申し出の電報
 震災直後に組織された図書復興委員会は、法学部教授高柳賢三、経済学部教授上野道輔を欧米に派遣し、図書の損害に関する実状を告げ、援助を求めました。その依頼に応えるかたちで、大正13年12月30日に世界的な富豪であったジョン・ロックフェラー氏から図書館再建のための援助の申し出がありました。以下はその電文の内容です。

拝啓

 昨年の震災によって東京帝国大学の図書館がその蔵書80万冊のほとんど全部と共に焼失したことを、深い悲しみをもって伝え聞いております。日本がこの未曾有の災禍を被ったことで、世界の同情を呼んだことは勿論のこと、日本国民がこのような惨事に直面し発揮した剛健な気質は、誰もが賛辞を惜しまないことと思います。
 先般、帝国大学代表者の高柳教授は、図書館の再建と図書の回復とについて援助を求められましたが、その求めに応じて400万円を寄付することができることを私自身大変嬉しく思います。その寄付には何らの条件も付けず、もし古在総長が図書館長姉崎教授並び団琢磨博士と共に委員としてこの資金を支出する全権をもち、活用いただけるならば満足に思います。この寄付を建築と図書とに充てるかどうかの判断も上記の委員に一任したく思います。私の聞いたところでは、図書館建築の為に政府は既に相当の支出を決定しておられるようです。私の希望としては、この種の他の資金と共に、私の寄贈する資金によって、図書館の建物の完成だけでなく、図書を購入するためにもかなり多くの資金を供給できればと思っています。
 日本国民が自力でその破壊された都市や学府の完全な回復を成し遂げることを、私は確信しております。またそのことともに、世界の学界に優秀な位置を占めておられる東京大学が満足な図書館設備をもつ日が来ることが早まるように、援助できることを私は大変喜びに思っております。

敬具

ジョン・デ・ロックフェラー

      東京帝国大学総長 古在由直殿

(「東京帝国大学五十年史(下冊)」(東京帝国大学)より)
上記の文面は、彼が直接考えたものとは違うかもしれませんが、なぜか、心をひかれてこの文章を引用させていただきました。


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