7月


4日
スティーブン・コリンズ・フォスター(Stephen Collins Foster)

(1826〜1864)

アメリカ 作曲家

ペンシルベニア州のピッツバーグにほど近いローレンスビルで、事業家の父ウィリアムと、上流階級出身の母エリーザの9番目の末っ子として生まれました。父の事業の失敗から、家を転々と変わらなければならなかった彼は友達ができず、孤独な幼年時代を過ごしましたが、成長するにつれ積極的な性格へと変わっていきました。

しかし、彼の学校嫌いは大変なもので、中学・高校では入退学を繰り返し、最終的には入ったばかりのジェファーソン大学を中退してしまっています。しかし、勉強は好きで、フランス語やドイツ語を話し、無類の読書家であったといわれています。

17歳の時に書いた歌曲「窓をおあけ恋人よ」が、翌年に処女出版され、1845年には街の青年の同志を集めて、男声合唱団を結成し、「ルイジアナ美人」等のオリジナル曲を手がけていました。しかし、家族の反対で音楽を止め、兄が経営する汽船会社の簿記係として就職します。

しかし、彼の作曲した「おお、スザンナ」が大ヒット、彼は簿記係をやめ、作曲で身を立てる決心をします。その後1850年には開業医の娘ジェーン・マグダネルと結婚し、翌年には一人娘マリオンが誕生しています。

この頃彼は、黒人のミンストレルショー(簡単な喜歌劇)のために「故郷の人々(スワニーリバー)」「ケンタッキーの我が家」「主人は冷たい土の下に」等の名曲を数多く作曲しています。また、1854年には、妻ジェーンにささげる歌「金髪のジェーン」を発表。

しかし、酒好きな彼は、その後酒で身を持ち崩し、生活苦のため電気技師となって、働いていた妻とも別居、1860年には「オールド・ブラック・ジョー」を作曲しますが、南北戦争による社会不安の中、貧しい放浪生活を続けるようになってしまいます。

晩年、ようやく心の友となる詩人のジョージ・クーパーと出会いますが、時すでにおそく、彼の体は肺結核に蝕まれており、1864年亡くなりました。
フォスターは、地図でスワニー川を見つけ、響きが良かったので、「故郷の人々」の中にこの川の名を取り入れたといわれています。又、彼はアメリカ南部を歌った歌を多く作りましたが、実際は北部生まれで、南部へは一度しか行ったことがありませんでした。

故郷の人々
スワニー川を下ったはるかかなたに、懐かしい故郷の人々が住んでいる、という哀愁をこめた望郷の歌。


   トップページに     今日生まれの偉人伝に