7月


18日
ヘンドリク・アントーン・ローレンツ(Hendrik Antoon Lorentz)(1853〜1928)

オランダの物理学者

1875年ライデン大学を最優等で卒業し、三年後には物理学教授となりました。研究は多方面にわたり、その分野の発展に本質的な役割を果たしまた。1875年、光の電磁理論に基づいて光の屈折と物理の密度の関係を発見しました。1896年には、結晶光学と金属光学の問題も扱い電磁光学の基礎部分を作り上げた。マクスウエルの電磁論に基づいて電磁波、光、電子の研究をし、ゼーマン効果の理論を提出しました。

また、電磁場を担うエーテルと荷電粒子からなる物質とで世界が構成されるという自然像を考え、電磁場が物理的実在であることを明らかにし、マイケルソン=モーリーの実験結果を説明するために、いちはやく局所時間の考えを提唱し、1904年にはローレンツ変換を導いて、翌年提出されたアインシュタインの特殊相対性理論と数学的にはほぼ同等の理論を打立てました。

晩年、ローレンツはヅイデル海を埋め立てて農地にするオランダの大計画に参画し、堤防の設計と建設の指揮を執ったりもしています。

二十世紀の物理学の発展はローレンツ抜きでは語れないといわれています。1902年、放射に対する磁場の影響の研究でゼーマンと共にノーベル賞を受けています。
ローレンツの電子論
すべての物質は共通の構成要素として微小な荷電粒子をもつと仮定(のちにこの粒子は 1897年に発見された電子と同定された) 、これに古典力学と古典電磁気学とを適用して物質の電気的・磁気的・光学的性質を論じました。これは物性の微視的理論の始りであって、量子力学を用いてこれを発展させたのが固体電子論などの物性物理学です。

ローレンツ収縮
また、彼は電子を一様に荷電分布した球とみなして半径 (古典電子半径 ) を求め、さらに物体がエーテルの中を運動するとき、その運動方向に収縮することを示しました。
現在光は、ホイヘンスの波動説によっていますが、その光が振動するためには、そこにある媒質を必要とします。つまり、音は、空気中の振動で、したがって音は、空気のないところでは伝わりません。しかし光は、そこには何も存在しないと考えられている広い宇宙の空間(真空)を通ってわれわれの目に達っします。したがって、宇宙空間にも、この光の振動を許す媒質、すなわち光の伝播(でんぱ)を許す媒質が存在しなければなりません。このような媒質をエーテルと呼びます。

しかし、このように、エーテルとよばれる仮想的な媒質を考えることにすると、そこに、このエーテルに関する種々の問題が考えられます。

地球はこのエーテルのなかを運動していますが、物体が空気中を運動すればその空気を乱し、いくらかの空気はその運動にひきずられるように、地球のエーテル中での運動も、エーテルを乱し、いくらかのエーテルをひきずっていくのでしょうか。そこで種々の実験が行われましたが、地球の運動はエーテルに何らかの影響も与えないという結論が得られたのです。

このような実験によってもたらされた困難を解決する方法として、1892年、ローレンツは一つの仮説を提唱しました。それは、物体がエーテルの中を運動するとき、その運動方向に収縮するというもので、これをローレンツ収縮といいます。


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