7月


29日
箕作麟祥 (みつくり りんしょう)(1846〜1897)洋学者,法学者。

彼が生れた年に父省吾は他界し、そのため、江戸後期の蘭学者として名高い祖父箕作阮甫に養育されました。幼名は貞太郎といい、のち貞一郎となりました。洋学を祖父について習得し、1863年祖父の死にあい嫡孫として跡を継ぎ幕臣に列せられました。

1867年徳川民部大輔に随行してフランスに渡り、フランス語を修得し、翌年帰国後に、明治政府の一等訳官に任じられました。そして、日本の近代化をめざして不平等条約改正のため、近代法典を編さんする必要から、ヨーロッパ法律書の翻訳書を著し特に民法の専門学者として活躍しました。

1870(明治3)年、当時の制度取調局長官、江藤新平は、同局に民法会議を設け、彼にフランス法の全典の翻訳を命じました。(「フランス」という文字を「日本」に読み替えて、それを日本の民法典にしようとしたそうです。)この時、「誤訳も妨げず、唯速訳せよ」と命じたといわれ、そこで彼は努力の末、和装木板40冊を完成させました。この仕事は想像を絶する苦心の連続で、彼は後に「註解書もなければ、字引もなく、教師もいなく、間違いだらけの本であった」と述懐しています。

また明六社運動に加わって啓蒙運動に参加しましたた。その後、元老院議員、貴族院議員、行政裁判所長官等を歴任しています。法学博士、従二位、勲一等に叙し瑞宝章を賜り、男爵を授けられました。

明治30年死去、亨年50歳。


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