9月生まれの偉人伝

今日生まれの偉人達
1日 国吉 康雄 (くによし やすお)(1889-1953)アメリカで活躍した洋画家
明治39年(1906年)17歳のとき岡山県立工業学校の染織科を1年の1学期で退学、17歳で渡米し、苦学しながら絵を勉強。昭和23年(1948)年には「ルック」誌が現代アメリカの10人の画家に選出し。ホイットニー美術館が現存画家としては初めての回顧展を開催、アメリカの代表画家のひとりとして活躍した。
2日 伊藤博文(1841〜1909)明治期の政治家。初代の内閣総理大臣。近代日本における立憲政治実現の功労者。
長州藩出身。松下村塾に学ぶ。討幕運動で活躍。明治一四年政変のあと、政府の最高指導者となる。明治憲法の制定にあたり枢密院を設置。内閣制度をしいて初代首相となる。四回組閣し、その間、日清戦争を遂行。貴族院議長、枢密院議長、立憲政友会総裁、初代韓国統監を歴任。ハルビンで韓国人安重根に暗殺された。
酒井田 喜三右衛門(柿右衛門 かきえもん)(1596〜1666)江戸時代初期の陶工
3日 名取洋之助(1910〜1962)写真家
1928年ドイツに渡りミュンヘン美術工芸学校に入学。1932年帰国後、日本工房を結成、翌年海外向けの広報誌「NIPPON」を創刊。 36年ベルリン・オリンピックを取材し「ライフ」「フォーチュン」誌に日本人として初めて作品を発表。戦後は「岩波写真文庫」を創刊、「ロマネスク」ほか多数の写真集を発表した。
4日 ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner)(1824〜1896)オーストリアの作曲家
幼児の頃から楽器を巧みに演奏して、すぐに教会の合唱にも加わる様になる。その後は30歳を過ぎるまでは学校の教師を生業としながら地方の協会でオルガンを弾いていたが、本格的な作曲の学習に取組み、九つの交響曲やミサ曲などで、神秘思想の要素をもつ力強い作風を開拓した。
5日 利根川 進(1939〜)分子生物学者、免疫学者。
病原体を生体が撃退する免疫システムに関する謎に取り組み、遺伝子工学を駆使して免疫グロブリン(抗体タンパク質)をつくる遺伝子の構造を世界で初めて解明。高等動物の細胞遺伝子が発生分化の過程で組み替えられる仕組みを明らかにし、定説をくつがえした。この成果で1987年には日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した。
棟方 志功(むなかた しこう)(1903〜1975)版画家
6日 ジョン・ドルトン(John Dalton)(1766〜1844)イギリスの化学者 物理学者
 ドールトン、ダルトンとも呼ばれています
ほとんど独学で15歳で教師となり、教育と気象観測に力を尽くした。気体の物理的、化学的性質の研究を行い、混合気体についての分圧の法則を発見し、物質は粒子から成り立つと考え、その粒子の質量を測定する方法を考案した。敬謙なクウェーカ教徒で、彼の葬儀には4万人以上の人々が列をつくった。
星新一(本名 星 親一)(1926〜1997)SF作家 ショートショートの第一人者
7日 エリザベス1世(1533〜1603)イギリス女王
海賊たちをうまく海軍として編成、スペインとの開戦後の1588年には、国家の統制下に置いたこの海賊集団によりドーバ海峡でスペインの無敵艦隊を破り、海外発展の礎を作った。この時代には、文化芸術も栄えルネサンス文化の花が開いた。彼女は一生結婚をしないことを宣言したため「処女王(Virgin Queen)」と呼ばれた。
8日 アントニン・ドボルザーク(ドボルジャーク)(1841〜1904)チェコスロバキアの作曲家
スメタナの影響下に、スラブの民族舞曲の形式をとり入れて作風を確立。ボヘミアの民族感情に溢れた多くの曲をのこす。多くの作品があるが、アメリカ滞在中に黒人霊歌の旋律に刺激を受けて作曲した交響曲第五番「新世界」は特に有名。
チェコの国民主義音楽の代表とされている。
9日 レフ・ニコラエビチ・トルストイ(1828〜1910)ロシアの小説家、思想家
伯爵家に生まれたが、農奴たちに同情し、既成の政治・社会・宗教・教育などに反抗して、当時のロシアの国家・社会の矛盾をリアルに描出し、ロシア文学の写実主義的伝統を受け継ぐとともに、求道的な内面の世界を描き、後代の作家に大きな影響を与えた。代表作は「幼年時代」「戦争と平和」「アンナ・カレーニナ」「復活」など。
ハーランド・サンダース(カーネル・サンダース)(1890〜1980)ケンタッキーフライドチキンの創始者
10日 トマス・シデナム(シドナム)(Thomas Sydenham)(1624〜1689)イギリスの内科医
彼は初めて医療にアヘンチンキを使い、貧血に鉄を、またマラリア治療の特効薬としてキナ皮を発見し普及させた。空論よりは実務を重視し、本や定説よりも患者を詳細に観察することを治療の方針とし、臨床現場における観察を重視する今日的な病気観察の類型論を確立した。17世紀最大の実地医家で、イギリスのヒポクラテスといわれました。
11日 エドムント・ナウマン(Edmund Naumann)(1854〜1927)ドイツの地質学者
日本の地質学の基礎を築いた。 1875年に来日。東京大学初代の地質学教授。内務省地理局内に地質課を設立し、日本の地質学の発展に大きく貢献。 85年帰国した。特に日本の地質構造をまとめ、フォッサ・マグナとこれによる西南日本と東北日本の区分など、現在も用いられている地質構造区分をした。化石種のナウマン象は彼の名に由来する。
O・ヘンリー(本名 ウィリアム・シドニー・ポーター)(1862〜1910)作家
12日 イレーヌ・ジョリオ・キュリー(1897〜1956)フランスの原子物理学者(キュリー夫人の長女)
有名な物理学者キュリー夫妻の長女として生れる。ラジウム研究所で母の助手として研究生活に入り、同僚の F.ジョリオと結婚、夫とともに放射能の研究を続け、α線を衝突させることにより、安定した元素を人工的に放射性元素に変換できることを発見。夫妻でノーベル化学賞を受賞した。
13日 杉田玄白(1733〜1817)江戸時代中期の蘭医で蘭学(オランダの学問)の開拓者。
江戸千住の小塚原の刑場で死刑囚の死体を解剖して、オランダの医学書「ターヘルアナトミア」の解剖図と照らし合わせ、その正確なことを知り、前野良沢と医学書の翻訳を行い「解体新書」と名づけた。その後も蘭医として診療に勤め、また蘭学を教えて大槻玄沢らの人材を育てた。
14日 パブロフ(1849〜1936)ロシア(旧ソ連)の生理学者
必ずベルの音を聞かせてから餌を与えるようにすると、ベルの音を聞かせるだけで、胃液が分泌されることが観察される「パブロフの犬」と呼ばれている有名な現象・実験を行い。1904年、消化液分泌の神経支配に関する研究でノーベル生理・医学賞を受賞した。
15日 岩倉 具視(いわくら ともみ)(1825〜1883)明治維新の元勲
大久保利通、西郷隆盛らと組んで王政復古を行い、維新政権の中心人物となる。新政府では、廃藩置県を断行。特命全権として、使節団を率い、米欧十二カ国を歴訪、条約改正は不首尾に終わったが、富国強兵策の必要を痛感。西郷らの征韓論には強く反対。その後、伊藤博文をプロシアに派遣するなど、立憲天皇制の確立のために尽力した。
アガサ・クリスティー(Agatha・Christie)(1890〜1976)推理小説作家
16日 渡辺崋山(1793〜1841)江戸時代末期の蘭学者,画家
貧しさを救うため、絵を描く内職をしながら学問に励み。26才頃には画家としても有名になり。40歳で藩の家老職に就いてからは、田原藩の繁栄に貢献、救民のための義倉「報民倉」を建設し、天保の大飢饉では、一人の餓死流亡者も出しませんでした。モリソン号事件に際し「慎機論」を著して蛮社の獄に連座。国許に蟄居中に自殺した。
竹久夢二 (1884〜1934) 画家、詩人。
17日 正岡子規(まさおかしき)(1867〜1902)明治時代の俳人・歌人
東大退学後、日本新聞社に入社。平明な写生句を特徴とする日本派俳句を確立。雑誌「ホトトギス」を創刊。喀血して時鳥(ホトトギス)の句を作り、子規(ホトトギス)と号した。写生文をも提唱した。また写生主義と万葉調を主唱して根岸短歌会を結成し、短歌革新運動を行い、アララギ派の基礎を築いた。
18日 藤島 武二(ふじしま たけじ)(1867〜1943)明治・大正・昭和前期の洋画家
土屋 文明(1890〜1990)歌人
19日 沢田 美喜(さわだ みき)(1901〜1980)混血児二千人の母、エリザベスサンダーホーム創設者
三菱財閥の本家である岩崎久弥の長女として生まれた。敬虔なキリスト教徒であった彼女は、混血遺児の教育に身を捧げ、私財を投じて混血児救済に乗り出し、養育施設であるエリザベスサンダースホームを設立。約2000人がホームを巣立ち。ついに1965年に、彼女はブラジルに孤児たちの働く農園を建設し、多くの孤児たちの養子縁組を成し遂げた。
20日 王陽明(おうようめい)(1472〜1529)中国明代の儒学者、政治家
兵法や詩文や禅宗を学びながら遠く戦線に出かけ、各地で流賊の反乱を平らげて功を立てた。学者として優れ、当時国家の学問としてもてはやされた朱子学に反対して、「大学古本」「伝習録」などの本を著し「知行合一」「致良知」という学説をとなえて陽明学派を打ち立てた。
21日 H.G.ウェルズ(Herbert George Wells)(1866〜1946)イギリスの小説家、評論家。
20世紀初頭を特徴づける進歩主義思想の普及に重要な役割を果たした「タイム.マシーン」や「宇宙戦争」のようなSF小説。「キップス」や「ポリー氏の物語」のようなこっけいな社会小説も幅広く書いた。科学の役割と世界平和の必要を説いた社会政治論文も数多くある。
22日 マイケル・ファラデー(Michael Faraday )(1791〜1867)イギリスの物理学者・科学者
貧しい鍛冶屋の子として生まれ、ほとんど小学校にも通えず、独学で勉強を続けた。その後、王立研究所の化学者デービィに認められ、彼の助手となり、電磁誘導・放電現象の研究、電気分解の法則などを発見した。また、少年少女のために行った講演を集めた「ろうそくの科学」は有名。
吉田 茂(1878〜1967)大正・昭和時代の政治家・外交官
23日 葛飾北斎(1760〜1849)江戸時代後期の浮世絵師
少年時代に木版彫刻を学びながら、七色唐辛子などを行商し、その日その日を過ごしていたが。19歳の時、当時役者絵で人気の高かった勝川春章に入門。狩野派、土佐派、西洋画からも画技を学び風景版画に新生図を開いた。その画風はヨーロッパ印象派の発生に大きな影響を与えた。代表作「富嶽三十六景」「ほくさいまんが」等
24日 セヴェロ・オチョア(Severo 0choa)(1905〜1993) スペイン生れのアメリカの生化学者。
ドイツのマイエルホーフのもとに留学、筋収縮の研究に従事した。1941年渡米し生化学教授兼生化学部の主任教授となった。RNAの人工的合成に成功し、1959年ノーベル生理学医学賞受賞。その後人工RNAを使って遺伝暗号解読に取組み、蛋白質合成の基本となる遺伝子の暗号の発見など数々の成果をあげた。
三浦按針(みうら あんじん)本名 ウィリアム・アダムス(1564〜1620)イギリスの航海者
25日 魯迅(ろじん、本名は周樹人)(1881〜1936)中国の小説家・思想家
1902年日本に留学、仙台医学専門学校に学んだが、中国の国民性を改造するために文学を志す。1918年「狂人日記」を発表し、文学革命に火をつける。蒋介石を中心とする国民党政府の文化弾圧に抵抗、満州事変以後は、日本に抵抗する文学者の統一を目指す運動を組織。しかし、終生日本人との交友を続けた。代表作「阿Q正伝」
ドミートリィ・ドミートリェヴィチ・ショスタコーヴィチ(1906〜1975)ソ連の作曲家
26日 ジョージ・ガーシュイン(George Gershwin)(1898〜1937)アメリカのピアノ奏者、作曲家
ジャズ系の作曲家で交響的作品にも名作が多い。正規の音楽教育は受けていないが18才で流行歌作曲家として有名1924年「ラプソディ・イン・ブルー」自作、自演シンフォニック・ジャズの作曲家として名をなし、晩年映画音楽で活躍、他に「パリのアメリカ人」が有名。わずか38歳で夭折。
27日 戸坂潤 (とさか じゅん)(1900〜1945)唯物論哲学者。
法大講師となるが、思想不穏の理由で免職。唯物論研究会を創立、事務局長として、軍国主義に抵抗し、科学的精神を擁護、普及する運動に取り組む。治安維持法により検挙され、第2次世界大戦終戦を目前にしながら長野刑務所で栄養失調のため獄死した。
28日 プロスペル・メリメ〈Prosper Merimee〉(1803〜1870)フランスの小説家、考古学者
パリ大学で法律を学び、弁護士試験に合格までしましたが、小説家に転じ文学に専念するようになり。22歳で「クララ・ガスルの戯曲集」を発表し、その後も、民謡集「ラ・グズラ」 を書いて成功を収めました。その後も「シャルル9世年代記」「マテオ・ファルコーネ」「エトルリアの壺」「コロンバ」「カルメン」等の傑作を発表し、写実主義的短編小説の名手と称されるようになりました。
29日 バイカウント・ホレーショ・ネルソン(Viscount Horatio Nelson)(1758〜1805)イギリス海軍 提督
一七九八年ナポレオンのエジプト遠征艦隊をアブキールで破り、1805年にはフランス・スペイン連合艦隊をトラファルガーの海戦で撃破、イギリスの制海権を打ち立てたが、彼自身は狙撃により「神よ感謝します、私は義務を果たすことができました」という言葉を残して亡くなった。
徳川慶喜(1837〜1913) 第15代将軍(徳川幕府最後の将軍)
30日 ジャン・パティスト・ペラン(1870〜1942)フランスの化学者、物理学者
ブラウン運動を研究し、アインシュタインの理論を水分子について実証して分子の実在を示した。またアボガドロの測定に成功。物質の不連続的構造(分子的構造)を証明し、沈降平衡を発見した。沈降平衡とは、液体中の粒子が沈殿していく経過を数学的にあらわしたもの。ブラウン運動と沈降平衡によりノーベル物理学賞を受賞した。

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