9月


6日
ジョン・ドルトン(John Dalton)(1766〜1844)イギリスの化学者 物理学者
 ドールトン、ダルトンとも呼ばれています

カンブリアのイーグルフフィールド村で生まれました。家が貧しく村のクウェーカー教徒の小学校にのみ通い、あとは独学で勉強を続け、12歳で塾教師、15歳で学校の教師となりました。その後、1793年にはマンチェスター・ニューカレッジの数学、物理学の教師となり、1799年以後は個人教授をしながら研究を続けました。

1808年、彼は、質量保存の法則や定比例の法則を説明するために、原子説を発表しました。彼は化合物の分子は元素の粒子が結合したものであり、元素の粒子は簡単な重量比でのみ結合するものとしています。その結論は、すべての物質は、これ以上こわすことも、分けることも出来ない究極的な構成粒子から出来上っているというもので、彼はこの究極の粒子を「原子」と名付けました。この名はギリシャ時代のデモクリトスの原子論 (アトムとは不可分のものの意) に従ったものです。ドールトンはまた、最も軽い元素と考えられていた水素の重量を基準として、各種の元素の原子の重量を測定した最初の人でした。そして各原子とそれらの結合を表すのに簡単な記号を用いることを提案しました。

彼の考え方には、多くの欠点はありましたが、ギリシア以来の思弁的原子論を、原子量概念を通じて実験と結びつけ、近代化学の基礎に据えるものであり、また,彼の考えは、アボガドロの重要な研究を触発し、現在用いられている原子量,分子量の値を導き出す出発点にもなったのです。

また彼は1793年に行った気象学の優れた研究によって気象学の創始者の一人とされています。

彼は敬虔なクウェーカ教徒で、習慣や服装を守り、知識追求に専念し名声をさけていましたが、彼の葬儀には4万人以上の人々が列をつくったといわれています。
ドルトンは色覚異常でした。当時、色覚異常についてはまだ知られていませんでしたが、彼は自分の見え方が友人たちと違うことに興味を持ち、詳しい記録を発表しました。それが色覚異常に関するまとまった科学的記載の最初になります。

 この論文には、スペクトル(虹)の色、花や衣類や日常見ているものの色について、どのように見えるか、友人の見え方とどう違うかなどが克明に書かれています。また同じ様な色覚を持った人が彼と彼の弟以外にもあって、家族的に見られる場合も多い、長い年月に症状の変化が全くない、視力は正常、自分の異常に気付いていない者が多い、女子の例はないなどの色覚異常の特性がほぼ完全に把握されています。
ドルトンの法則
ドルトンが発見した気体の分圧に関する法則。数種の気体が混合しているとき、それらの間に化学変化が起こらないならば、混合気体の圧力は、それぞれの気体が単独の場合に示す圧力(分圧)の和に等しいというもの。

9月


6日
星新一(本名 星 親一)

「未来は、もう過去のものだ。」

(1926〜1997)

SF作家 ショートショートの第一人者

東京の本郷で生まれました。父は星製薬の創設者、星一で、母方の祖父は東京帝国大学名誉教授の人類学者、小金井良精で、祖母の小金井喜美子は森鴎外の実妹であり、歌人としても有名でした。星新一はこの祖父母と一緒に暮らし、多大な影響を受けたといわれています。

昭和14年に東京女高師の付属小学校を卒業し。この頃江戸川乱歩、海野十三などを読んでいました。その後東京高校に進み、東京大学農学部農芸化学科を昭和23年に卒業して大学院へ入りました。研究論文は「アスペルギルス属のカビの液内培養によるアミラーゼ生産に関する研究」だそうです。

その後父親の会社である星製薬に入社しましたが、星製薬は、官憲による妨害工作や戦時中の爆撃のため危機に瀕していました。そんな中で、父星一は、新しい事業を興そうとしてアメリカに渡り、そこで客死してしまいます。

父親の死後の昭和26年、3代目社長に就任するものの、まもなく会社は倒産してしまいます。彼は借金の整理でかなりの苦労をしましたが、その挫折の中で、同人誌「宇宙塵」で書き始めたのでした。

その後、昭和32年に短編「セキストラ」を発表、それが「宝石」に転載され作家となる。昭和36年に出した短篇集「人造美人」が直木賞候補となり、その後も、昭和43年には、「妄想銀行」で日本推理作家協会賞を受賞し、「ボッコちゃん」でショートショートに新しい分野を開き、日本におけるショートショート形式を確立しました。

また、彼の生み出したショートショート作品の数は千編を超え、日本だけでなく世界中に多くのファンを抱え、作品は海外にも広く紹介されています。英語、フランス語、ロシア語、ルーマニア語、ユーゴスラビア語、ノルウェー語、ベンガル語等の翻訳があるそうです。

1997年12月30日の午後6時23分に亡くなりました。71歳でした。


   トップページに     今日生まれの偉人伝に