9月


28日
プロスペル・メリメ〈Prosper Merimee〉

(1803〜1870)

フランスの小説家、考古学者

パリで生まれました。父親は画家としても化学者としても有名な人物で、母も絵を描くことを好んだので、その影響からか彼も幼いころから芸術に興味を持っていたそうです。

名門校であるアンリ4世高校を卒業後、パリ大学で法律を学び、弁護士試験に合格までしましたが、小説家に転じ文学に専念するようになりました。

19歳の時に、のちに親友となるスタンダールを知り、ユゴーらの保守的ロマン派に対抗して、スタンダールらと共に自由主義的な一派を形成し、22歳で「クララ・ガスルの戯曲集」を発表し、その後も、民謡集「ラ・グズラ」 を書いて成功を収めました。

彼は、英語、ギリシャ語、スペイン語などの外国語にも精通し、ギリシャ、ラテンの古典文学をはじめ、美術史にも造詣が深く、更には考古学者としてもすぐれており、1843年には、歴史アカデミー会員に、さらに翌年にはアカデミー・フランセーズの会員に選ばれています。

彼は、それらの才能を全て小説に注ぎ込み、歴史と異国情緒漂う緊密な作品世界を作り上げ、、「シャルル9世年代記」「マテオ・ファルコーネ」「エトルリアの壺」「コロンバ」「カルメン」等の傑作を発表し、写実主義的短編小説の名手と称されるようになりました。

彼は、その後、上院議員となり、政界や社交界に権勢をふるったのですが、晩年は、友人にそむかれ、恵まれない生活を送ったということです。
彼は博学を誇り、人を煙に巻くのが好きだったといわれています。例えば、彼の処女作である「クララ・ガスル戯曲集」は架空のスペイン女優の作品の仏訳と称して発表し、しかも、ご丁寧に巻頭には彼が女装した肖像画を載せたと言われています。
「カルメン」は、彼がスペインに出かけたとき、知人から「軍から脱走して山賊になった男が、嫉妬のあまり恋人を殺して処刑された」という話を聞いて書いたということです。しかし、1845年に発表された時には、批評家には無視されていましたが、後にビゼーによってオペラとして発表されると世界的に有名な作品となりました。
カルメン
バスク生まれの騎兵隊長ドン・ホセは、セビリアの煙草工場の警備中に、評判のジプシー女カルメンと出会うのですが。その数時間後、喧嘩で同僚を刺したカルメンはホセにとらえられるのですが、カルメンは、巧みにホセを口説いて逃してもらうことに成功します。
ホセは投獄され一兵卒に格下げされてしまいますが、出獄した彼の所へ、カルメンがやってきて、あのときのお礼だと言って身を任せます。カルメンの魅力に溺れたホセは、悪事に手を染め、さらには嫉妬から殺人を犯し、彼女の仲間に加わっていくのですが・・・。


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