9月


26日
ジョージ・ガーシュイン(George Gershwin)(1898〜1937)アメリカのピアノ奏者、作曲家

ニューヨークのブルックリンで貧しい仕立職人の息子として生まれました。ロシア系ユダヤ人で音楽好きの両親は、優等生の長男アイラに学ばせようとピアノを買ったのですが、文学好きで勉強好きのアイラはピアノをもてあまし、かわりに弟の彼が興味を持ち、めきめきと音楽の才能を表わしたのです。(ちなみに兄のアイラは、やがて彼と組んで彼の歌曲の歌詞を書くヒットメーカーとなります。)

彼が、音楽家になろうと決心したのは1909年位のまだ10歳になったばかりの頃です。後に彼の友人となるマックス・ローゼンのヴァイオリンを聞いて心を固めたと伝えられています。10代の頃は高校へろくに行かず、ティン・パン・アレーの店頭でピアノばかり弾いていたといわれています。

ソングプラッガー(音楽出版社の新曲宣伝ピアノ奏者)として音楽界にデビューした彼ですが、もともと作曲家志望だった彼は、数年後に作曲家に転向し、21歳の時、後にトーキー映画第1号となる「ジャズ・シンガー」の出演者アル・ジョンソンと出会い、「スワニー」を自分に唄わせてもらえないかと依頼を受けます。これが200万枚のレコードセールスを記録する大ヒットなり、ガーシュインはまたたく間に人気作曲家なります。

人気のポピュラーソング作曲家となった彼は、「真面目な」音楽も作りたいと考え、1924年の「ラプソディ・イン・ブルー」、翌年の「へ長調の協奏曲」を発表して、当時のクラシック音楽の作曲家としても第一線にランクされるようになり、忙しい毎日を送るようになりました。

その後も、「パリのアメリカ人」、オペラ「ポーギーとベス」など数々の作品を作曲しました。しかし、過労がたたったのか、ハリウッドで映画「The Goldwyn Follies」のスコアを作曲中に倒れ、38歳の若さで他界してしまいました。
映画監督のウッディ・アレンは彼の作品「マンハッタン」(1979米)の中で「ニューヨークには白黒映画とジョージ・ガーシュインの音楽がふさわしい」と主人公に言わせています。


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