9月


4日
ヨーゼフ・アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner)(1824〜1896)オーストリアの作曲家

オーストリアの田舎のアンスフェルデンで生まれました。幼児の頃から楽器を巧みに演奏して、すぐに教会の合唱にも加わる様になりました。その後は30歳を過ぎるまでは学校の教師を生業としながら地方の協会でオルガンを弾き、教会音楽の作曲を手がけた程度でした。

しかし、1856年リンツのオルガンピアニストとなり、音楽家としての道に入りました。このころから本格的な作曲の学習に取組み、やがてワーグナーの作品に深い感銘を受けて、交響曲第一番を作曲、1868年リンツで初演を行いました。この年、師ゼヒターの後任としてウィーン楽友協会の理論とオルガンの教授に就任、以後生涯に渡って交響曲、教会音楽を書き続け、またオルガニストとしてパリ、ロンドンでも演奏会を開きました。

その作風は教会オルガニストであったことからくるオルガン的発想の瞑想的・神秘的な側面と、ワーグナーへの傾倒による壮大なドラマティックな要素が巧みに混合したもので、特に交響曲は、ワーグネリズムの巨大な管弦楽的効果の中にも、清澄な、時に土俗的な素朴さをただよわせており、後期ロマン派音楽の一つの典型をなしています。この点で、同時代のブラームスの古典主義的純音楽とは対照的でした。

しかし彼は、ブラームス対ワーグナーの抗争に巻込まれ、批評家 E.ハンスリックの妨害や、新聞の嘲罵を受け、「第7交響曲」の成功を除き生前は妥当な評価を得られませんでした。彼の作品が世界的に評価されたのは第1次世界大戦後のことになります。
彼は後期ロマン派最大の交響曲作曲家の一人で、20世紀まで生きたグスタフ・マーラーの巨大の交響曲にも影響を与えた人です。彼の交響曲は当時にしてはあまりにも巨大で、当時の音楽様式とはあまりにもかけはなれていた為に理解されない事もあり、彼本人もしくは、他の弟子等による作品の改訂が行われ同じ曲でも多数の異なった版が存在する事で知られています。


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