9月


27日
戸坂潤 (とさか じゅん)(1900〜1945)唯物論哲学者。

東京で生まれました。開成中学卒業後、第一高等学校理科を経て、1924年京都大学哲学科を卒業。京都および神戸の専門学校、諸大学の教師を経て、1931年東京に帰って法政大学の講師、教授となりました。

徐々に、戦争の足音が聞こえてくる、当時の政治状況に抗し、1932年には岡邦雄、三枝博音と一緒に唯物論研究会を組織して機関誌「唯物論研究」を創刊しました。しかし、そのために、1934年思想不穏のかどで法政大学を免職になり、その後は唯研活動に全力量を投入します。

唯物論研究会とは「唯物論の研究に重大な意義をみとめる研究家の研究団体」として発足。会員には当初自然科学者が多く、初めは哲学・自然科学が中心で、政治的色彩のない大衆団体として活動していましたが、しだいに社会科学・芸術論・文化問題に拡がり、マルクス主義の哲学的理論的研究とその普及化をおこなう唯物論者の研究団体の役割を演じる様になってゆきました。彼は、唯物論研究会の事務局長として、軍国主義に抵抗し、科学的精神を擁護、普及する運動に取り組んでいました。

彼の説く科学論は、当時の政府の推し進める、全体主義的政策に対する科学的精神の痛烈な批判となっていましたが、しかし軍部独裁政治の台頭は止めることはできず、1937年執筆禁止、その翌年には治安維持法により検挙され、1944年大審院による懲役3年の最終判決を受け、翌1945年第2次世界大戦終戦を目前にしながら長野刑務所で栄養失調のため獄死しました。
唯物論
精神の実在を否定して、物質の根源性、独自性のみを主張する哲学の理論、または立場。宇宙の本質は物質であり、物質とは別物の霊魂・精神などは実在せず、意識は高度に組織された物質である脳髄の所産であり、認識は客観的実在である脳髄による反映であるとする説。
戸坂潤の言葉より

「科学は合理的なものだ。それは公式であり、システムである。味の素のようにホーレン草にも沢庵にも利く」

「修身道徳のことをモラルというのは、宿屋のことをホテルというようなものだ」

「今、みづから絶望することなどを覚え込んだ学生は、どの途、はじめから絶望すべき学生にきまっている」


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